22歳の地図—旅(ビータ)は鈍行列車で行こう 中編

タモリの足跡をたどる「タモリの地図」、今回はタモリとラジオの関係について。タモリとラジオといえば伝説となっている「タモリのオールナイトニッポン」ですが、昨年10月その番組を放送していたニッポン放送の特番にタモリがホスト役で出演しました。そこで語られたタモリとラジオの出会いとは。そして初期タモリの持ちネタである「ハナモゲラ語」や「四カ国語麻雀」のルーツを読み解きます。

終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!

タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)

ラジオを聴いて育つ

タモリは2013年10月、ニッポン放送の開局60年を記念して3夜連続で放送された『われらラジオ世代』という番組でホスト役を務めた。その第2夜の冒頭で彼が語ったところによれば、「自分はラジオを聴く以前に、ラジオをつくっていた」という。つまり、電気少年だった彼は、鉱石ラジオや真空管ラジオにはじまり、中学2年のときにはトランジスタラジオを、高校に入ってからは世界中の短波放送が拾える通信型受信機をつくったというのだ。

世代ということもあるのだろうが、少年時代のテレビ体験についてタモリはあまり語っていない。話していることといえばせいぜい、家庭に入ってきたばかりのテレビには布のカバーがかぶせられていたことや、クレイジーキャッツなどの出ていた『シャボン玉ホリデー』が好きだったということぐらいだろうか。

それに対してラジオ体験は、タモリのなかで大きな位置を占める。戦後の日本の多くの家庭がそうであったように、福岡の森田家でも一日中NHKのラジオをつけっぱなしであったという。一つ年上、1944年生まれの編集者・著述家の松岡正剛との対談では、子供向けのラジオドラマ『笛吹童子』や『紅孔雀』などを聴いていたという話で盛り上がっている。

同じ対談でタモリは、寄席に初めて行ったのは芸能界に入ってからで、それまでは落語も講談も浪花節(浪曲)ももっぱらラジオで聴いていたこと、さらに戦争で消息を絶った人の情報の提供を呼びかける『尋ね人の時間』や株式市況、気象通報も好きだったことを明かす。とりわけ気象通報への思い入れは強く、「一度やらせてもらいたかった」と語っているほどだ。

あれがやりたいために、高校のとき地学をとったくらい。授業中に、気象通報を録音して聞かせるんです。天気図全部書いてきて、等圧線を引かせる。あれがまたたまらなく好きでしたね。「南大東島では……」って教室に流れていく。そして、経度、緯度を合わせてつくっていく。小学校のころから、あの天気図が好きでね。いまだにノートにムチャクチャな等圧線を書いてるんですよ。
『愛の傾向と対策』

みんな聴いてた北京放送

国内のラジオ放送のみならず、同じく少年時代に愛聴していた米軍放送や北京放送など、外国語放送や外国から送信される放送は、のちのタモリのレパートリー「四カ国語麻雀」などのインチキ外国語芸に大きな影響を与えている。福岡という地理的な関係から、韓国のラジオ放送もほかの地域以上にクリアな音で受信できた。

韓国のラジオ・ドラマは最高だったなナ。家庭の風景の状況だけは、音だけでわかる。ごはんを食べたり、電話が鳴ったり、オヤジが何か言ってアニキがドアーを開けて入ってくるとか、状況は全部わかるのに、言葉がわからない。(中略)日常の動作は同じで、意味がないっていうのはおもしろかったなァ。
『愛の傾向と対策』

北京放送は中国共産党がプロパガンダのため、日本語など各国語別に送信していたもので、タモリより若い世代にも、子供の頃に愛聴していたという人は結構多い。たとえば、社会思想研究者・経済学者の浅田彰も小学生のころ愛聴していた一人で、《あれはウォーホルの毛沢東の肖像みたいな感じで、当時最もポップな放送だったから、一家で毎晩喜んで聞いてたんです》とのちに語っている(浅田彰・島田雅彦『天使が通る』)。浅田は 1983年に京都大学で行なわれた糸井重里と中沢新一とのトークライブでも、やはり高校時代に北京放送を愛聴していた中沢が「みなさん、こちらは北京放送局です」とモノマネしたのに対し、すかさず《違う、違う。「北京……放送局です」って、一瞬、間を置くんですね。あれが何ともいえない》とダメ出しをするほどだった(『SAGE』1984年2月号)。

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タモリの地図—森田一義と歩く戦後史

近藤正高

2014年3月31日、『笑っていいとも!』が32年間の歴史に幕を下ろしました。約32年間、毎日テレビに出続け今や国民的タレントになったタモリ。そんな「昼の顔」だけでなく、アングラ芸で身を起こし、深夜番組『タモリ倶楽部』で披露する「夜の...もっと読む

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コメント

donkou プロパガンダ放送も牧師の説教も、何でもかんでも“音楽化”してしまうタモリ、恐るべし。 4年以上前 replyretweetfavorite

takunori だからやっぱり音楽の歌詞に意味なんて求めちゃだめなんだ 4年以上前 replyretweetfavorite