「似ている芸能人は?」「aikoです」が乱立するワケ
ニキビだらけの自分のツラは棚に上げて「クラスの誰がかわいいか、かわいくないか」を延々と議論した修学旅行の夜はやっぱり忘れ難く、あの時、男子の中で賛成・反対が二分された人の名前を未だに忘れていない。議論はそう簡単にはまとまらず「予選突破できるかどうかは得失点差次第」とでも言うような、絶対に負けられない戦いがそこにはあった。「美醜」とはまったく残酷な熟語で、本当は美と醜のあいだにはいくつもの段階があるというのに、そのグラデーションを無視してこそ議論が白熱することを知っているものだから、美醜の議論は常にパワープレイで、強引な攻防が続いてしまう。
さて、aikoの話だ。『Tokyo graffiti』という素人のスナップ写真ばかりで構成される雑誌には「似ている芸能人は?」の答えを顔写真に添えるという、ニキビだらけの学生が見ていれば、時間がいくらあっても議論し足りないページがあった。「長澤まさみ」と書いた誰かを見つけては、これは川の向こう岸から見たくらいの距離で、って前提なのかなとか、「永作博美」を見つけては、女子高生が童顔の女性に似ているというのは老けている自覚ありってことでいいのかとか、白熱する議論をいくらでも呼び込むのだ。んで、そのページで頻繁に見かける名前が「aiko」なのだった。
「またaikoの話をされたよ」とのクレームが多発する編集者
集団的自衛権でも特定秘密保護法案でも、最終的に賛成派・反対派の両者を落ち着かせる「議論の落としどころ」を用意したがるのが政治のキナ臭さであるのだけれど、「誰に似てるって言われる?」「えっと……aiko」という答えもまた、そういう側面を持っている。落としどころとしてのaiko。「長澤まさみ」では野党が「ふざけんなっ」と紛糾するし、女芸人の名前をあげると今度は身内から「日和ったな。それでは攻めきれないよ」と懸念の声があがる。美醜のグラデーションにおいてaikoというのは巧妙なポジショニングにある。音楽性云々を差し置いて、このことをまず伝えておく。
aikoについて議論を深めるのであれば、この連載の担当編集者(ドログバ似の男性)に登場してもらうのが早い。とにかくaikoのことが好きで好きで、「あの人からまたaikoの話をされたよ」と業界のあちこちからクレームが多発しているほどである。さすがに話を聞かずにこの原稿は書けまいと「aikoの魅力についてお話いただけませんか?」とメールを打つと、YES・NOの返事を通り越して「金曜、19時に外苑前のドトールで」と、時間・場所の指定が即座に返ってきた。
「aikoの何がいいんですか?」「言っている意味が分かりません」
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