ずばり東京(開高健)前編

読まれる機会が失われつつある名著を、新しい「古典」として読み返すfinalventさんの書評連載。今回、新たな試みとして、cakes連載陣が「古典」に挙げる名作をfinalventさんが評します。まず始めは、独特な鋭い視点からのテレビ評「ワダアキ考」を連載する武田砂鉄さんが挙げる開高健『ずばり東京』。日本初のオリンピックに湧く東京の姿を、あらゆる視点から描いたノンフィクションです。連載開始当時幼稚園児だったfinalventさんは、本書をどのように読み解くのでしょうか。武田砂鉄さんのコメントと併せてお読みください。
『ずばり東京』について 武田砂鉄「ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜」
IOCのロゲ会長が「ト~キョ~」と2020年五輪開催地を叫んでからというものの、(世間はそれどころではないってのに)公的なアレコレはすっかり6年後に向けて浮ついています。1964年の成功体験をもう一度と力みながら、景観と採算を度外視した新国立競技場を作ろうとしている真っ最中ですが、あの五輪の前だって、世間はそれどころではありませんでした。60年代初頭、東京五輪へ向かう首都の歪みを這うように歩きつつ活写した開高健のルポは、膨張する東京の無節操と理不尽をすさまじい解像度で描きます。高層化するマンションを見つけりゃ「阿呆と煙は上へあがる」と吐き、スリを「孤独の芸術家」と称え、上野動物園に出向けば動物たちの「たちのぼる憂愁」に目を向ける。開高は、東京という都は多頭多足で、あらゆる関節に心臓がある、と書きます。今回の東京五輪招致のスローガンは「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ」。なんだそれ。「夢」なんて言葉で浅ましく熱狂を作り上げる前に、本書でひとまず、五輪を迎える街の狂騒、その有り様を振り返っておくべきではないでしょうか。

開高健が描いた60年代東京

 人の記憶はだいたい4歳ごろから始まる。1957年(昭和32年)生まれの私だとその年は1961年。軍施設払い下げ木造建物の幼稚園に入れられた、その光景を断片的にだが鮮明に覚えている。私の父は大正15年生まれで当時35歳。母は昭和8年生まれで当時28歳。親の生年を記したのは開高健の生年の比較のためである。彼は昭和5年(1930年)12月生まれである。

 私の幼稚園の行き帰りは緑色のボンネット・バスだった。園庭でバスを待つよう並んで座らせられると地面に鉄人28号を描いたものだった。鉄人28号のテレビアニメが始まったのが1963年(昭和38年)10月20日。開高健の『ずばり東京』の連載が「週刊朝日」で始まったのが、その二週間前、10月4日。幼稚園児の私が読んでいたわけではないが、同じ世界を見つめ、同じ空気を吸っていた。汚い空気だった。翌年私は小学一年生になる。東京オリンピックの年である。

ずばり東京 (文春文庫 (127‐6))
ずばり東京 (文春文庫 )

 『ずばり東京』は、翌年、1964年(昭和39年)の東京オリンピック直前の変わりゆく東京を描いて11月に連載を終えた。当時の上野や新宿のほかに思い出せることがいくつもある。書名「ずばり」からして、1961年(昭和36年)から始まった視聴者参加の娯楽テレビ番組「ズバリ!当てましょう」が思い当たる。番組の参加者は製品価格をズバリと当てることを競った。物が欲しくてたまらない時代だった。

 あれから半世紀。57歳になる私がこのルポルタージュを再読すれば、まずノスタルジーに圧倒されるのではないか。そんな気がした。不思議とそんなことはなかった。

 描かれている風景は確かに半世紀前である。現在の東京からは想像しにくい異世界と言えるかもしれない。渡し船や空き地の紙芝居は消えた。飯場や屋台といった光景もほとんど消えた。横田飛行場は今も騒音を起こすが回数は減った。意外にも西武新宿の歌声喫茶は残っていた。変わったものも多い。しかし『ずばり東京』の文章は驚くほど古びていない。描かれている対象も半世紀も前なのに、その視線が捉える人々はなぜか現代とよく似ている。文体の魔法によるところが大きい。

 当時33歳の開高健の文体は、現代の33歳のルポライターの文体とほとんど変わらない。文章の巧妙さは圧倒的である。が、天才だったからというだけではない。魔法の秘密は書き方ではない。あり方なのだ。

 再読にふけっていると、共感とともに対立するある違和感が心に浮かび上がる。静かに物思いに沈み、苦しくなって思い出の水面で息を継いでから、「開高健は異邦人なのだ」と吐き出す。

東京に吹き寄せられた異邦人
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finalvent

「極東ブログ」で知られるブロガーのfinalventさん。時事問題や、料理のレシピなどジャンルを問わない様々な記事を書かれているが、その中でもとりわけ人気が高いのが書評記事。本連載は、時が経つにつれ読まれる機会が減っている近代以降の名...もっと読む

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