『それでも僕は夢を見る』水野敬也 (著)、 鉄拳 (イラスト)
あらすじ:いつまでも「夢」を追うのが辛くなった僕が、年老いてひとり病室で横たわるようになったとき、捨てたはずの「夢」が戻ってきた。「夢」に励まされ、主人公が最期に書き上げた一通の手紙とは?
*
彼のことが好きだと公言してしまった。大好きな黒ビールと熱燗で、だいぶ酔っていたのだ。
勤務先の書店の代表として、出席したとある文学賞受賞パーティーの二次会でのことだった。
泥酔したメンバーは大いに盛り上がり、その場にいた彼をひやかす。彼の上司が「仲人をやってやる」と言い出したので、私は「お願い申し上げます」と三つ指をついて、笑いをとった。
あの場の誰も、それが本気だとは思っていないだろう。余興だ、私の告白なんて。
それ以来、顔を合わせていない。
焼酎のロックを静かにおかわりしていた彼が、あの二次会の記憶をすっぽり失っていればいいのに、と思う。
〈9日の午後って空いてる?〉
Wi-Fiに繋がったiPadが、彼のフェイスブックのアイコンと、メッセージの冒頭を勝手に表示させる。瞬時にスケジュール帳を開いた。
9日の火曜日はシフト通り休みで、何も用は入っていない。彼はもしかしたら、私の公休日を覚えていて、誘ってくれたのかもしれない。
書店員は普通の会社勤めのように、土日祝日固定で休み、ということはほとんどない。出版社の人は、知り合うとまず公休日を訊ね、それを手帳にメモする。
私は書店で働く文芸書担当で、彼は大手出版社で文芸書を作る編集者だった。
彼が担当する作家の書店回りの際に何度か顔を合わせ、ゲラを読んだ感想をメールで送ったり、飲み会で顔を合わせたりするうちに、砕けた口調でやり取りするようになった。
彼の作る本は、どれもこれも私の好みにぴったりで、それは顔や性格よりも、重要なことだった。好きな本を作ってくれる彼が好きになる。当然の流れだ。
デートなんて何年ぶりだろう。
誕生日もクリスマスも仕事だった。公休日は、溜まった疲労を回復させるのと、積み上がったゲラを消化することで終わってしまう。出勤日は完全に燃え尽きるまで働くから、あとは帰って眠るだけ。
それでも仕事が好きだった。やればやっただけの成果がある。業界全体が厳しい今こそ、がんばりどきだ。恋愛などにうつつを抜かしているときじゃない。そう思っていた。
だけど……休日に彼と会うことは、仕事の一環と言えなくもないのではないか。
喫茶店でパンケーキを食べながら、彼は私に、今作っている本の話をするだろう。書店員に作品の魅力をアピールする、貴重なチャンスだ。そして私は、パンケーキを食べながら彼の話を聞き、甘いフカフカと彼の瞳の輝きに、うっとりとするのだ。
そのあとふたりは、焼きとんをつまみにビールを飲み、本の販促方法について真剣に語り合うだろう。お疲れ様、がんばろうね、と肩を並べて店を出るだろう。
これなら、給料は出なくても、仕事の範疇だ。
でも、駅までの帰り道、好きな本の話で盛り上がって、彼に今から本棚を見にこないかと誘われたらどうだろう。もうそれは仕事とは言えない。だけど私は、それを断らない。
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