虚構を現実にする技術・SR
無菌室にも似た白い部屋。
隅におかれた一脚の赤い椅子に座ると、SRシステムの研究チームメンバーが、「エイリアンヘッド」と呼ばれる黒光りするヘルメットを手にして現れました。
かぶると、大きめのフルフェイスヘルメットくらいの重量に、すこし頭がぐらつく。
目と耳がすっぽりと覆われた状態にもかかわらず、内部にあるモニタに外の様子が映しだされ、顔を動かすとさっきと変わらない部屋の風景が見えます。
耳元のスピーカーからメンバーの声。
「両手を見てください」
両手を目の前にかざして左右に手を動かしてみると、カメラから映像を送っているためか、コンマ数秒ほどのズレがあるようです。
身体感覚がズレるような奇妙な感じ……ふと、この感覚を知っている、なにかに似ている……という不思議な既視感に襲われました。
なんだろう? あ……これはアレだ。
と、その感覚に思い至ったとき、
「では、ちょっとまわりを見てください」
そう言われ、目の前に立っている藤井直敬さんから視線を外し、上下左右に首を動かしてみました。
「はいけっこうです。ところで私はここにいると思いますか?」
「はい」
「じゃあ握手しましょう」
差し伸べられた手をにぎろうと伸ばしたぼくの右手が、文字通り空を掴んだ。
「いまここにいる、この私は一年前の私です」
そう言うと目の前にいた藤井さんは消え、部屋の入口から藤井さんがまた現れました。
「どこで過去の映像データとすりかわっていたのか、わかりましたか」
「いえ……わかりませんでした」
「いまここにいる私が、本物か偽物かわかりますか」
「……どっちも偽物、というトリックですか?」
藤井さんがまた手を伸ばし、それに触れると——今度は感触がある。
……現実と虚構の見分けがつかない。
フィクションではこの手の展開はよくあることです。
最近だと、登場人物たちが潜在意識と現実を行き来するうちに、観客もどちらが現実かわからなくなってくる、クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」が話題になりましたが、さらに有名なのはウォシャウスキー監督の「マトリックス」でしょうか。我々が生きるこの現実世界は実は機械がつくった虚構の現実である、という設定は様々なジャンルに影響を与えました。彼らはよくインタビューなどで、押井守の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』からの影響を語りますが、押井作品は初期から一貫して「虚構と現実」の関係がテーマになっています。
小説ではなんといってもフィリップ・K・ディックが挙げられます。彼の作品には、自分が信じていた現実、あるいは自分自身すらが虚構であったというテーマを描いたものがたくさんあります。
このように、フィクションのなかではありがちな、「虚構と現実の見分けがつかない」という感覚ですが、現実ではドラッグでもやらない限りほとんど経験できません。
どんなにリアルなゲームや映画を見ても、それを現実と間違えるなんてことはありえないのです。
しかしこのSRシステムは違いました。
さっきのぼくは、本当に現実と虚構の区別がついていなかったのです。
これはいったいどういうことでしょう。
人間と機械の境界がわからなくなってきた
こんにちは。海猫沢めろんです。
ぼくは普段エッセイや小説を書いたり、ラジオでお話をしたりしていますが、今回は科学ルポです。
なぜ科学ルポなのか。理由は簡単で、今のテクノロジーがぼくたちの想像力を超えはじめている、その現場を見たいのです。
テクノロジーが不可能を可能にする——それは昔も今も変わりません。けれど、今のテクノロジーの最先端で起きていることは、かつての科学の大きな目標であった、ロケットで月に行くのとはまた違った意味を持っているのではないか。そう考えています。
では、どう違うのか?
