疑心暗鬼

完璧なコケを身につけたのに、僕は……—第一章 博多温泉劇場

1990年。「吉本新喜劇やめよッカナ?」キャンペーンによって大復活した吉本新喜劇が空前の大ブームになっているなか、博多温泉劇場では、ひよっこ福岡芸人たちが全員で「コケ役」の練習を続けていました。1ヶ月もの長期間、徹底的な経費削減で、大阪からやってくる大先輩たちに泣いてもらうのだ。そんな先輩方のためにも、僕たち福岡芸人は全力を尽くさなければならない。否が応でも気合いの入る大吉青年でしたが……

 時は1990年。空前の吉本新喜劇ブーム真っ只中。
 このタイミングで博多温泉劇場に来てくれていた新喜劇の芸人さんには共通点があった。


 事の発端は前年に大阪で展開されていた「吉本新喜劇やめよッカナ?」キャンペーン。
 マンネリという声が囁かれ、その人気に陰りが見え始めていた当時の「新喜劇」というコンテンツに吉本が突きつけたこの企画は、一年間で目標観客動員数に達しなかった場合は新喜劇を解散→封印するという物騒な荒療治で、芸人にとって背筋も凍る、戦慄のキャンペーンだった。

 当然、それを回避すべく様々な改革がなされたのだが、その一環として、出演者の大幅な見直しが行われた。
 つまり、レギュラーメンバーの再編成が前代未聞の規模で敢行されたのだ。
 その結果、多くのベテランさんがこれを機に勇退され、また、多くの若手・中堅の芸人さんが大阪の本公演から姿を消すことになった。


 このキャンペーンは大きな話題となり、また、生まれ変わった吉本新喜劇は瞬く間に全国的な人気を獲得して、日本中に大ブームを巻き起こしたのだが、おそらく、このキャンペーン最大の狙いは長年に渡って蓄積されていた「吉本新喜劇」という大所帯の「血の入れ換え」にあったのだろうと、僕は邪推している。
 その是非はともかくとして、襖の向こうでボヤいている先輩方のほとんどは、そんな経緯で大阪の本公演から博多温泉劇場に流れ着いた芸人さんだった。

 残酷な言い方になってしまうが、去年まで在籍していた新喜劇が全国を席巻している最中に、である。

 いくら仕事とはいえ、これから1ヶ月もの長き間、楽屋に芸人同士が相部屋で寝泊まりするのだ。
 さすがに座長と看板クラスの漫才師さんには近くのホテルが用意されていたが、そこはそこで、お世辞にも高級とは呼べないどころか、普通の旅行者でも躊躇するような、木賃宿に近い格安のホテルだった。


 劇場の食堂では3度の食事が保証されているとはいっても、それは棟梁の奥さんが作った「まかない飯」の域を出ないものであり、福岡在住の僕たちはともかく、せっかくの福岡なのにラーメン、もつ鍋、水炊きといった名物とは全く無縁の、カレー、卵焼き、唐揚げ、おでんといった、珍しくも何ともないメニューが続くとなれば、味うんぬんの問題ではなく、先輩方のテンションも下がって当然であろう。

 無知は罪である。

 当時はさっぱりわからなかった。
 芸人の世界って、こんなものだろうと思っていたから。
 先輩方もどうせなら楽しめばいいのにとすら、この時の僕は思っていた。
 しかし、芸歴が20年をとっくに越えた今なら、自信を持って断言できる。

 昨日今日の若手ではない先輩方にとって。
 今の僕ら以上に芸歴を重ねていた先輩方にとって。
 ましてや、座長や看板の先輩方にとって。


 こんな仕事は、あり得るかもしれない。

 しかし、こんな待遇は、あり得ない。

 絶対に、あり得ないのだ。

 博多温泉劇場のことを思い出す度に、自分のキャリアと照らし合わす度に、いかなる理由があろうとも、あの時に来てくれた先輩方には、ただただ頭が下がるばかりである。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes・note会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

この連載について

初回を読む
疑心暗鬼

博多大吉

「どうして芸人になろうと思ったんですか?」一番多く投げかけられたこの質問に、いつも心の中で聞き返す。「どうしてみんな、芸人になろうと思わなかったんですか?」ーー時はバブルまっただ中。福岡の片隅で、時代の高揚感に背中を押された少年が抱い...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

ksgk_star @ksgk_star |疑心暗鬼|博多大吉|cakes(ケイクス) https://t.co/Qalwds37Ql 2年以上前 replyretweetfavorite

bunchou2 力作なので後で私もゆっくり読みます!! @rudoneko2 4年以上前 replyretweetfavorite

marunagesan 新作です。最初に「アレ」に触るドキドキはみんな一緒だなぁwwww 4年以上前 replyretweetfavorite

the_kawagucci (撮影:隼田大輔) 4年以上前 replyretweetfavorite