インデペンデンス・デイ 
「ごっこ遊び」の快楽

今回の「およそ120分の祝祭」は、ローランド・エメリッヒ監督の大作『インデペンデンス・デイ』を取り上げます。観客に世界の終わりを直面させるディザスタームービー。その特徴や醍醐味をどう見るのか――ご一読ください。

世界が破滅するというビジョンに取りつかれ、飽くことなく、崩壊する世界の物語を撮りつづける映画監督がローランド・エメリッヒである。彼はさまざまな手段を用いて、この世界を繰りかえし破壊してきた。『インデペンデンス・デイ』(’96)で高度の科学力を有する宇宙人の襲来を描き、『2012』(’12)ではマヤ文明の予言にもとづく地球崩壊をテーマにした。さらには『デイ・アフター・トゥモロー』(’04)における温暖化の影響による氷河期の再到来や、『GODZILLA』(’98)での大都市における巨大生物の暴走など、危機的な災害はエメリッヒの中心テーマであった。

ディザスタームービーと呼ばれるジャンルは一定の人気を保ち、作品はコンスタントに製作されているが、エメリッヒほどこのジャンルに固執した映画作家もめずらしい。正直なところ、映画ファンから深く尊敬されているとは言いがたいこの監督の作品群に、僕はつねに個人的な関心を持って接してきた。

僕は、ジャンルとしてのディザスタームービーに格段の興味を抱いている。耽溺しているといってもいい。小学生の頃、通学路に貼りだされた、核戦争映画『ザ・デイ・アフター』(’83)の宣伝ポスターを初めて見たときの興奮も強く記憶している。世界が破滅すると想像しただけで、やけに気分が高揚したものだった。平穏で安定した社会へ不意に一撃がくわえられ、日常の底が抜けてしまうスリルは、このジャンルにしかない魅力だ。ひとたび世界が破滅すれば、あらゆる不公平が完全に解消され、財産や知能、容姿、その他すべての価値が意味をなさなくなる。ああ、この世のすべてがきれいさっぱりなくなればいいのに、と子どもの僕はディザスターの到来を願うのだった。

いらい、災害を描いた映画はつねに胸の高鳴る題材でありつづけた。たとえストーリーがどれだけ稚拙であっても、エンディングでいかに事態があっけなく収束してしまったとしてもかまわない。世界が終わるというだけで、興奮はすでに約束されていた。むろん娯楽作品である以上、本当に地球を崩壊させて物語を終わるわけにはいかず、人びとは手をたずさえて危機を脱しなくてはならないため、ディザスタームービーはその結末において、ときおり拍子抜けするほどに安易な解決をみる。しかし、それはこのジャンルが持つ語りの定型であって、映画を楽しむにあたってさほど大きな問題ではない。まず何より、この世界が破滅し、あらゆる価値が無効化するという究極のリセットに興奮が抑えきれないのである。

『インデペンデンス・デイ』は、ディザスタームービーの専門家であるエメリッヒの代表作だ。宇宙空間から突如あらわれた巨大な飛行物体が、いっせいに人類への攻撃を開始するという本作のストーリーには、観客が災害映画に求めるほとんどすべての要素が盛り込まれている。CGをフルに活用したスペクタクル映像も話題となり、見る人を多いに興奮させた人気作品である。

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エメリッヒ作品における破壊の魅力は、小さな子どもが積み上げたブロックを一気に崩して歓声を上げるような無邪気さの延長線上にある。僕が彼の作品にどうしても惹かれてしまうのはそこだ。世界を壊して遊んでみたいという、子どもじみて不謹慎な空想の映像化。深遠な思想はこれといって見当たらず、ただ「ホワイトハウスが爆破され粉々に砕け散ったら、きっとカッコいいに違いない!」という純粋な興味だけが存在している。だからこそ、破壊がエンターテインメントへと直結するのだ。

『インデペンデンス・デイ』で印象的なのは、異星人の宇宙船へ忍び込んで攻撃をしかけるふたり組の、人類の趨勢がかかった重要な任務でありながら、いっさい悲壮さのないようすだろう。時限爆弾をしかけて逃走するというクライマックス場面は、あたかも、いたずら好きの子どもが、見知らぬ家の呼び鈴を鳴らして逃げるかのようである。われわれは、それをフィクションとして受け取り、スリルを感じながら、どこかで安心してもいる。ことほどさように、エメリッヒの表現がチャーミングであるのは、それが「ごっこ遊び」の愉悦に満たされているからではないだろうか。

通常われわれは、恋愛映画を見れば、それをあたかも自分の経験のように受け取って胸を痛める。そこでは、登場人物が実在するかのような迫真性が求められるだろう。しかし、『インデペンデンス・デイ』の持つスペクタクルとは、あまりに壮大であるがゆえに疑似的でしかありえず、何より監督本人がそれを子どものように楽しんでしまっているため、観客はそこに「ごっこ遊び」特有の、二重のリアリティを見て取るほかない。これをよしとするかどうかで、エメリッヒの評価は分かれるはずだ。料理ごっこをする子どもが、泥をこねて丸めたものを、おにぎりと仮定するような見立てで、われわれは世界の破滅を楽しむのだ。

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およそ120分の祝祭 最新映画レビュー

伊藤聡

誰しもが名前は知っているようなメジャーな映画について、その意外な一面や思わぬ楽しみ方を綴る「およそ120分の祝祭」。ポップコーンへ手をのばしながらスクリーンに目をこらす――そんな幸福な気分で味わってほしい、ブロガーの伊藤聡さんによる連...もっと読む

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campintheair かつてcakesに『 約2年前 replyretweetfavorite

campintheair 月イチのcakes連載、今回はエメリッヒ論。エメリッヒ擁護の立場から、ディザスタームービーの魅力を語りました。読んでください! 約4年前 replyretweetfavorite