KADOKAWA/1404円/7月25日発売
あらすじ:夏の甲子園。初出場をかけた地区予選決勝で敗れ、海藤高校野球部の夏は終わった。だがそこへ、優勝校の東祥学園が不祥事によって出場を辞退したという報せが届き——。エースや補欠、敵チーム、そして両親から監督、新聞記者まで、さまざまな視点から「敗者」が描かれる鮮烈な青春小説!
この1ページがすごい!
今まで何のために……。
何のために野球をやってきたんだよ。
真夏の日の下で、真冬の風の中で、仲間と一緒にボールを投げて、打って、走ってきた。本気で辞めようかと悩んだことも、悔しくて泣いたこともある。けれど、仲間がいる喜びも、昨日の自分を超えられた興奮も、野球が教えてくれたのだ。
「野球ってすげえな」
「ああ、おもしれえ」
紘一と頷き合ったことも一度や二度ではない。
「ずっと東祥で野球、やれたらいいのにな」
「そうだな」
歓喜、忍耐、失望、奮闘、仲間、親友、興奮、自省……。野球の中にはあらゆるものが渦巻いていると感じていた。渦巻きながら、未知のどこかに運んでくれると、信じていた。
信じた結果が、行き着いた先が、これか。
この惨めさ、このやりきれなさ、この行き場のない感情が、おれたちの野球のゴールなのか。
馬鹿野郎。馬鹿野郎。馬鹿野郎。馬鹿野郎。
この世界のことごとくを呪いたい。罵りたい。呪い、罵ることで諦めきれない思いと何とか折り合いをつけたい。そうしないと、こんな情動を抱えたまま、いつまでも彷徨うことになる。
耐えられない。無理やりにでも踏ん切りをつけなくちゃ、耐えられない。けれど、その踏ん切りのつけ方がわからないのだ。
心というものが身体のどこかにあるのなら、折り合いのつけられない感情で膨れ上がり、膨れ上がり、いつか、破裂してしまう。 だれか教えてくれ。 折り合いのつけ方を。裂けて散らずにすむ方法を。
——『敗者たちの季節』77〜79ページより
敗れ去った少年の姿が目に焼きついていた
—— 『敗者たちの季節』を読むにあたり、私は野球に疎いので、夢中で読めるかなと心配していました……が、1章終わりで「一瞬の絶対的な静寂。」という一行でブワッと鳥肌がたって、身を乗り出して一気に読み終えました!
あさのあつこ(以下、あさの) ありがとうございます。そう言っていただくとうれしいです。
—— 冒頭から急展開をしますよね。甲子園に向かう地方大会の決勝、同点でむかえた9回裏でサヨナラ負けをしてしまいます。
あさの そうですね。とにかく、「敗北することから始まる物語」をずっと考えていました。
—— つづく2章で、優勝した相手のチームが、不祥事によって出場を辞退。一転、甲子園に行けることになります。このユニークな展開ははじめから決めていたんですか?
あさの ええ、漠然とした形ではありましたけど。精一杯がんばって、ある程度納得もできる負けもあるけれど、不祥事で出場辞退をしたチームの場合は、野球の勝敗ではなく、人が生きるっていうことの上で、手痛い敗北を味わいますよね。そういういろんな勝ち方、負け方を若い人たちに課してみたいっていうのがものすごくあって。
—— 3章では不祥事を起こしたチームが描かれる。どうして勝負の「勝ち」ではなく「負け」に興味をひかれたのですか?
あさの そうですね、実は以前に甲子園の取材に行ったときに気になっていたことがあって。試合のあと、負けた学校の選手が土を持って帰りますよね。泥だらけのユニフォームで土を集めているすぐ目の前を、これから戦う真っ白なユニフォームの子達が通って行ったんですよ。
—— はい。
あさの そのときに、土を入れていたひとりの選手が顔を上げて、遠ざかってく真っ白なユニフォームの背中をすっと見たんです。その負けたチームの少年の姿が妙に目に焼きついていて。この子は何を思っているんだろう。その子もベンチにいた子も含めて、その時から敗れ去っていくものは何を考えるのかっていうのがずっとひっかかっていたんです。
—— 敗れ去っていくもの、ですか。
あさの ええ。甲子園はプロ野球と違って、高3で負ければ明日がない、舞台から去らなければいけない場所なので、高校球児として明日を絶たれたものたちを描きたいと思いました。
自分がいつか負けた思い出をひきずりだして
—— いままで多くの作品を書かれていますが、この作品ならではの新しさといえば、やはり「負け」というテーマでしょうか?