例えばAI(人工知能)、ロボット、3Dプリンタ、データマイニング、BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)、ゲーミフィケーション、バイオハッカー、ナノテクノロジー、センサーテクノロジー、などなど……現在進化しているテクノロジーには「人間」や「知性」の意味を変えてしまう可能性があります。
かつてのテクノロジーは、人間が一方的に使うものだった。けれど、これからは人間がテクノロジーに使われることのほうが問題になってくるでしょう。
これはかつては起こりえなかったことです。
まだおぼろげですが、ぼくがここで考えたいテーマは「機械の人間化と、人間の機械化」です。
機械が人間のように柔軟な知性を持ち、人間が機械のように機能を着脱する。人間が機械を使い、その裏で機械がデータを取得して人間をコントロールする……機械の進化と人間の進化が左右の方向から同時に起き、それが真ん中で出会う。
そんな風景を見たいと思っていますが……果たしてどうなることか。
まず第1回目はSR技術です。聞きなれないと思いますが、この技術は人間の「共感能力」をアップデートする可能性を持っています。
初めてSRのことを知ったのは数年前。
ツイッターのTLに流れてきた記事がきっかけでした。確かネットの技術系のニュースですが、そこには“体験者のリアリティを操作して、現実と虚構をわからなくする”などと書かれていました。
現実と虚構の境がなくなるといえば、VR(Virtual Reality)が有名です。VRは、最近ではOculus Riftの登場でさらに注目されていますが、SRというのは初耳。調べてみると、代替現実(Substitutional Reality)の略のようです。
ネットで動画を見ると、SRシステムの仕組みはすぐにわかります。
まず、被験者はエイリアンヘッドと呼ばれる、360度の空間全体を録画できるパノラマカメラ付きのHMD(ヘッドマウントディスプレイ)をかぶる。ちょうど、スマートフォンや携帯のカメラを通して外の景色を見ているような状態なので、同じHMDを使うにしても、架空の映像を見せるVRと異なり、見ている外界は本物です。
その後、被験者とコミュニケーションしながら、こっそりとカメラに過去の映像や、作られた映像を混ぜ合わせる。そうすると、被験者にはそれがいま目の前で起きているリアルなのか、作られたフェイクの映像なのかがわからなくなるのです。
そんなトリックアートみたいなものになんの意味があるのか?
エッシャーのだまし絵や、マジックショーとどう違うのか?
その疑問はもっともです。SR技術は、そうした人間の認知の隙間を利用したトリックと基本的には変わらないのかも知れません。
しかし、重要なのはその観察の結果をどういう方向で研究するのか、という部分にあります。
SRシステムの研究をしているのは、理化学研究所の脳科学総合研究センターに所属する藤井直敬さんたちのチーム。
著書を読み、たまたま刊行後にゲンロンカフェで行われたイベント映像を見た感想をツイートしたら、藤井さんから直接リプライをいただきました。
これまで脳科学が測定とデータで、哲学が論理と思考で解き明かそうとしてきたことを、ダイレクトに「体験」させることができる装置——ぼくなりのSRシステムの理解はそういうものです。
ならば「体験」しなくてはわからない——ぼくはすぐ理研に行くことにしました。
思わず恋してしまいそうなリアリティ
「それじゃあ次に別の場所にいってみましょうか」
エイリアンヘッドごしに見える外の景色がかわりました。
人が行き交う渋谷のスクランブル交差点。
上下左右に頭を動かすと、全ての景色がちゃんと見えます。
まるで本当に雑踏のなかにいる気分です。
「すごいですね……例えばこれ、エロとかに転用されたら……革命がおきますよ」「ちょっと変わった映像ががあるから見てみますか」
えっ……と思っていると、景色は元の部屋に戻り、視界の右のほうにショートカットの女の子があらわれます。
彼女はじっとこっちを見つめ、あろうことかなんと……。
画像はすぐ消えました。
「どうですか」
「……すごい……ヤバいです……」
危ない……思わず恋してしまうところでした……。。
花沢健吾の「ルサンチマン」という漫画があります。モテない男がヴァーチャルリアリティのゲーム空間で、美少女AIと恋をするという内容ですが……もはやそれは夢ではないということなのでしょうか……。
しかし……この後、SRはさらなる奇妙な世界を見せてくれます。なんと、そこでは仏教でいう「さとり」すら実現するかも知れないというのです(!)
あやしすぎるSR技術ルポは次回へ続きます。
藤井直敬(ふじい・なおたか)
脳科学者。理化学研究所脳科学総合研究センター適応知性研究チームチームリーダー。主要研究テーマは、適応知性および社会的脳機能解明。主な著書に、『つながる脳』(NTT出版、第63回毎日出版文化賞受賞)、『拡張する脳』(新潮社)、『ソーシャルブレインズ入門』(講談社現代新書)など。
【SRシステムの体験できる施設】
表参道にある展示施設「先端技術館@tepia」でSRの簡易的な体験が可能です!
先端技術館@tepia
東京都港区北青山2-8-44
開館時間:火〜金 10:00-18:00、土日祝 10:00-17:00(月曜休館)
http://www.tepia.jp/exhibition/index.html
【スマホでも体験できるように】
SRシステムでも使われているパノラマ映像をスマホで体験できる「ハコスコ」がリリースされます。臨場感の高い360°映像をグリグリ見回すことが可能です。7/1発売予定。現在予約受付中です。