#5 村上春樹が語る「カミソリ」と「オノ」の文学論

人間の“せつなさ”を感じる能力の重要性、世界を変えたいと思いながら生き延びることへの肯定、ロックがなぜアフリカの人達を救えないのか。最終回は、作家・樋口毅宏さんの熱いプッシュで、『激刊! 山崎Ⅱ』の中から、3・11直後に綴られたトリプル編集長・山崎洋一郎さんの “尋常ならざる” 名文を3つも掲載! 一読といわず繰り返しご堪能ください。また、後半では樋口さんが、その良さがわからないらしい山崎さんに、村上春樹のすばらしさを解説します。お楽しみの、樋口さんセレクト「ロッキング・オン・ジャパン」名リードも含め、盛りだくさんでお届けします!

3・11以降、書き手の意識が変わった

樋口 『激刊!山崎Ⅱ』の話をしましょう。この本のハイライトは2011年のコラムですね。尋常ならざるテンションで書かれていましたね。自覚はありますか?

樋口毅宏選『激刊!山崎Ⅱ』名コラムその1
2011年7月 

 今、何が起きているのかをわかることは最も難しい。今起きていることが何であるのかがわかるのは、少し先になってからだ。少し先になって、「今」が「過去」になってからようやくそれが何であったのかがわかる。それは、恋愛もそうだし、仕事もそうだし、ミュージシャンならば作った作品もそうかもしれない。日々のすべてがそうだ。だからすべてはせつない。だが僕たちは不思議なことに、すべてせつない、ということだけは「今」わかる。だから、少し先になってから感じるべきせつなさをあらかじめ未来からちょっと前借して、せつない気持ちで「今」を眺める感覚— 一種の特技 —を持っている。ろくに過去も持っていない子供の頃からふと「懐かしい」感覚になれたり、まだ始まったばかりの恋愛の最中に、その恋愛を過去の風景としてノスタルジックに感じてしまったり、見慣れた風景をいつか失ってしまうという実感をもって眺めたりすることがある。未来になってから感じるはずのせつなさを僕たちは「今」に持ってくることができる。そしてそのせつなさを通して「今」を見ることができる。人間のその不思議なメカニズムを最も端的に表しているのが音楽だったりする。まあそれはさておき。

 なぜ人間が、未来において感じるべきせつなさやノスタルジーで「今」を見てしまうのか、それには理由がある。それは、せつなさやノスタルジーは、未来に生き残った者だけが感じることができるものだからだ。生き残らなければ未来へは行けない。未来に行けなければ、「今」を懐かしく振り返ったりせつなく思い出すことはできない。ということは、未来から前借したせつなさで「今」を見るというその視線は、生き残った者、もっと言えば「生き残れた者」の視線なのである。人間は、生き残って未来へと行くことができた者の視線で「今」を見るという、優れた能力を持っているのだ。その視線で「今」はどう見えるのか、何を感じるのか、それは非常に重要なことだ。僕が科学的な説明や、経済学的な論理や、エコロジストのヴィジョンなどよりも、芸術家が何を描くのかを信じる理由はそこにある。未来から今を眺めるような視線、生き残った者が未来から今の世界を見て感じるせつなさのようなもの、祈りや感謝、真の楽観性、それが芸術や音楽にはある。「今」をそういう風に見たい。目を開いて情報だけを集めても、結局人間は「今」をわからない。ならば、目の前に起きていることを見た時に感じるこの不思議なせつなさ、時空を超えて胸にやってくるこの気持ちを中心にして今を考えて未来へとたどり着きたい。

 先月号で、僕はこのコラムを休んでしまった。書くとすれば東日本大震災後の状況や、その中で生きることについてしか書く気がしないし、でも、そろそろみんないろんな音楽の楽しい話を読みたいんじゃないか、でもやはり僕の中で書くべきことはまだそこではないし、という悩みに囚われて、結局休んでしまった。

 そのあとで僕はやはり後悔した。周りがどうであろうと、書くべきだったと思った。今の自分が何を見て何を感じているか、それを全力で書き残すべきだったと思った。未来になってから古いジャパンを広げた時に、その文を読んでせつない思いができるように「今」を全力で書き残さなくてはならないと思った。その未来のせつなさをこそ、大切にしなければならないと思った。そう思えた時、僕はその未来のせつなさを前借して「今」を見る視線を取り戻した。そして、このコラムを僕なりの正しさで書く座標軸を得た。

