フランスから到来した黒船
結婚すらもファッションにグッと寄せて考える『オリーブ』ですから、雑誌としての軸足は、ファッションにあります。『ギャルズライフ』を読むズベ公、じゃなくてツッパリ少女達が制服のスカートを長くしたりビールで髪を脱色したりしている時、『オリーブ』第三十一号の特集は、
「有名デザイナー10人が、オリーブ少女のために作った服。」
というもの。菊池武夫、川久保玲、金子功、稲葉賀恵……といった有名デザイナー達が、少女向けの服をデザインしたらこうなる、というページなのです。
『オリーブ』 1983年10月3日号
当時の日本は、「BIGI」「NICOLE」「PERSON’S」「BA-TSU」……といったDCブランドブーム。DCブランドとは何かと申しますと、D=デザイナーズブランド、C=キャラクターズブランド、のこと。若手日本人デザイナー達が色々なブランドを立ち上げ、渋谷のパルコやラフォーレ原宿といったファッションビルを飾っていました。キャラクターズブランドというのがよくわかりませんが、特定の有名デザイナーの名は立てず、「こういう感じのイメージで」と打ち出すのがキャラクターズブランドだったらしい。
今では、安くてそうダサくもなくてシンプルという「ファストファッション」を若者は気軽に買うことができますが、当時はその手のものはまだ存在していませんでした。安いものは必ずダサく、そして家電から服まで、安いものにはなぜか、変な花模様とかがついていたのです。そのような現状に対するアンチテーゼとして登場したのが、一九八〇年にできた無印良品でありましょう。
そしてお母さんがスーパーで買って来るような服は絶対に着たくない若者が憧れたのが、DCブランドの服でした。この号の「オリーブ少女、ぴったりブランドの服」というページを見てみると、「BASSO」「ATSUKI ONISHI」「D.GRACE」といった、懐かしくて目頭が熱くなりそうなブランド名が並んでいます。「DO!FAMILY」は今でもお店を見かけますし、ああ「HONEY HOUSE」って中学の時に好きだったワ……などと、思いは千々に乱れます。
しかしこれらの服は、決して安くはありません。ファストファッションのように、Tシャツが千円以下で買えるわけではなく、たとえば「VIVAYOU」のTシャツは七千九百円。スカートもセーターも、一万〜三万円台はして、オリーブ少女の年代にとっては高いだろう、という価格なのです。
しかし我々は、それでもDCブランドの服を手に入れようとしていました。親から何とかお金を引き出したり、学校で禁止されているアルバイトをこっそりしたり。私も、親をラフォーレや渋谷西武まで連れ出すのに成功した時は、嬉しかったものだっけなぁ……。
このように『オリーブ』は、それまでは眠っていた少女達のお洒落心に、火をつけてしまいました。学校では制服、家ではジャージを着ていればよかった中高生が、「お金のかかるお洒落」の方向へと、向かい出したのです。
しかし、ただ火をつけるだけでは、『オリーブ』としては満足しなかったようです。オリーブ少女達のお洒落心にさらなる衝撃を与えたのは、フランスから到来した黒船。その名も「リセエンヌ」です。
『オリーブ』 1983年12月3日号
一九八三年の十一月十八日に発売された第三十五号の表紙に記されているのは、
「オリーブ少女は、
リセエンヌを
真似しよう!」
という一文。ショートカットのモデルは、ボストンタイプの眼鏡をかけてベレー帽をかぶり、本と、学生鞄っぽいかっちりとしたバッグを持っています。
私のようなドメスティック系オリーブ少女が「リセエンヌって、何ぞ?」とページをめくると、
「リセエンヌって、知ってる?」
と、待ってましたとばかりのページが。
マガジンハウスからのお触れ
「リセ(Lycée)って、フランスの公立の中等学校のこと」
「だから、リセエンヌっていえば、フランスの中・高校生の女の子たち」
ということなのだそう。そして見開きいっぱいの文章の最後に記されているのは、
「リセエンヌ=フランスのオリーブ少女なのです」
「さりげなくおしゃれで、いい感じ。どことなくかわいくて、夢がありそう。大人っぽく見えるからといって、ちっとも背伸びしてるわけではなくて、ティーンエイジのいまにぴったりの、自分のスタイルをもっている少女でもあります。そんな女の子になりたかったら、リセエンヌのライフスタイル、しっかり盗んじゃおう!」
という文章。
この見開きページは、すなわちオリーブの「リセエンヌ宣言」です。日本の少女達よ、リセエンヌに憧れろ! ……という、マガジンハウスからのお触れなのです。
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