オザケンは40代になっても、何も変わらない
樋口毅宏(以下、樋口) 山崎さんとしっかりとお話させてもらうのは、今回が初めてですよね。
山崎洋一郎(以下、山崎) そうかもしれないですね。
樋口 最初に言っておきますと、僕は人生で山崎洋一郎さんから物凄く影響を受けまくってます! もう、山崎洋一郎さんがいなかったら、今の僕はいないレベルですから!
山崎 ……その気持ちは大変ありがたいんですが、今日は樋口さんの話をしましょうよ。僕のことを知らない方もいらっしゃると思うので、軽く自己紹介させてもらいますね。僕は「ロッキング・オン」っていう洋楽のロック雑誌の編集長をやってます。そのほかに、「ロッキング・オン・ジャパン」っていう、日本のロック雑誌の編集長をやっています。
樋口 『激刊!山崎Ⅱ』という本も出されたばかりなので、この話も是非お聞かせ下さい。
山崎 はい。
樋口 最初は時事ネタからいきますか! 先日のオザケンこと、小沢健二が出演した『笑っていいとも!』はご覧になりましたか?
山崎 観ましたね。多くの人がそうしたように、ワンセグで原稿書きながら観てました。
笑っていいとも! テレホンショッキング 小沢健二
樋口 その昔、「ジャパン」のなかで山崎さんが、オザケンが初めて『いいとも!』に出た時に「完全に頭おかしい」、社長の渋谷陽一も「こいつやっぱ本物の気狂いだな」という感想を漏らしていたのを覚えているんですが、今回はどんな感想を持たれましたか?
山崎 うーん……。やっぱり前とあんま変わんないなっていう感想ですね。
樋口 人の親になっても変わらない。
山崎 そう、人の親になっても。ただ、もっとけたたましい感じの人だった気がするんですよ。
樋口 と言いますと?
山崎 ちょっと印象論になっちゃうかもしれないんですけど、オザケンはもっとなんかこう、ゲラゲラゲラって笑ったかと思うと、突然ものすごく人を刺すような、辛辣なことを浴びせたりするアップダウンの激しい人という印象があるんです。まあ天才肌というか、ちょっとアブナイというか、そういう振れ幅の方だったと思っていたんです。だから、『いいとも!』を観たときは、ちょっと丸くなっているなって感じはしましたね。
樋口 まあねぇ。
山崎 でも、それはもちろん「タモリさんの前だから」っていうのはあると思うんですけどね。
樋口 山崎さんがオザケンをインタビューしていたのは、それこそ20年ぐらい前ですよね。当時のオザケンは20代で、今は40代半ばになった。
山崎 以前はラジオ番組なんかに彼が出たとしたら、もしもそのパーソナリティの人が音楽にあまりくわしくない人だと察したら、ウソの洋楽バンド名をバーっと羅列したりしてましたからね。そして、パーソナリティの人が知ったかぶりして、「ああそうですよね、あれか」って言うと、影でクスクス笑っているという。そういう奴です。
樋口 でもそれってフリッパーズ・ギターの時からですよね、その性格の悪さ。ラジオに出たときまで、そうやって人を陥れておちょくるのって、フリッパーズ・ギター ※1 か、電気グルーヴ ※2 かって感じですよね。
※1 フリッパーズ・ギター:小山田圭吾、井上由紀子、吉田秀作、荒川康伸、小沢健二が参加していたバンド。後に小山田と小沢の2人に。1991年、3枚のアルバムを残して突如解散。当時の若者たちに多大な影響を与え、「フリッパーズ・ギター以前/以後」という言葉を生んだ。
※2 電気グルーヴ:1989年に石野卓球を中心に結成。現在はピエール瀧と2人組だが、かつては若王子耳夫、高橋嵐、CMJK、砂原良徳などが在籍していた。テクノ、ダンスミュージック、エレクトロニカなどの幅広い電子音楽を用い、独特のユーモアを持つことで知られる。
山崎 そうですね。でも電気グルーヴの2人は、その性格が完全に反映された音楽をやっていますけども、オザケンの場合は違うんです。誰よりもするどい毒を持っている人なのにも関わらず、「♪ラブリー」とか歌うっていう。
『LOVELY』小沢健二
樋口 「さよならなんて云えないよ」みたいに、「♪左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる」というような、圧倒的なまでの人の肯定を歌っています。
『さよならなんて云えないよ』小沢健二
山崎 そうですよ。当時の多少知性のある人は、「こいつは本物の○○○○だ!」って思ってましたから。
樋口 今頃伏せ字にしてももう遅いよ!