 前にも書いたが、この震災は第二次世界大戦と同じく、日本を変えてしまう出来事である。でも、そのことを「今」正しく理解することはあまりにも困難だ。戦争中に、戦争を正しく理解するのが困難であるのと同じだ。そして、戦争、あるいは戦後を正しく描いた作品が生まれたのが戦後しばらくしてからであるのと同様に、この震災と震災以降の世界のあり方やそこでの生き方を提示する作品が生まれるまでにはしばらく時間がかかるだろう。そこに対して僕が何か有益なことが言えるとしたら、今のこの世界を未来からせつなく振り返ることができるように、あらかじめそのせつなさを前借して今を見つめて、自分の表現の自分のなりの正しい座標軸をブレずに持ち続けてほしい、あるいは見失った表現者は取り戻してほしいということだ。正論の投げ合いや犯人探しや世代論争は未来には繋がっていかない。未来にしか答えはないが、僕らはその未来から力を借りる能力を持った生き物なのだ。

(『激刊!山崎Ⅱ』山崎洋一郎 p175-178より)

山崎 自分は編集長としての自覚はあるけど、小説家でもないし、物書きっていう自覚はないんですよ。だから、本当はこういう単行本出すのも恥ずかしいぐらいなんです。でも、たしかに、でも3・11以降「書き手の意識が変わった」っていうのはすごくわかりました。ミュージシャンとかが言ってることは、こういうことかって思った。

激刊!山崎〈2〉
「激刊! 山崎Ⅱ」山崎洋一郎

樋口 と言いますと?

山崎 要するに、それまでは自分の読者が想定できるし、その読者に向けて、その読者が聞きたいこととか読みたいこととかを書くっていう意識だったんです。でも、不思議なことに、3・11以降は、「ものを書くからには、誰が読んでも絶対届くものを書かなくてはいけない」って、そういう感じにちょっと変わってきました。偉そうなこと言っていますけど。

樋口 いや、そんなことはないですよ。

樋口毅宏選『激刊!山崎Ⅱ』名コラムその2
2011年9月

 今日(2011年9月11日)で9・11アメリカ同時多発テロから10年、3・11東日本大震災から半年になる。やはり朝からずっとそのことばかり考えてしまう。突然の大きな不幸が自分と同じ時を生きている人たちに降りかかったという絶対的な事実。その不幸の原因の一端を自分も担い、その不幸の結果の一端を自分も背負わなければならないという、これもまた絶対的な事実。テロを許しているのも自分なら、原子力発電所の事故を許したのも自分である。それは事実なのだ。

 ではそれに対して自分はこの10年間、この半年間、何をしてきたか。しなければならないことが何かははっきりすぎるほどわかっている。言葉にしてはっきりと言える。それは、世界を変えなければならないということだ。2つの大きな不幸の大きな原因となり、また、元々の不幸をさらに大きなものにしたのは、「金が最も重要なものだ」という今の世界の在り方である。

 天災や事故など、これからも人々の上にさまざまな不幸は起きるだろう。だが、その不幸はさらに深刻なものにし、それに対する速やかで最善の対応を鈍らせたり事態を混乱させたりするのは必ず「金」、「金が重要」という価値観である。(だから逆に、震災直後にごちゃごちゃ言う前に大金をパッと寄付した人たちの態度を僕は支持する。たぶんその人たちは金を「価値」ではなく「機能」として捉えているからだ)。「全ての価値は金に換算され、それによって重要度が決まる」という、その価値観を変えなければならない。その価値観を根底に置いた世界の在り方を変えなければならない。異論のある方はいくらでもどうぞ。今までのところ、僕はこの考えに疑いを持ったことがない。では、僕はこの10年間そのために何をしてきたか。あるいはこの半年間そのために何をしたか。

 特別なことは何もしなかった。

 何をすればいいのかもわからず、このような文章をこのコラムやブログに時々において書いただけだ。それは、何かやらなければならないことはわかってはいるがどうすればいいのかわからなくて、でもとりあえず朝起きたら歯は磨いたほうがいいから磨く、とか、とりあえず働いたほうがいいから会社に行くとか、お腹が空いたが、とりあえず夏バテ気味だから親子丼を食べようとか、そういったただの日常の行為として書いたに過ぎない。とりあえず、雑誌作ってるんだから伝えるべきだと思えることを書こう、ブログやってるんだから書くべきことを書こう、というとりあえずな行為に過ぎない。歯を磨くことは世界を変えることとは関係がない。会社に行って働くことも、晩ごはんを親子丼にすることももちろん関係はない。

