22歳の地図—旅(ビータ)は鈍行列車で行こう 前編

タモリの足跡とともに現代史をたどる連載、今回はタモリと音楽の関係について。ジャズに造詣が深く、トランペットを演奏することでも知られるタモリですが、いつからジャズに傾倒するようになったのでしょうか。音楽がタモリに与えた影響について、過去の発言や時代背景から考察していきます。

終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!

タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)

ボーカルに興味のないタモリ

いまから10年あまり前、ローリング・ストーンズが東京ドーム公演を行なった際、会場から漏れる音を近くのビルで聴こうという企画が『タモリ倶楽部』で組まれたことがあった。そのとき、宇崎竜童や大槻ケンヂ、ダイアモンドユカイ、野村義男らゲスト陣は大盛り上がりなのに、タモリはいまひとつ気乗りしない様子だったのが印象に残っている。

タモリを語るのにやはりジャズは外せないが、ジャズ好きゆえロックにはあまり興味がないのか。いや、ジャズには何からハマったのかと問われて、《音ですね。ジャズ・ボーカルを聴きだしたのは、かなりあと》と答えていることから察するに(タモリ・松岡正剛『愛の傾向と対策』)、彼はロックといわず、ボーカルというものにもともと興味がないのかもしれない。大学入学前後、1960年代半ばに日本でも流行り始めたビートルズにも「影響されたということはない」と明言しているし、日本の歌謡曲も小学校5~6年の頃から聴いておらず、自分のなかでほとんど影響はないという(『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』)。そんな人が、歌番組『ミュージックステーション』の司会を1987年以来四半世紀以上も務めているのだから、不思議なものだが。

アート・ブレイキーのジャズに衝撃を受ける

タモリとジャズの出会いはいつだったのだろう。祖父母や両親のいた旧満洲(現在の中国東北部)は、戦前の日本人にとって数少ない西洋文化との出会いの場であったと本連載「0歳の地図」でも書いたが、それはジャズについても例外ではない。1938年に、服部良一の手になるジャズ色の濃いメロディで淡谷のり子の歌った「雨のブルース」は、あまりにモダンすぎたためか、日本国内より先に大連の日本人租界からヒットし始めたといった話もある。また、作曲家の武満徹は幼い頃を満洲の大連ですごしているが、彼の父親はジャズのレコードをたくさん持っており、毎晩大音量で聴いていたという。

ただし、森田家の人々が日頃からジャズを聴いていたということはなさそうだ。父親が好きだったのはクラシックで、タモリの姉もピアノを習っていたという。その影響で、クラシックのピアノ曲を聴いたり、ビートルズ以前のデル・シャノンなどアメリカンポップスのオールディーズ、はたまた邦楽からチベット音楽から、色々と聴いていたようだ。それでいて、《特別に音楽に興味があるというんじゃなかった》と語っていたりするのだから(『愛の傾向と対策』)、思わず「んなわきゃない」とツッコみたくなる。

ともあれ、さまざまな音楽と接してきた森田一義少年が最後に聴いたのが、《どういうわけかジャズ、それもモダンジャズだった》という(高平哲郎『植草さんについて知っていることを話そう』)。それは高校3年生のときだというから、西暦でいえば1963年。後輩の家でアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのレコードを聴いて衝撃を受ける。

テーマがまずカッコよかった。タッタリリラララッターというんで、カッコいいな、カッコいいなと思った。間にえんえんとアドリブがあって、これがまったくわからない。
『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』
これは何だ、メチャクチャやってるのかとおもった。それまで音楽でわからないとか、不思議だとおもったのはないんで、シャクにさわってね、そのレコードを借りて家へ持って帰ってともかく聴いた。
『愛の傾向と対策』

レコードをじっくり聴いたら、「これは俺に一番ぴったりくる音楽だ」とすっかり虜になっていたという。それはいままでにない音楽体験で、以来「女色を漁るように」ジャズを聴き漁るようになる。

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この連載がついに書籍化!「森田一義」はいかにして「タモリ」になったのか。関係者への追加取材や大幅加筆でその足跡をさらに浮き彫りにします!

この連載について

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タモリの地図—森田一義と歩く戦後史

近藤正高

2014年3月31日、『笑っていいとも!』が32年間の歴史に幕を下ろしました。約32年間、毎日テレビに出続け今や国民的タレントになったタモリ。そんな「昼の顔」だけでなく、アングラ芸で身を起こし、深夜番組『タモリ倶楽部』で披露する「夜の...もっと読む

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donkou ケイクス連載、更新されております。タモリのジャズとの出会いはいつ、どんなものだったのか? 4年弱前 replyretweetfavorite