若い人が集団で住むと宗教?
前回の「ネットより田舎のほうがワクワクする」や、最近出した著書『フルサトをつくる』(東京書籍)でも書いたように、現在僕は東京のシェアハウスと熊野のシェア別荘を往復する暮らしを送っている。今のところこの二拠点生活は順調で快適だ。東京に疲れたら熊野でのんびりして、都会が恋しくなったらまた東京に戻る、という風に都会と田舎の二拠点を活用することで、一箇所に住んでいるときよりも解放感があるし、どちらの生活も楽しむことができている感じだ。東京の家も熊野の家も複数人でシェアしているので家賃は合計しても月30000円で、東京でワンルームマンションとか借りて一人暮らししている人よりも安く済んでるし。
熊野に家を作る過程で「田舎に移住してる若い人ってどんな感じなんだろう?」って思って、いろんな地域の移住者の人に話を聞きにいったり見学させてもらった。それまではあまりそういう田舎暮らしというジャンルに目を向けてなかったので知らなかったんだけど、今は結構たくさんの若い人が田舎に移住して、NPOを作ったり廃校になった小学校を改修したり、カフェを作ったりゲストハウスを作ったりとかそういう活動をしているみたいだ。『ソトコト』とか見るとそういうのがいっぱい載ってる。やっぱり「都会が全てではない」「田舎もわりと面白い」というような認識が若い世代では広がってきているんじゃないだろうか。
ただ、そうした動きが広がってきてはいるけれど、まだまだ年配の地元の人などには最初は胡散臭く思われることが多いという話も聞く。地元の人から見たら「なんで都会からこんな何もないところにわざわざやってくる? 怪しい団体か?」みたいな感覚もあるんだろう。地元の偉い人に呼び出されて「一つだけ確認させてくれ。宗教か?」って言われたというような話も聞いた。宗教……。全然そんなんじゃないのにやっぱりそんな風に思われたりするのか。全然そんなんじゃなくて、ただ単に田舎の生活が面白そうだと思っているだけなんだけど。
そういえばシェアハウスも、昔は「若い人が集団で住むなんて新興宗教じゃないのか?」みたいに怪しまれて部屋をなかなか貸してもらえなかったという時代があった。今は結構シェアハウスという存在がメジャーになってきたので、あまりそういう疑いは受けなくなってきた(それでもシェアハウスを嫌がる大家さんはまだまだ多いんだけど、宗教とか誤解されないだけまだマシ)。
やっぱり、家族じゃないのに一緒に住むというのが変に思われるのだろうか。だけど、そういうのって、「家族は同居すべき(家族以外の人が家に住んでるのは変)」「家族は愛情を持って助け合うべき」っていう、数十年前くらいに一番ピークだった「家族信仰」みたいなもので、そうした考え方は今は少しずつ弱まってきているものだと思う。そしてそれは家族の衰退を嘆く保守オヤジが批判するような悪いことではないはずだ。「家族信仰」はうまく仲良くいってる場合はいいけど、こじれると家庭という逃げられない閉鎖空間での地獄の環境にもなりうるから、いろんな生き方や住み方の選択肢があっていざとなったら他を頼れることはよいことだ。家族という概念の縛りがゆるくなったとしても、人はなんらかの形で助け合いながら生きて、子供を産み育てていくのは変わらないだろうし。