まだ僕が学生だった、いまから20〜30年くらい前のこと。
僕の父方の祖母は、大きく腰が曲がっていた。長い長い間腰をかがめて働いてきて、そのまま固まってしまったかのようだった。早くに夫を亡くし、震災と空襲の両方で家を失い、息子を兵隊にとられた。関東大震災と太平洋戦争の両方を体験。厳しい人生だっただろう。
晩年はいつも同じ場所に座って、一日中テレビを見ていた。おそらくそれは、当時どこにでもいた、ごく平凡な老人の姿だったろう。老いや死を迎えることを、さほど嫌がっているふうでもなかった。自然の摂理には逆らわない。そんな自然体な感じとでもいえばいいのだろうか? 曲がった腰を治そうと医者に通ったという話も聞いたことがない。ある日、廊下で倒れているところを家族に見つけられたが、眠っていただけだと強弁し、救急車に乗ることを拒んだ。しばらく後にもう一度倒れ、意識を取り戻したときに病院にいるとわかると、かんしゃくを起こした。そして入院後ちょうど1週間で亡くなった。
母方の祖父も同じだった。夜中に気分が悪くなったが、救急車を呼ぼうというと、「あんなみっともないものに乗れるか」と怒りだし、結局手遅れになった。死にたくないという気持ちより、恥ずかしいことをしたくない、という感覚のほうが強かったのか。
それは別に僕の祖父母だけというわけでもなく、世の中の年寄りは、誰もがみんなそんなふうだった。着ている服も立ち居振る舞いもいかにも「高齢者」らしかったのだ。みんな気丈に振るまい、そして静かに老いを受け入れ、あまり「死」を怖がるふうでもなかった。
若返った高齢者たち
やがて自分たちの親も、かつての祖父母のようになるのだろう。漠然とそう思っていた。ところが、だ。
今の高齢者は「年寄り」に見えない。
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