女の時代」はいつ始まった?

「女子力」という言葉がやたらと話題に上がる昨今。そんな「女子ブーム」は最近の風潮かと思いきや、じつはその発端は、1980年代バブル期の「女の時代」までさかのぼります。"草食男子”、“肉食女子”という言葉の生みの親であり、「女子」に偏愛をそそぐコラムニスト・深澤真紀さんが、明治から平成までの「女」のクロニクルを縦横無尽に語っていきます。

「男女雇用機会均等法」施行前の「女性の仕事」とは

昨今、「女」や「女子」が話題になることが増えたと思うかもしれない。しかし、1980年代バブル期の日本でも、「女の時代」といわれ、「女」について話題になることが多かったのだ。そしてそこから現在の「女子の時代」に変わったといえるだろう。

まず80年代がなぜ「女の時代」といわれていたのかをみていこう。

まず大きな変化は、男女雇用機会均等法(「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」の略称)が、1986年に施行されたことだ。

1979年、国連総会で採択・発効された「女子差別撤廃条約」(「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」の略称)に、1985年に日本も批准したため、もともと1972年に「勤労婦人福祉法」として制定・施行された法律を大改正したのである。

当時の日本では、まだ女性の権利に対する意識は低かったが、国連など海外からの「外圧」、そして当時労働省の婦人局長だった赤松良子氏、その部下だった村木厚子氏など、女性官僚たちの大変な努力で制定されたのだ。

1967年生まれの私は、中学高校時代から、「4大(4年制大学)を出て、仕事を持ちたい」と思っていたものの、当時は男女雇用機会均等法がなかったので、補助職ではなく、長く働ける女性の職業というと、専門職である「教員」「公務員」「看護師(当時は看護婦)」「保育士(当時は保母)」などしかイメージできなかったものだ。

だからこそ、高校2年のときに早稲田大学の女子学生が中心になって出版した「私たちの就職手帖」(1980年創刊、1998年休刊)という女子学生向けの就職情報ミニコミ誌を読んだときは「こんなにいろいろなところで女性が働いているんだ」と驚き、感動したものだ。

そして1浪して(当時女子の1浪は、卒業時に年を取り過ぎていて就職できないといわれていた)、早稲田大学に入って、このミニコミの副編集長になった。

このミニコミで社会学者の上野千鶴子氏に取材したことで、最初の就職先である出版社を紹介していただき、その後、「私たちの就職手帖」の創刊編集長である福沢恵子と、タクト・プランニングという会社を設立して、現在に至っているので、私の仕事人生はこのミニコミに関わることで作られてきたのだ。

当時は、「私たちの就職手帖」と、リクルートが出版している女性向けの就職・転職情報誌「とらばーゆ」(1980年創刊)くらいしか、女性の就職に特化した媒体はなかったと思う。

さまざまな形で働く女性を描くCMも話題になり、女性が転職することを「とらばーゆする」と言ったくらいである。

働く女性のための女性誌「日経ウーマン」(日経BP社)も、この男女雇用機会均等法の流れを受けて、1988年に創刊された。

2010年には、「私たちの就職手帖」創刊30周年を記念して、福沢恵子、元・日経ウーマン編集長で現・発行人の麓幸子氏、私などでシンポジウムも行った。

あこがれの王道は「有名企業の一般職→社内結婚」

さて、私の中学高校時代である80年代前半は、「女子は短大に行った方が、4大生より若いから、就職もあるし、もてる!」と言われていたのだ。

高校で成績のよかった女子が、学校推薦で、青山学院女子短期大学(通称「青短=あおたん」)、学習院女子短期大学(通称「学短(=がくたん)」、現在は学習院女子大学)、東京女子大学短期大学部(通称「東短=とんたん」、現在は東京女子大学に統合)、明治大学短期大学部(通称「明短(=めいたん)」、現在は明治大学に統合)などに入学し、合コンやサークル活動にいそしんで、有名企業の一般職になり、そこで社内結婚するというコースは王道だった。

