『テロルのすべて』には樋口毅宏の使命が宿っている
樋口 山崎さんには、僕の小説『テロルのすべて』の文庫で帯を書いて頂きました。改めてありがとうございました。
「ロック衝動が生む妄想、それをどこまでも野放しにして完成させたらこの小説になるだろう。ありそうだが、ここまでの純度のものはなかったかもしれない」
山崎 とても光栄なことだったので、新たに書かせていただこうと思ったんですけど、ちょっと間に合わなくて……。以前、僕がブログで書いた文章を使って頂けるってことだったので、その文章を使っていただいたんですよね。
樋口 あれで十分です。本当に嬉しかったですから。
山崎 で、その出来上がった文庫本を送って頂いて。もう1回改めて読んでみたんですけど。あのあとがきのところに、映画監督の長谷川和彦さんのツイートが載ってるんですよね。
樋口 長谷川さんには僕から本をお送りさせて頂いたんです。『太陽を盗んだ男』がなかったら、あの小説を書いてないからですね。
山崎 長谷川さんのその映画へのオマージュというか、インスピレーションを受けて、そこから生まれた作品だったんですよね。でも、その感想を長谷川さんがツイートされたんですけど。ちょっと批判的な内容でしたね。
樋口 全然いいんです、いいんです!
山崎 その要するに、あの話っていうのは、すごく根深い反アメリカ的な思想が入ってますよね。
樋口 ネトウヨ的な?(笑)
山崎 そうそう。ネトウヨ的な思想と、それとカタストロフっていうか、最終終末みたいな感覚を追い求めてしまう若者独特な感覚がごっちゃになっていて。簡単なあらすじを言うと、若者がブッシュが住むアメリカのテキサスの農場に核爆弾を落とすっていう話なんですけれども。
樋口 そうです、そうです。
山崎 それに対して長谷川さんの批評は、簡単に言うと「結論がちょっと安易すぎるんじゃないか」っていうようなことだったんですよ。俺もそれを読んで、長谷川さんがそういう風にお考えになるっていうのは、すごいよくわかるんですよ。でも、俺からすると、そのエンディングを書くっていうのが、樋口さんの持って生まれた使命というか持ち味だと思うんですよね。
樋口 「ロッキング・オン」や山崎洋一郎にやられたんですよ。
山崎 ひとくくりにはできないですけど、文学として考えると、確かにあのあらすじって読んだ後に「こんな安易な終わり方なの?」という感想を抱かせる。実際本当に爆弾を落として、主人公は、最後の一行が、「さぁ、家に帰ってワンピースを読もう。」っていう一行で終わってるんです。
そこで長谷川さんが、「文学なんだったら、もう少しそこを突き抜けた、読者の意外性に訴えるような新しい結論であったりとか、もうちょっと深い考察みたいなのがあって然るべきだ」っていう批評をしたんだよね。
樋口 そうですね。
山崎 でもね、俺はあの結末でいいと思ったんです。もう、あれだからこそ、100%いいって思った。
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