 それと同じで、こういう文を書くことも、なんら変革に寄与しない。でも、できる限りきちんと毎日歯を磨くし、会社に行って働くし、夏バテしないようしっかり食べようと思うし、こういう文も書いていきます。そうしないと、世界を変えていきたいと・・・・・・・・・・・思える自分として・・・・・・・・生きていくこと・・・・・・・ができなくなってしまうから。自分自身がこれがいい・・・・・・・・・・こうしたいと思いながら・・・・・・・・・・・生きていくためにすることには・・・・・・・・・・・・・・全て意味があると信じる・・・・・・・・・・・、それが10年前以前の僕にはなくて、今持てるようになったたった1つの肯定性だ。

 2011年9月11日の日曜日、前夜にライヴの帰り道につまずいて捻挫になったせいでどこへも行けず、聴けずに溜まっていた新譜を聞いたり散らかった部屋を片付けたりテレビの報道番組を観たりしながら、確認したのはそういうことだった。

(『激刊!山崎Ⅱ』山崎洋一郎 p181-183より)

山崎 多分、ものを作っている人は、そういう部分が大なり小なりあったんじゃないかなって思うんですよね。それまでは、「この商品は売れるぜ」って作っていたものが。果たして「この商品は、本当に3・11以降の世の中にあるべきものなのだろうか、あっていいものなのだろうか」って思うようになった。

樋口 うんうん。

山崎 「自分がやっている仕事は被災地である日本の中でどういう意味があるんだろう」って。そういう繰り返しは、なんかみんな大なり小なりあったんじゃないかなっていう気がして。

樋口 「自分の役割を引き受ける」とでも言うのでしょうか。自分のあり方とかね。あれから3年経って、日本社会は今また曖昧なものに戻りつつあるなっていうのを皮膚感覚で感じますけどね。

山崎 そうですね。

樋口 でも、僕は山崎さんのテキストにはロックの本質論的な話が書かれているといつも思うんですよ。ボブ・ゲルドフについての批評のとことか。

樋口毅宏選『激刊!山崎Ⅱ』名コラムその3
2005年8月

 ボブ・ゲルドフが来年のノーベル平和賞候補に推薦されたそうだ。そんなことじゃないかと思っていたが、今回もやはりそういうことのようである。ライヴ8は結局、イギリス女王陛下からSirの称号を与えられたポール・マッカートニーと、今年のノーベル平和賞の候補に挙がったといわれるボノと、ナイトの称号を授かりノーベル平和賞候補でもあるボブ・ゲルドフのイベントだったのである。立派な立派なイギリス国政的イベントなのである。だからトニー・ブレアもあんなに頑張ったのである。

 もういいや、勝手にやってくれ、という気分になってくる。たぶん大方の人も、まあいいんじゃないの? ロックがこれだけメジャーになって巨大化したんだからこういう役目も引き受けなきゃしょうがないんじゃないの?ぐらいの冷めた温度なのだろう。そうかもしれない。だからやればいいと思う。チャリティーでもエコでもなんでもやればいいと思う。だが、それに加担しない側も、加担しない側の論理とオピニオンを出していかなければだめだ。黙って冷めていてもだめなのだ。黙っていたら、いつか息ができなくなってしまう。

 9・11以降のアメリカで、反ブッシュの意見を言うことは危険なことだった。テロリストと戦うという「正義の戦い」の真っ最中にそれに反対することの摩擦は非常に大きかった。それでもしっかりとした反ブッシュ・キャンペーンは行われた。それに比べれば、このライヴ8に批判的なことを言って命が狙われるということはないし、袋叩きにされることもない。だが、アフリカの人達の命を救うことの何が悪い?という「正義からの正論」は、まるで体全体の皮膚呼吸が封じ込められるような抑圧を、アンチ発言者に対して与えてくる。道の真ん中でティッシュを配っている奴には舌打ちのひとつもするが、チャリティーの署名運動をしている人には薄ら笑いでごまかしてこそこそとよけて通ってしまうのと同じだ。正しいことを掲げられると、何をされても抵抗できなくなってしまうのだ。マライア・キャリーが意味もなくアフリカ人の子供達を大勢引き連れてステージに登場しようと、ピンク・フロイドが何の説明もなく再結成しようと、ボブ・ゲルドフが生き延びたたった一人の女の子をステージに上げて「これがライヴ・エイドがアフリカ人に救済した証拠だ!」と新興宗教が奇跡の壺を売りつけるのと同じ論理を堂々と展開しようと、するするっと通ってしまうのだ。それをいちいち批判するのは大きな徒労だ。だから何も言わない。出演を断ったブラーのデーモンはミュージシャンが白人ばかりなのはおかしいとかいうピントのずれたことしか言わないし、トム・ヨークもメンバーの個人的な事情でとか言って少しもはっきりとしたステートメントを出さない。だから結局、正義やら救済やらという看板を担いで喜んでいるロック・アーティスト達だけが報じられ、それがロックの既成事実になってしまうのである。冗談じゃない。この号の特集は多くの読者にとってはすっきりと楽しめるようなものではないことはわかっているし、ここでまたこういうことを書いているのもいい加減しつこいのはわかっている。だが今これを言っておかないと、ロックの世界ですら僕は息ができなくなってしまう。