あさの そうですね。やはり「負ける」っていうことに正面から玉砕覚悟でぶつかっていくというところですね。この作品を書きながら、野球には全然関係ないところで、私自身はどんな負け方をしてきただろうって、自分にとっての敗北を掘り起こしたつもりではあります。ものを書く上での焦燥であったり、挫折であったりっていうことと野球がつながってくるっていうのを、改めて見つけたような気がしましたね。
—— むかし味わった悔しい気持ちを思い浮かべて。
あさの はい。書けなくて書けなくて悶々としたことや、すごい批判されて悔しかったこと、ごまかして逃げたことなど、たくさんの大きなものから小さなものまで、負けた味っていうのをずいぶんと掘り起こしたなと思います。
—— あさのさんは、30代後半に作家デビューされましたが、それまでは作家になりたいのになれない、という屈託は強くあったんですか?
あさの そうですね。ずっとごまかしてきたというか、結婚して子供が3人いて、子育てをしながらも悶々としていて。子育てって楽しいですけど、とても大変でエネルギーをすごく使います。だから、書けなくても仕方ないじゃないかとか、このまま書けなくても子供をちゃんと育てて、きちんとした生き方をしてるじゃないかって自分に言い聞かせていました。
—— ええ。
あさの でも、それはごまかしに過ぎないなとどこかで気づいてはいたんです。それでなんとかすれば時間ってできるんですけど、いくら原稿用紙に向かい合っても一行も書けなかったり、書いても箸にも棒にもかからないものしか書けなかったりとかっていうことをやりながら、作家活動から逃げよう逃げようとしていたっていう時期もありましたね。
—— あさのさんにもそんな時代があって、それが今作の糧になった。
あさの 泥沼をグズグズ歩きまわっているような、ああいう時も決して無駄ではなかったっていうはやっぱりあります。そして、この作品がなかったら、自分が「負けていた」っていうことを認めないままだったかもしれないなという気はしました。
—— 作中には、「負けることは恥ではない。けれど、負けて悔しさを覚えない自分を恥じろ」など、多種多様な勝敗についての思いが描かれています。
あさの そうですね。小説でなにができるかっていうことを、どの作品を書くときでも考えるんですけど、スポーツ、特に高校野球の甲子園は、やっぱり人々はわかりやすい物語を求めてしまうところがあると思うんです。「亡き父に捧げる一勝」とか「友の思いを背負ってマウンドに立つ」とか。でも、小説だからこそ、その安易な筋書きの枠を壊していくおもしろい物語を書けないだろうかって思いながら書きました。
—— 確かにサクセスストーリーでも、悲劇の物語でもない。チームのエースと補欠、リードする側とされる側、まだ成熟してない高校生それぞれの心の隙というか揺れ動きによって、多面的に描かれていたと思いました。
あさの そう、高校生は隙だらけだし、だからこそおもしろい。なにより野球に懸けている情熱っていうのもみんな半端ではないんですよね。
—— 一球一打にすべてを懸けているからこそ、追い詰められてしまう。
あさの その追い詰められ方っていうのはすごいものがあると思うんです。だからこそ、こんなにも人は甲子園に魅せられるのではないかと思うんですよね。セオリーというか、あらかじめ決められた予定調和がなくて、とんでもないことが起こりうるっていうことが甲子園にはある。
—— 高校生の大会を、NHKが全国放送するわけですもんね。
あさの あれだけの人が熱狂させる勝負を、わかりやすい青春ドラマだとか、そういう安易な枠組みに魅力を閉じ込めたくなくて、じゃあその魅力は何だというのを自分で考えたときに、こういう物語が出てきました。
次回「本当の勝負って、もうちょっと入り組んでいて、重いもの」、7/16更新予定
インタビュー・執筆:中島洋一、撮影:吉澤健太