偽原始人(井上ひさし)中編

井上ひさし『偽原始人』評は中編です。前編では井上ひさしがどのようにして本作を描いたのか、その時代的背景から読み解きました。今回はいよいよ物語の内部に迫ります。まるで『ズッコケ三人組』のような小学生を主人公にした本作ですが、三人の目的は母親の暗殺。井上ひさしの巧みな描写や言葉遊びの面白さだけでなく、物語を重層的にしている要素について掘り下げます。

暗殺を企てる三人組の小学生


偽原始人 新潮文庫

 物語の筋立てを見ていこう。それは非常に簡素である。主人公は小学五年生の池田東大(とうしん)君。東京大学に入るように母が名付けた。彼には同年の親友、高橋庄平君と大泉明君がいて三人組である。東大君の父親は45歳のさえない銀行員。大泉明君の親はそば屋。高橋庄平君の親は塾経営。三人の相貌は単行本と文庫本の表紙となっている山下雄三の絵が印象的で、『ズッコケ三人組』を思わせる。なお、『ズッコケ三人組』は1976年からの作品なので『偽原始人』のほうが1年ほど早い。

 三人の母親は当時の進学競争過熱を代表する「教育ママ」である。そこで東大君と明君は庄平君の家の塾に夏休みもなく通わされているはずなのだが、二人は庄平君と組んで塾に行っているフリだけでサボり、カメラ屋でアルバイトをしている高校生の昌子ねえさんを信頼して、かすめた塾費用を貯金してもらっている。

 三人が企んでいることは、彼らの母親を含めた人たちの暗殺計画である。動機は「教育ママ」への反発ではない。四年生の時の担任だった遠藤容子先生の教育を母親たちがこぞって批判し、自殺に追い込んだからだ。容子先生は20代で赤ちゃんを産んだばかりだった。一命は取り留めたものの脳に障害を残し、正常な意識が保てないまでになった。三人は好きだった容子先生を代理する復讐心から、母親たちを暗殺しようとしたのである。

 暗殺手段は毒殺ということで、毒物のある病院に霊安室から忍び込む。どたばたがあり、その末、捕まる。塾をサボっていたこともバレて、三人とも各人の家にそれぞれ監禁させられ、暴力もいとわない家庭教師「受験の神様」が付けられる。三人はくじけず、必死で家出して、近所の穴蔵でしばらく過ごそうとする。表題『偽原始人』はこの穴蔵暮らしのイメージを由来の一つとしている。もう一つは、容子先生が彼らに教えたアフリカの少年の生きる力ということがある。なお、当時、山村で原始人のように暮らそうとする社会運動が話題になってもいた。

 穴蔵を拠点として次に彼らが実行したのは、家庭教師派遣会社の社長の四年生の子ども・山岡大助君を巻き込み、誘拐犯狂言で大金を巻き上げることだ。動機には容子先生の家庭の支援もある。これも壮絶なドタバタの末、失敗してしまい、三人はまた母親の元に連れ戻されてしまう。

 大助を加え追い詰められた四人が最後にすることは「佯狂(ようきょう)」作戦だった。精神病のフリをして社会や親を拒絶することである。だが、これも失敗する。四人をそろって呼び寄せた専門医に見破られ、もはや万事休す。そして物語は、大助を加えた四人に現実的な救いも展望もなく、あたかも糸が切れたようにそのまま終わる。

「理想の教育論」の均衡

 あらすじを追ってもわかるが、よくこんな反社会的な話が朝日新聞に掲載できたものだなと驚くほどだ。だが、1974年と1975年には少年によるハイジャック事件などもあり、少年が大事件を起こしうることは当時の日常の延長にあった。

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