 ロックはアフリカの人達など救えないのだ。そして、救えなくてもいいのである。いったいあいつらは何を勘違いしているのだろう。ロックは俺達が自分達を救うためにある。三秒に一人が死んでいくアフリカの人達をどうすることもできない俺達を、なんとか少しでも救うためにあるのだ。(以下略)

(『激刊!山崎Ⅱ』山崎洋一郎 p269-272より)

樋口 ものすごく良かったです。

村上春樹は、カミソリでなはなくオノをふるう作家になった

山崎 ちなみに、樋口さんは、白石一文さんに出会う前って、どういう作家が好きだったんですか?

※白石一文さんと樋口さんの出会い:「ロッキング・オン」で連載中の『激刊!山崎』で、白石一文さんの『一瞬の光』について書かれたテキストに感銘を受け、白石文学に出会う。後日、編集者だった樋口さんが白石さんにインタビューした際、小説を書いていることを言い当てられたことが縁となり、樋口さんが白石さんに自分が書いた作品を送ったところ、白石さんが絶賛。その後、白石さんに出版社を紹介してもらい、小説家デビューを果たす。

樋口 石原慎太郎だったり、藤本義一だったり。最近はお孫さんのしまおまほさんが有名な島尾敏雄さん。あとは檀一雄さんや開高健さん。初期の頃の大江健三郎さんも好きです。学生の頃までに発表された芥川賞は全部読んだ。一方で、つかこうへいさんが大好きでした。

山崎 でも、それちょっとオールドスクールっぽくないですか。少なくとも俺より上の世代が好きだった作家たちですよね。

樋口 確かに、つかへいの話を同い年の人とした記憶は1回もないですね。

山崎 樋口さんの同世代の人が、好きだったような作家っていうと例えば誰ですか?

樋口 僕が高校生の時に流行っていたのは、村上春樹、村上龍、山田詠美、よしもとばななの4人って感じでしたよね。

樋口 そのラインにはあんまり共感しなかったですか?

樋口 村上春樹にはハマりましたね。僕が高校生のときに、『ノルウェイの森』が出ているんですよ。僕はいつもそうなんだけど、売れてるものはその時は読まなくて。ずいぶん時間が経ってから読むんですけど、「ノルウェイの森」だけは買いましたね。

山崎 へぇー。なんでですか?

樋口 何ででしょう? 1日に1冊の本を読む経験をしたのは、初めてでした。授業中もずっと読んでて。あの本は上下巻なんですが、上巻が読み終わったらすぐ、次の日に学校に行く前に本屋を叩き起こして下巻を買って。それもその日のうちに読みました。

山崎 他の作品はどうですか?

樋口 それをきっかけにデビュー作の『風の歌を聴け』から遡って。結局、村上春樹はエッセイも含めて翻訳以外は全部読んでるかな? 『ねじまき鳥クロニクル』の前あたりで離れていた時期もありますけど、やっぱりおもしろいなって思いますね。

山崎 どのあたりがおもしろいんですか?

樋口 そういえば山崎さん、春樹をボロクソ書いてましたね。よろしい。春樹の素晴らしさについて解説しましょう。

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音楽は文学に嫉妬するか—山崎洋一郎×樋口毅宏ガチンコ対談

山崎洋一郎 /樋口毅宏

小説『さらば雑司ヶ谷』の中にオザケンを登場させたのも、師である白石一文さんに出会ったのもすべては「ロッキング・オン」のせいだった――「ロッキング・オン」をこよなく愛し、その編集長・山崎洋一郎がいなかったら、今の自分はいないと熱く語る作...もっと読む

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コメント

mixed_text https://t.co/B9LQQRK1Ew 約1年前 replyretweetfavorite

piboara 「あの時」を忘れてるヤツは信用してない。<< 3年弱前 replyretweetfavorite

yuzumeets_an “あいつらは何を勘違いしているのだろう。ロックは俺達が自分達を救うためにある。三秒に一人が死んでいくアフリカの人達をどうすることもできない俺達を、なんとか少しでも救うためにあるのだ。(『激刊!山崎Ⅱ』山崎洋一郎 p269-272” https://t.co/mmMIi9DEEw 3年弱前 replyretweetfavorite

DrqYuto ロックは無力感から自分を救うためにある 3年弱前 replyretweetfavorite