山崎 というかまあ、当時のオザケンは絶対的な存在感を放ってたんですよね。
樋口 こないだの『いいとも!』はすごくよかったですね、絶望大王 ※3 を救済する20分って感じでした。
※3 絶望大王:樋口毅宏さんが『タモリ論』のなかで、タモリにつけた呼称。『いいとも!』に以前小沢健二が出演した際、タモリが「俺、長年歌番組やってるけど、いいと思う歌詞は小沢くんだけなんだよね。あれ凄いよね、“左へカーブを曲がると、光る海が見えてくる。 僕は思う、この瞬間は続くと、いつまでも”って。俺、人生をあそこまで肯定できないもん」 と語ったことから、「人生を肯定できない=人生に絶望している」として、愛を込めてタモリを「絶望大王」と呼んだ。
山崎 タモリさんって普段はあんまり表情ないけど、オザケンと対面した時は嬉しそうな表情でしたね。
樋口 しみじみとしてましたね。
オザケンは絶対的で、時代に早かった
樋口 思えばオザケンって存在自体も“早かった”なあ。いまは「ジャパン」の表紙を飾っているアーティストと、AKB48とかももクロの歌の両方を聴いていてもおかしくない時代ですよね。小沢健二って、存在自体が「早かったなあ」って思いますね。
山崎 彼は、紅白にも出ましたからね。
樋口 あの時も山崎さんは彼のことを絶賛してましたよね。大物芸能人をたくさんバックに従えて、手拍子をさせて「ラブリー」を歌う様子とかね。
NHK紅白歌合戦(1995) 『LOVELY』小沢健二
山崎 僕があれをどう解釈したかっていうと、あの当時は、紅白が何度目かの大きな盛り上がりを見せている時代だったんです。小林幸子さんを筆頭に、紅白のセットなどの演出などをアーティスト同士がすごく競いあってる時代。その要素はいまだにあるけれども、あの時はその絶頂だったんですよね。
樋口 はいはい。
山崎 その時に、全然違うサブカルシーンから出てきたオザケンが、あんなベタな芸能界の場所にでる。「そんなに歌がうまいわけでもないでもないし、どうやって勝負するんだろう」って思ったんです。
山崎 「相当奇をてらったセットとかを作るのかな」とか思ったら。なんとセットなし。その代わりに、その回の紅白の出演者をバックに並ばせて手拍子させて、自分と同じように「ラブリー」を歌わせている、北島三郎や谷村新司、郷ひろみとかも「♪ラブリー」って。これを観たとき、「最高のセット作りやがったな、あいつ」と思ったんです。
オザケンの凄さは「ロッキング・オン・ジャパン」が教えてくれた
樋口 昔の「ジャパン」って判型が大きかったんですよ。いまの「CUT」ぐらいのサイズ。その次が文芸誌と同じA5の判型で、僕がいちばん好きな頃の「ジャパン」。そのときオザケンが表紙の号があったんですけど、これが凄かったんですよ。オザケンの顔がアップで、表紙に文字が何も載っていない。完全に批評放棄!
