小説を書きたい、工作をしたい、といったメールをもらう。「どうしたら、上手くできるようになりますか?」と尋ねる人が多い。たぶん、スポーツとか、仕事などでも同様だろう。たまたまスポーツとか仕事では、僕にアドバイスを求めないだけだ。
なんでも同じだが、どうして「上手くできません」と言うのだろう。何を作ったの? 何を書いたの? できたものを見せて、と言うと、たいてい、なにもできていない。ようするに、「上手くできない」のではなく、「できない」のである。
できないことの言い訳として、「上手くいかない」と言う。「自分が思ったとおりにできないから」なんて言う人もいるが、これも「できた」わけではない。ほんの少し「やりかけた」程度なのだ。
つまり、作品などを最後まで完成させていない。それでは話にならない。上手くいかなくても良いし、自分の思ったとおりにできなくても良いから、いちおう完成させてみてはいかがか、というアドバイスしかできない。
何故なら、たとえその道のプロや、あるいは天才の類であっても、「上手くできた」なんて思わないし、「自分の思ったとおり」にはならないと常々感じているのである。ただ、しかたなくそれでも作り続け、それを世に出しているだけなのだ。
どんなに上手くいかなくても、思ったとおりにできなくても、ものが完成すれば、それなりに嬉しいものだ。まあ、今の自分ではこの程度かもしれない、でも、よく頑張ったじゃないか、と自分を褒めてやりたくなる。そういう思いは、達成感であって、完全な満足ではないかもしれないけれど、苦しみのあとにほっと一息つける楽しみの一つだ。
一つの作品ができると、次はもう少しまともなものを作りたいと誰でも思う。だから、どうすれば良いのかと考えるし、一作めでやってしまった沢山の失敗を繰り返さないように注意もするだろう。したがって、一作書けば、「どうすれば上手くできるか」が少しわかる。また二作めを書けば、もっと「思いどおりに作れる」方法もわかってくる。作れば作るほど、貴方は上手になるし、思いどおりに作れるようになるだろう。
結局、上手くなる方法は作り続けることである。だから、作り続けている人は、そんな漠然とした疑問を口にしない。もっと詳細でスペシャルな疑問を持っているはずだ。
この頃の人は、「どうしたら楽しく○○できるか」といったことをよく話題にしている。この疑問に対しても、まったく同じ回答で処理ができるだろう。
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