「神去」のDNAはディテールに宿る
柳瀬博一(以下、柳瀬) 僕は小説『神去なあなあ日常』を読んでから映画『WOOD JOB!』を観たんですけど、それぞれ違った魅力があって、きっと映画を観てから小説を読んでも楽しめるだろうなと思いました。三浦さんの作品は、箱根駅伝を題材にした『風が強く吹いている』にしても、『まほろ駅前』シリーズにしても、『舟を編む』にしても、映画やテレビドラマ化された作品がいずれも秀作ぞろい。表現媒体がテキストから映像になっても新しい魅力を発見できます。
三浦しをん(以下、三浦) そう思ってもらえるとうれしいですね。いち視聴者として、自分の作品の映像化は、映画もドラマもどれも本当にすばらしいなあと思っています。小説と映像、どちらか片方に引っ張られず、お互いを尊重し合えるバランスで作品にしていただいていて、ありがたいです。
柳瀬 小説だから楽しめるところ、映像だから楽しめるところがどちらもありますよね。小説では、わかりやすく伝えるために、あえて漫画的に表現しているところがある。例えば小説のヨキ(伊藤英明)は破天荒なキャラクターということで金髪にしているけれど、映画では黒髪。小説では斧一本で木を切り倒す設定でしたが、映画ではチェーンソーを使っています。
三浦 そうですね。小説では必要に応じて、あえてデフォルメを効かせて、とっつきやすくしようと心がけています。特に、『神去なあなあ日常』のテーマである林業は、あまり知られていない世界なので、最初から興味がある人は少ないと思い、そこをより意識して書きましたね。
柳瀬 その意味では、映画のほうが、日常的な設定ですね。主人公の勇気(染谷将太)も、いきなり山に連れて行かれるのではなく、自分でパンフレットを見て「緑の研修生」に応募する。
三浦 映画を観て、文章から映像への変換が、すごくうまいなあと思いました。矢口監督が映像という表現について考えぬいていらっしゃるからこそ、できることですよね。映像はさまざまな情報が一瞬で伝わるので、小説の展開のまま映像にしちゃうと、ウソっぽく見てしまう部分が出てきちゃう。ここはもっとリアルにしておこう、という脚本のアレンジ、本当に見事でした。
柳瀬 一方、木の切り方や、山が霧に包まれる様子など、三浦さんならではの仕事風景や情景描写のディテールに関しては同じなんですよね。小説の魂を、がっちり掴んだ上でアレンジしているから、ストーリーやキャラクター設定を変えても、小説と同じ読後感、いや「観後感」が得られるんだろうな、と思いました。
三浦 まさにそうだと思います。私が「神去」シリーズで描きたかったのは、山の魅力であり、林業という仕事であり、そこで生きている人達の姿なんですよね。そこを描いていただければ、ストーリーやお祭りの中身が違っても、「そうそう、これこれ!」という気持ちになれる。矢口監督は小説で私がどこを書きたかったのかを的確に汲み取ってくださったんだと思います。そして、それが監督が描きたい部分と思っているものとうまく合致したんでしょうね。
柳瀬 映画で「神様」と「エロ」をちゃんと描いているところもいいですよね。これは、原作に通底している大事なテーマだと思うんです。山に取材に行かれたとき、やっぱり神様的なものの存在を感じたりしたんですか?
三浦 いえいえ、私なんてちょっとお邪魔しただけのひよっこですから。そんな深淵な部分までは感じ取れなかったのですが、林業をやっていらっしゃる方たちは感じていらっしゃるようでした。お話の端々から、山に対する畏敬の念をいつも抱いていらっしゃることが伝わってきました。
柳瀬 「神去」シリーズで描かれている神様って、キリスト教やイスラム教の神のような唯一絶対的な感じではなく、ふと横を通りすぎていくような、遍在している神様ですよね。
三浦 日常と地続きな神様なんですよね。日本で暮らしているとアニミズム的な、どこにでも神様がいる感覚って、知らぬ間に身に染みこんでるなと思うんですよ。大きな岩についお金を置くとか、きれいな泉に5円玉が投げられているとか。
柳瀬 金ピカの5円玉、ありますね(笑)。
三浦 ああいうのって、よく考えると不思議じゃないですか。でも、みんな普通の行為として受け止めていますよね。
柳瀬 これって、「霊が見える」みたいな話とはぜんぜん違いますよね。
三浦 むしろ霊感ではなく習慣に近い。そういうふうに世界を認識しているということだと思います。何を禁忌とするかもそうなんですけど、どう世界を認識するかって、その地域の文化や社会が長い時間をかけて築いてきたものですよね。そういうものは身に染みついているので、拭いがたい。
柳瀬 神去村は「神の去る村」なんですよね。どうしてこういう名前にしたんですか?
三浦 「神去村(かむさりむら)」という字面と響きがかっこいいな、と思ったのが最初です。そこから、神様が去った村ってどんな村かな、と考えました。『神去なあなあ日常』の続編の『神去なあなあ夜話』では、神去村の起源を書いています。