「ROCKIN'ON JAPAN」1996年4月号
山崎 あれかぁ。
樋口 当時、僕は編集者として働き始めたばかりだったんですけど、むちゃくちゃ影響を受けましたね。ああいう写真とデザイン。テキストにも刺激されました。本当に測りしれない影響ですよ。
山崎 そうなんですね。
樋口 僕は『さらば雑司ヶ谷』みたいに、『タモリ論』以外の作品でも、小沢健二の歌詞を載せたりしているわけです。なんでそんなにオザケンのことを「凄い人なんだ」と思うようになったかというと、一にも二にも「ジャパン」があったからなんですよね。山崎さんがフリッパーズ・ギターの時から彼について熱く書いていて、見事なまでに脳みそを洗われてしまったわけですね。
それもあって僕は『さらば雑司ヶ谷』で「人類史上最高のミュージシャンは誰か?」という話にオザケンの名前を挙げるわけだから。
山崎 だいぶ昔ですねえ。
樋口 あ、そういえば、僕はオザケンでどうしてもひとつだけ許せないことがあるんですよ!
山崎 え、なんですか?
樋口 2010年に10年ぶりに「ひふみよ」っていうツアーがあったんですよね。これは山崎さんご覧になってて。『激刊!山崎Ⅱ』でも後ろの方のブログに書いてあって。「きょう、会場に岡崎京子さんが来ているって言って、あのオザケンが泣いた」っていう文章が載ってましたけど。
山崎 そうですね。
樋口 でも、その後2012年4月から東京オペラシティで「東京の街が奏でる」っていうコンサートをやりましたよね。あの時、僕もTwitterで呼びかけた人からチケットを買って、見ることできたんです。その時、「山崎さんはいつ行くのかなー」って思ったんですけど、その期間中、結局ツイートがなかった。だから、山崎さんは2年前のコンサートを見に行ってないんですよね?
山崎 2年前の方は行かなかったですね。
樋口 だから僕はTwitterで怒ったんですよ。「なんで小沢健二は、山崎洋一郎を呼ばないんだ」と。
山崎 あの時はね、確か「お客さん以外は一切のジャーナリストも関係者も呼ばない」っていうコンセプトでツアーをやってたんですよね。
樋口 それでも山崎洋一郎は呼ばなきゃダメでしょ。こんな優れた語り部を!
山崎 いやいや、やめてください(笑)。
樋口 2002年にリリースしたアルバム『Eclectic』のときもそう。簡単に言うとニューヨークの白人ソウルをアジア人がやるっていう感じなアルバムでしたけど、あの時もオザケンは3つの媒体しか出ず、「ジャパン」のインタビューは受けなかった。
山崎 そうでしたねぇ。
樋口 洋楽の「ロッキング・オン」の方で、山崎さんがこのアルバムを大絶賛していて。「このアルバムを作るために7年かかった」「一音一音吹きかるように作ったアルバム」「永遠の名作」とまで書いたのに、オザケンは山崎さんのインタビューは受けなかった。「ロッキング・オン・ジャパン」に出ていたことは、彼にとって黒歴史なのでしょうか?
山崎 うーん、彼は別にそんなに俺のこと考えてないと思いますけどね(笑)。
樋口 誰か言ってあげる人はいないのかなぁ。「Olive」から入って、いまだに小沢健二のことが好きな人もいる。でも僕みたいにゴリゴリな男は、「ロッキング・オン・ジャパン」で山崎さんがあそこまでやって、掘り下げてくれたからこそ、小沢健二の魅力を気がついたのに。こんな優秀な語り部を、ライブに呼ばないってどういうことだと思うんですよね! 何やってんだオザケン!
山崎 ちょっと、樋口さん会場の空気見て下さいよ……。
会場 一同(笑)
樋口 ごめんなさいね、山崎さんに言っても仕方ないことなんですけど。
山崎 マニアック過ぎるって……。
【おまけコーナー】
樋口毅宏選「ROCKIN’ON JAPAN」名リードその1
「ROCKIN’ON JAPAN」1991年7月vol.50より(資料提供:樋口毅宏氏)
過激な問題作『テロルのすべて』の結末がどうして100%いいのか? パンクソングはどうして浅はかでいいのか? 芥川賞の論評でまともだったのは石原慎太郎だけだった? 次回「#2 パンクソングは直情的で浅はかだからいい」は5/23更新予定です。
構成 藤村はるな