今では短大人気どころか、女子大人気もすっかり下火になってしまった。

そもそも「一般職」と「総合職」というものが、男女雇用機会均等法によって生まれた職種だった。

それまでは、女子は補助職のみという差別的な採用がされていたが、男女雇用機会均等法によってそれを禁止され、困った企業が生み出した苦肉の策が「コース別人事制度」だった。

結局は、「総合職」は男性と一部の優秀な女性、「一般職」は女性という、新しい「差別」を作っただけであり、総合職女性が男性社会で孤立したり、一般職女性と総合職女性がうまくいかなかったりという構造も生み出してしまった。

私の周囲では、総合職に採用されて今でもその会社で働いている女性は、非常に少ない。多くは結婚や出産で退職するか、がんばりすぎて燃え尽きてしまうという結果になっている。企業は「女性を長く働かせる」という仕組みを作れていなかったのだ。

それでも80年代後半はバブル期であったため、女性を採用して、「女性の開発チーム」などとして活用する余裕があったのも事実である。

たとえば文具メーカーのPLUSの女性チームが開発した、ミニ文具セットの「チームデミ」は、小さなケースにはさみやテープやステープラなどがきれいに入っているという便利な文具だったので、一世を風靡し、私も買った。

たとえ「客寄せパンダ」的であったとしても、このように女性にチャンスが与えられること自体は決して悪くなかったと思う。

流行語大賞は「オヤジギャル」

80年代は、バブル景気と男女雇用機会均等法によって、完全ではないまでも、女性の選択肢が増えた時代で、働く女性たちが男性の「聖域」である、ゴルフや飲み屋や、ギャンブルなどにも「進出」するようになった。

若手サラリーマン向け雑誌「SPA!」(扶桑社)の連載では、故・中尊寺ゆつ子が漫画「スイートスポット」で、そのような働く女性を「オヤジギャル」と名付けて大変話題になり、1990年には新語・流行語大賞の新語部門銅賞を受賞している。

私が名付けた「草食男子」は、もともといい意味で名付けたものが今では悪く使われているが、当時の「オヤジギャル」もずいぶん評判が悪く、「女が男の居場所に来るな」といわれたものだった。

今ではゴルフ場や飲み屋、ギャンブル場が、女性をターゲットにするのは当たり前のことになったが、当時は本当に顰蹙を買っていたのである。

また、1987年から10年近く「週刊文春」(文藝春秋)で連載されていた「OL委員会」の「おじさん改造講座」も大変な人気だった。

1985年にコンピュータ会社のOLだった清水ちなみが、OL仲間向けのアンケートを作っておじさんの実態を集めて、それを笑いながら語るというもので、それ以外にもさまざまなテーマで、「働く女性」のリアルな声がまとめられていたのだ。

なお、男女雇用機会均等法は、1997年と2006年に改正されている。1997年には、社員の募集、採用、配置、昇進を含む全面的な女性差別の禁止、セクハラ規定の整備などが行われた。この時点ではあくまでも「女性差別」のみを対象としていたが、2006年には、男性へのセクハラも禁止して「男性差別」も対象とするなど、法律の整備は少しずつ進んでいる。


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日本の女は、100年たっても面白い。
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この連載について

日本の女は、100年たっても面白い。

深澤真紀

青鞜、モガ、オヤジギャル、だめんず、負け犬、こじらせ女子――ここ100年ほどだけでも、さまざまな名前をつけられてきた女たち。“草食男子”の名付け親・深澤真紀さんが私的に偏愛する「面白い日本の女」を紹介しつつ、女たちがいかに抑圧から解放...もっと読む

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hirarisa_lv0 連載はじまりました。書籍もとても刺激的です。 |日本の女は、100年たっても面白い。 |深澤真紀 https://t.co/aPcmc58CNp 4年弱前 replyretweetfavorite

fjtn_c めもんぬ 4年弱前 replyretweetfavorite

k40r1 --著書も面白そう。 4年弱前 replyretweetfavorite

nimurahitoshi そして今から深澤さんに会いにいく https://t.co/nJfQwIfXPd 4年弱前 replyretweetfavorite