■そうか、「やりたい人はどうぞ」って言えばいいんだ!
数ヶ月の紆余曲折を経て、ある日、トンネルを抜けた。
お金の問題はこう考えたら解決するんじゃないか。今までどうやってお金をとるかばかり考えていたけれど、お金がかからない仕組みにする方向で考えてみよう。
ずっと先生たちには「授業をアップして下さい」とお願いしていたけれど、これを「授業をアップしてもいいんですよ」と言い換えてみたらどうか。つまり、お願いするから対価としてお金を払うという考え方になるわけで、「やりたい人はどうぞ」というスタンスにしてみたら、お金はかからないんじゃないか。久しぶりのお風呂に入りながら、そんなことを考え始めていた。
最初、それは完全な思いつきだった。もう今のままではどうにもならないし、固着したこの状況から逃れられるなら何でもやってみようという気持ちで、翌日先生たちに提案してみた。
意外にもほとんどの先生が、僕の苦肉の提案をすんなりと受け入れてくれた。千佳曰く「お金は花ちゃんがそれで納得するならと思って契約書にはサインしておいた」らしい。どの先生も、本当に授業一本あたり千円のお金が欲しくてやっていたわけではなかった。単に面白そうだったり、僕が一生懸命やっているのを見て自分もやりたいからやっていたりするだけだった。このとき、僕は初めて人がお金のためだけに何かをするわけではないことを知った。
いつからか偉そうに理論武装して説明するようになった、ボランティアワークを中心にしたmanaveeの仕組みの根本は、ここから始まった。
しかし現実には、すべてが上手に平行移動したわけではなかった。ひとりの先生が納得しなかったのだ。猪倉君だ。いつものように、その場で議論が始まった。話し合いの結果、契約は契約なので、今の授業の内容が完結するまではお金を払うという契約に基づいて撮影に協力してもらい、その後はmanaveeでの先生としての活動を辞める、ということになった。
彼は最後まで、「プロフェッショナリズムは金銭によって評価されるべきだ」という姿勢を崩さなかった。けれど、僕達の間に感情的なもつれがあったわけではなかった。僕は彼の主張を理解していたつもりだったし、彼もまた、「お前の言いたいことは分かる」と言った。「でも、俺はその考え方は受け入れられない」。そういう状況だった。
初めて、人が辞めていく瞬間だった。結果は残念だったけれど、彼の言動にはまったく嘘がなく実直だったから、僕はむしろ清々しい気持ちだった。
猪倉君の最後の撮影の日、彼はボソッとつぶやいた。
「花房は、ほんとにすごいと思うよ。」
僕は耳を疑った。なにかの間違いで今日は別の人格がインストールされているのか?
10月に初めて彼にmanaveeの話をして以来、彼は一貫して的を射た、けれどもひどく辛辣な指摘をする人物だったはずだ。さながらドッキリ大成功! とやられたような気持ちで、頭のなかでは「猪倉」という人格を再定義する作業に追われていた。前々から、酷いことを言う奴だ、と思っていたわけではなかった。批判と批判の間には思いやりの原型のようなものが垣間見える、そんな感覚があった。けれど、彼がはっきりとそんな一面を見せたのは、そのときが最初で最後だった。
その後の話だが、先生として直接関わらなくなってからも、猪倉くんはmanaveeについてSNSで言及してくれたり、気にかけたりしてくれているようだった。今ではもう面と向かって話す機会はないが、実はとても不器用な男なんだと思う。
■大学生が授業をやる意味ってあるかな?
振り返ると、どんなに「最悪」と思われた状況でも、諦めずにもがき続けているうちに、少しずつ周りの風景は変わってきた。物語のように劇的ではないが、ほんのちょっとしたことがきっかけになって糸口を見い出せたりする。
「安かろう悪かろうの予備校なんて必要ないよね」という、manaveeにとっての最も大事な議論のひとつも、意外なことがきっかけになって前進した。
ある日の夕方、無意識にニコニコ動画のランキングページを開いた僕は、自分に開発のための集中力がなくなっていることに気づき、外の空気を吸おうと部屋を出た。
道の向こうから歩いてきたのはアパートの2階に住んでいる女子高生だった。僕の住んでいるアパートは、1階が一人暮らし用の部屋が4つ並ぶ造りになっているのに対して、2階は家族用の大きな間取りになっていた。そして、そこには4人家族が住んでいた。ご近所さんと盛んにお付き合いがあったわけではないが、その家族とは、ひょんなことから付き合いがあった。
前年6月のある休日、その家のお母さんがアパートの前の小さな家庭菜園で汗をかきながら作業をしていたのを見て、僕が皿に取り分けた梨をおすそ分けしたのがきっかけだった。博愛の精神に溢れていたというよりは、すぐそばで汗を流している人がいるのに、涼しい部屋で冷たい梨をひとり占めすることに、なんとなくきまりの悪さを感じたからだ。
ともあれ、目の前から歩いてくる女子高生を2階の住人だと見定めた僕は、彼女に実際にサービスを使ってもらおうと思い立った。「お母さんに聞いてくる」と言って彼女が一旦家に帰ったあと、程なくしてチャイムが鳴った。
最初は、新しく作った機能が使えるかどうかをチェックしてもらうつもりだった。実際に画面に向かった彼女は、僕の思い通りには操作してくれなかった。一般にWEBサイトを作る時には、リリースするまでに最低4、5人の先入観のないユーザに実際に使ってもらって、問題点を発見するのが普通だ。僕にとっては、この時が実際の高校生にサービスを使ってもらう最初の機会だった。
自分が設計した画面が全然ダメだとわかり、昨日と一昨日分の作業は丸々無駄になったんだな、と後ろ向きな考えがよぎるのをこらえながら、せっかくの機会だと思い質問を始めた。
「学校の先生は好き?」
「うん、まあ」
「どんな先生がすき?」
「授業のうまい先生」
「そうか、授業がうまいってどんなかんじ?」
「…」
下手くそな誘導尋問はうまくいかないと諦めて、単刀直入に質問した。
「プロの予備校講師じゃなくて、大学生が授業をやる意味ってあるかな?」
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