青鬼

第2回 GAME OVER

シュンの前に現れたのは、クラスの人気者「卓郎」だった。サッカー部のエースで優等生の彼に、シュンは執拗ないじめを受けていた…。

実写映画も公開中の、人気ホラーゲーム「青鬼」。人気の火付け役となった小説版『青鬼』の一部を公開します。

     2

 心に暗雲が立ち込める。
 右のまぶただけがぴくぴくと痙攣けいれんを始めた。両膝が激しく震え、立っていることさえままならない。シュンはがくりとその場にひざまずいた。
 ショルダーポーチにぶら下げた柴犬のキーホルダーが、鈴の音を鳴らしながら左右に揺れる。
「なんだよ? 転校生。返事くらいしろよ」
 卓郎は、にやにやといやらしい笑みを浮かべた。それ以上、目を合わせることができず、顔をそむける。鼓動が高鳴った。イヤな汗がこめかみを伝う。
「最近、学校が終わると、おまえとひろしの二人がつるんで、こそこそとどこかへ出かけるからさ、一体なにをやってるんだろうと気になって、ついあとをつけちまったんだ。全然、気づかなかっただろ?」
「…………」
「まさか、あいつによけいなことをしゃべったんじゃねえだろうな?」
 彼の問いに、シュンは激しくかぶりを振った。そんな恐ろしいこと、できるはずがない。
「なんだ、おまえ。震えてるじゃねえか。具合でも悪いのか?」
 息苦しさに胸が詰まる。うまく呼吸ができない。
「あ、わかった。放課後になってもまた俺と出会えたことに感激してるってわけか。嬉しいなあ。そんなに俺のことが好きだったとは。じゃあ、仕方ねえ。一緒に遊んでやるか」
 その言葉を聞き終わらぬうちに、シュンは後頭部に激しい衝撃を受けた。踏ん張る余裕もなく、勢いよく地面に顔を埋める。
「今日、地理の授業で土食文化について習っただろ? 俺、あれがどうにも信じられなくってさ。だって、土を食うんだぜ。土なんて、絶対に美味うまいわけないじゃん。だから、転校生。おまえ、ちょっと試してみてくれよ」
 シュンの頭の上で、卓郎の履いた靴の底がぐりぐりと動いた。頬が地面にこすれる。
 口の中に血の味が広がったが、痛みは感じなかった。恐怖心や羞恥心しゅうちしんさえ、湧き上がってくることはない。
 卓郎の執拗しつようないじめに耐え続けるうちに、シュンはいつしかいっさいの感情を押し殺すようになっていたのだ。

 サッカー部のエースとして活躍する卓郎は、クラスで一番の人気者だった。
 ルックスもよく、噂では芸能事務所からスカウトを受けたこともあるらしい。さらに、父親は全国に百以上の店舗をかまえる大型ホームセンター<スマイル>の社長だというのだから、まったくもって非の打ちどころがない。
 だが、恵まれた環境で育ったが故に、ゆがんでしまった部分もあったのだろう。さわやかなサッカー少年というみんなが知っている顔とはまったく異なる別の顔を、卓郎は隠し持っていた。
 彼にいじめられるようになったきっかけがなんだったのか、実はシュン自身もよく覚えていない。シュンが貸したシャーペンを卓郎がうっかり壊してしまったとか、友達とふざけ合っていた卓郎の手が、たまたまそばを歩いていたシュンの顔に当たったとか、たぶんその程度のことだったと思う。
 自分の持ち物を壊されても、理不尽な暴力を受けても、ただにこにこと笑っているだけのお人好しは、優等生の皮をかぶり続けることに疲れきっていた卓郎の目に、絶好のおもちゃとして映ったのだろう。
 軽口から罵倒へ、罵倒から暴力へ、暴力から虐待へ—卓郎の行為は日を追うごとにエスカレートしていった。
 体育倉庫や校舎の裏など、人目のつかない場所にシュンを呼び出すと、「それでは、今日の実験を始めましょう」と担任教師の口調を真似ながら、シュンに下剤を飲ませたり、煙草の火を押しつけたりする。そうやってシュンの反応を楽しんでいたのだ。卓郎の浮かべる好奇心いっぱいの表情は、幼い子供が昆虫の翅や脚をむしり取るときに見せるそれとまったく変わりなかった。
 薄ら笑いを浮かべ、平気で他人を傷つける彼の本性に、シュンは恐れおののいたが、だからといって、歯向かう勇気などは持ち合わせていなかった。
 彼の行為は一時的なものに違いない。きっと、すぐに飽きるに決まっている。少しの間だけ我慢していればいいはずだ。むしろ、大人に助けを求めて卓郎の機嫌をそこねてしまうことのほうが危険だろう—シュンはそう考えたのだった。
 だが、甘かった。卓郎の常軌じょうきいっした行為はますますエスカレートし、シュンの身体だけではなく心までもをむしばんでいったのである。
 すでに、シュンの心はぼろぼろだった。なにをされても、ただへらへらと笑い続けるばかり。耐え難い非道が続くうち、彼は感情を抑え込むことにすっかり慣れてしまっていた。
 とはいえ、蓄積された負のエネルギーが、自然と消滅することは決してない。我慢し続ければ、それはいつか必ず臨界点を超えて爆発する。
 真夜中の学校に呼び出され、校舎の三階から飛び降りろといわれたときは、このまま死んでしまったほうが楽かもしれないと考え、発作的に窓の外へ飛び出していた。
本気で命を絶つつもりだった。しかし、人間の身体が意外と頑丈にできていることを、シュンはこのとき初めて知った。植え込みに落下したことも幸いし、左足首に捻挫ねんざを負っただけですんでしまったのだ。
 このまま寝転がっていれば凍死するのでは? と期待したが、誰が呼んだのか、すぐに救急車がやって来たため、結局のところ、風邪をひくことさえできなかった。
 今でもときどき考えてしまう。あのとき、もし自分が死んでいたなら、卓郎は罪の意識にさいなまれたのだろうか? と。

