「言葉にトゲのある子」と言われて
藤野英人(以下、藤野) 最後に、絶対にこの取材でお聞きしようと思っていたことを聞きます。それは、「糸井さんにとって、言葉とはなんですか?」という質問です。
糸井重里(以下、糸井) それは大変な質問ですねえ(笑)。どうしようかな。まずはこの話からしましょうか。ぼくは生まれてすぐ親が離婚して、おばあちゃんに育てられました。で、小学3年のときに、新しい母親が来たんです。いなかったものが来るっていうのは、やっぱりいいものですよね。ぼくは新しいお母さんが来たことがすっごくうれしくて、できるだけ仲良くしたいと思ってました。
藤野 うん、うん。
糸井 でも、そううまくはいかなかった。何かの折に、ぼくはおなかが空いたことをおもしろおかしく表現したくて、「腹がへったー!」って言いながらのたうちまわったんです。そうしたらね、ぼくのいないところで家族会議がおこなわれて、母親がばあちゃんと父さんに「あんな大げさに言うなんて、まるで私がいじめているみたいじゃない」と泣いて訴えたんですよ。
藤野 うーん。
糸井 ぼくは陰でその話し合いを聞いていたんです。そのうち、「あの子は言葉にトゲがあるから」っていう声が聞こえてきて。
藤野 ああ……。
糸井 3人とも一致してぼくのことをそう言っていました。9歳のぼくはすごくびっくりしたんです。ショックを直に受け取っちゃったというか。その衝撃は、ぼくのなかで通奏低音のようにずっと流れています。この一件で、違う意味をもって伝わってしまう言葉に対して、すごく過敏になりました。
藤野 その出来事は大きいですね。
糸井 そのあとが、学生運動です。学生運動って思想や革命の意図を論じるために、仲間内で特殊な言葉の使い方をするんです。その言葉を使っている限りはみんな、「明日は革命だ!」という信念に基づいて動かなければいけない。独自の論理がきちきち組み立てられていて、がんじがらめになってしまうんです。このへんは、山本直樹さん『レッド』というマンガによく描かれています。1巻からまあ、おもしろくなくて見事なんですよ(笑)。
藤野 おもしろくなくて見事、ってどういうことですか(笑)。
糸井 ドラマを排除してるんです。登場人物の生い立ちの部分を話させたら、もっとおもしろくなるはずなんです。無垢だった一人の少年が、こんな経緯があって学生運動にのめり込んでしまったのかと、同情もできるし。生い立ちがあれば文学になるんです。でも、そうはしない。ただ事実だけを描く。
藤野 それって、逆に大変そうですね。
糸井 そうなんです。きっと山本さんも、もっと登場人物に肩入れしたい、という気持ちと戦っていると思います。ある人が、リンチにあって縛られてるシーンがあるんです。それって、かわいそうじゃないですか。なのに、その人が縛られたまま、別の人を糾弾する論争に加わったりするんです。すると、こちらの同情する気持ちが薄れるんですよね。でも、そういうことが本当におこなわれていたんだと思います。もうね、そのリアルを追求する描写に、作者の魂の強さを感じます。
藤野 読者は、観察している立場に立たされるんですね。
糸井 ぼく自身は、連合赤軍と関わるところまではいっていないんです。でも、そのひな形みたいな組織の近くにいた。「お前は間違っている」と、人を追い詰めるやり方。論争だけでその人の行く末が決まってしまう瞬間。そういうのを山ほど見てきました。
藤野 おそろしいことですね……。
糸井 論争のさらに後ろには、暴力がある。力と言葉が一緒になって人の生死が決められていく。その世界にいたことに対する整理が、ずっとついていなかった。ぼくが第2回で話したようなフラットであることの「自由」を人以上に感じるのは、言葉が人を不幸にしていくところを見てきたからかもしれません。そして、「そうじゃなくて、こういう道もあるよ」って、死ぬまで示し続けることが、自分の仕事になるんじゃないかなって。
藤野 うーん、なるほど。
糸井 ぼくはきっと、たった1年の学生運動で見たものと、どうやったら違う答えを出せるのか、考えて続けているんです。「それは間違ってる」って本気で笑って言えるように、理論じゃなくて、やってみせようとしている。個人的に傷ついた経験と、社会的に人が言葉に追い詰められていくところを見たこと。このふたつがぼくと言葉の関係に影響してると思います。
ミーティングで、発言しなくたっていい
藤野 それでも、コピーライターという言葉の仕事を選ばれた。
糸井 広告屋になったのは、言葉を武器として使いたかったのではなく、言葉がある種の豊かさを広げてくれると思っていたからです。ぼくがドラッカーをおもしろいと思ったのも、同じことで、「市場の創造」とか「顧客の創造」って、言葉の鍵をきっかけにして「ここでも遊べるぞ」って提示することでしょ?
藤野 ああ、ほんとにそうですね。
糸井 売る側は市場をつくれて自分たちの糧ができるし、買う側は「ありがとう」って言えるようなものがそこにやってくるわけだから。ぼくの言葉との格闘……格闘って言うとおおげさかな、言葉との関係のなかでドラッカーはぼくに合っているな、と思ったんです。
藤野 近年、SNSなどで発信者として多くの人が出てきましたよね。言葉との向き合い方について、新しい時代に入ってきているのかなと思うんです。糸井さんは、このSNS時代の言葉ってどういうふうに見ていらっしゃいますか?