27歳の地図—ボウリング・フォー・キュウシュウ 後編

タモリの足跡とともに戦後史をたどる連載、今回はタモリと同世代の日本の「笑い」を変えた人たちが、どのようにして表舞台に出てきたのか。その中でタモリはどのような存在だったのかを振り返ります。そして、タモリが『笑っていいとも!』収録のために32年間通い続けたスタジオアルタはいかにして建てられたのか。そこにはあの大手百貨店が大きく関わっていました。

終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!

タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)

せんだみつおは偉かった

いまではすっかり忘れ去られていることだが、40年ほど前、せんだみつおがテレビのバラエティ番組で大活躍していた時代がある。まだタモリもビートたけしもブラウン管に出るか出ないかという頃だ。1947年生まれのせんだは、戦後生まれのバラエティタレントの先駆けともいえるかもしれない。

せんだみつおがかつてトップタレントであったという事実を、「信じられない」と思えるのもせいぜい私も含めた現在40歳前後の世代ぐらいまでで、おそらく若い世代はせんだの名前さえも知らないのではないか。しかし彼がバラエティに残した足跡は、あながちバカにならない。たとえば、ビートたけしの「ナハナハ」「コマネチ!」というギャグが、もともとせんだの持ちネタであることはわりによく知られている(「ナハナハ」はいまだにせんだのイメージのほうが強いが)。あるいは秋元康が放送作家となったのは、高校時代にせんだのラジオ番組を聴いて「自分にも書けるかもしれない」と思い、台本を投稿したのがきっかけだったという。タモリの最初期のレギュラー番組の一つ、日本テレビの『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(1973~79年)でも、せんだが和田アキ子らとメインを張っていた。

せんだの人気を決定づけたTBSの『ぎんざNOW!』も、テレビ史に一つのエポックをつくった番組である。平日夕方、銀座のサテライトスタジオ「銀座テレサ」に観客を入れての公開生放送で、せんだは1972年の放送開始とともに司会に抜擢された。番組自体は79年まで続いたが、せんだ自身は体の不調からその前年に降板している。以後、タモリのブレイク、それから1980年代初めの漫才ブームと、笑いの世界に新風が吹くなかで、せんだの影は薄くなっていく。

たけし・鶴瓶・さんま・関根勤……みんなタモリの先輩だった

『ぎんざNOW!』は毎週月~金の公開生放送であることに加え、出演者に素人をメインに据えた点でも、のちの『笑っていいとも!』を先取りしていたといえる。『いいとも!』でもっとも長くレギュラーを務めた関根勤も、この番組の「素人コメディアン道場」というコーナーで5週勝ち抜いて優勝したところをスカウトされて芸能界にデビューしている。1974年、関根が21歳のときだ。

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この連載がついに書籍化!「森田一義」はいかにして「タモリ」になったのか。関係者への追加取材や大幅加筆でその足跡をさらに浮き彫りにします!

この連載について

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タモリの地図—森田一義と歩く戦後史

近藤正高

2014年3月31日、『笑っていいとも!』が32年間の歴史に幕を下ろしました。約32年間、毎日テレビに出続け今や国民的タレントになったタモリ。そんな「昼の顔」だけでなく、アングラ芸で身を起こし、深夜番組『タモリ倶楽部』で披露する「夜の...もっと読む

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コメント

donkou 拙連載「 3年以上前 replyretweetfavorite

donkou 三越社長解任の瞬間「なぜだ」と叫んだ岡田茂。その翌月に始まった『いいとも!』と岡田の意外な関係をひもときます。 3年以上前 replyretweetfavorite

nz_mk タモリの話。おもろー。" https://t.co/fT6ef9VHxp 3年以上前 replyretweetfavorite

toronei 先日の深夜というかほぼ未明にやった話にも通じるなあ。 3年以上前 replyretweetfavorite