「ほら、食えよ。食ってみろよ」
 卓郎はシュンのそばにしゃがみ込むと、右手で目の前の土をすくい上げ、いつもと同じ気色きしょくの悪い笑みを浮かべた。
「顔色が悪いな。だったら、ちょうどいい。この土、ミネラルをたっぷり含んでいるから、きっと健康になれるぞ」
 もう片方の手でシュンの頭を押さえると、湿った土を口の中へねじ込んでくる。
 抵抗するつもりはなかった。もはや、そんな気力など残っていない。
 しかし、口の内側にはりつく砂の粒と下水溝のようなにおいに、シュンはたまらずき込んだ。
 口から飛び出した泥が卓郎の顔にかかる。
「ああ? なんだよ、おまえ。汚ねえな」
 ナルシストの卓郎は、自分の顔が汚れることを極度に嫌う。途端に、彼の目は鋭くつり上がった。
「ふざけやがって」
 額を蹴られ、シュンは地面に背中を強く打ちつけた。その衝動で、それまで胸に抱えていたノートパソコンがこぼれ落ちる。慌てて拾い上げようとしたが、わずかなところで卓郎に先を越されてしまった。
「お。いいもの持ってるじゃねえか。ちょっと貸してくれよ」
 卓郎はノートパソコンを手に取ると、乱暴にエンターキーを叩いた。
「……やめて」
 シュンの喉からかすれた声が漏れる。
「返してよ」
 僕ならなにをされたってかまわない。なぐられたって蹴られたって我慢はできる。だけど、それだけはダメだ。その中には僕がこれまでに作ったゲームのプログラムデータがすべて入っているんだから。
「お。なんだ、これ? ゲームか?」
 卓郎は長い舌で唇をめると、食い入るようにモニタを眺め始めた。
「脱出ゲームか。へえ、面白そうじゃねえか」
 再び笑顔を見せ、キーボードを操作する。
「お願い……返して」
 シュンはそう口にするのが精一杯だった。歯向かおうにも、身体に力が入らない。卓郎の目を見るだけで、自分の意志とは関係なく全身が震えた。
 と突然、卓郎の手が止まった。
「どういうことだ?転校生」
けわしい表情でシュンを睨みつける。
「これ、おまえが作ったのか? ふざけやがって!」
 卓郎は大声で怒鳴ると、ノートパソコンを地面に叩きつけた。パソコンはまったぷたつに折れ、いくつかの部品があたりに飛び散る。
「ああ……」
 パソコンを拾い上げようとしたシュンの腹に、卓郎の蹴りが入った。焼けつくような痛み。シュンは身体をふたつに折り、その場にうずくまる。逆流した胃液が手の甲にこぼれ落ちた。
「転校生。おまえが俺のことをどう思ってるのかよーくわかったよ」
 シュンの背中に馬乗りになると、卓郎は吐き捨てるようにいった。
「誰も友達がいないおまえのことが可哀想で、だから俺が友達になってやろうと思ったのにさ。まさか、恩をあだで返されるとはな。あーあ、残念だ。ホント、裏切られた気分だよ」
 パーカーを強く引っ張られたため、首が圧迫された。息苦しさに耐えられず、身体をひねる。その反動で、卓郎が背中からくずれ落ちた。
「おいおい、どうしてくれるんだよ。服が汚れちまったじゃねえか」
 ジャケットについた泥を払い落としながら、卓郎が声を荒らげる。
「ゴ……ゴメン」
「クリーニング代を払ってもらわねえとなあ。ほら、金出せよ。あんなパソコンを持ち歩いてるくらいなんだから、小遣いだってたくさんもらってるんだろ?」
「ゴメン……お金は持ってない」
「嘘つくな。その中に入ってるんじゃねえのか?」
 卓郎はそう口にするなり、シュンのショルダーポーチを引きちぎり、中身を確認し始めた。
「やめて。それは……」
「なんだ。ガラクタばかりじゃねえか。つまんねえ奴だな」
 ふんと息を鳴らし、ポーチを沼に向かって放り投げる。
「あ—」
「クリーニング代として、明日二万円持ってこい。わかったな」
 乱れた髪形を手櫛で整えながら、卓郎は怒鳴った。
「おい。聞いてるのか? 転校生」
 彼の声は聞こえていたが、シュンには言葉を返すことができなかった。沼の底へ沈んでゆくポーチを、ただ呆然と眺め続けるのが精一杯。気を緩めれば、増幅する絶望感に押しつぶされてしまいそうになる。
 ……もうイヤだ。
 シュンは力を振り絞り、できる限りの大声を張りあげた。なんと叫んだかは自分でもよくわからない。ただ、卓郎が驚いた声でこちらを見たことだけは認識することができた。
 シュンの視界から、ポーチが消え失せる。
 またひとつ、負の感情が心の奥底に押し込まれるのがわかった。
 ああ……。
 唇の端からうつろな吐息が漏れた。身体の内側でなにかがはじける。

 次の瞬間、彼は絶望が漂う暗澹あんたんたる世界に取り込まれていた。

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青鬼

noprops /黒田研二 /鈴羅木かりん

個人制作のフリーゲームでありながら、20万部突破の小説化、AKB48入山杏奈さん主演の実写映画化と、とどまるところを知らない人気を博している「青鬼」。 近日発売が予定されている小説版『青鬼3(仮)』に先立ち、人気の火付け役となった小...もっと読む

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