高木新平がいま輝いている3つの理由!
時代を読み解く“コンテクストデザイナー”!
時代の空気を読み解いて言葉やデザインなどに落としていく、 “コンテクストデザイナー”という肩書を名乗って企業ブランディングからメディアPRまで、縦横無尽に活躍しています。
活動自体がまるでひとつの社会実験!
情報発信シェアハウス「トーキョーよるヒルズ」やWEBサービスを作り続けるサークル「Liverty」、ネット選挙運動解禁を実現した「One Voice Campaign」をつくるなど、新世代の「生き方」を世に問い続けています。
26歳で都知事選で家入一真候補の選挙ブレーンに!
先の都知事選では、ネット世代に注目された候補者・家入一真さんのブレーンとして、「インターネット×政治」の領域で最先端のポジションに立って、選挙戦略やプロモーションを立案しました。
—— 先の東京都知事選で家入一真さんのブレーンを務められましたよね。
高木新平(以下、高木)はい。
—— 1987年生まれ、大手広告代理店出身という若さや経歴から、考えるととてもユニークなご活躍ですよね。そもそも高木さんが“コンテクストデザイナー”として政治に関わるようになった理由は何だったんでしょうか?
高木 そうですね、説明するとすこし長くなってしまうんですけど……、一番最初は2011年の震災のあと、僕の気持ち的にも世の中的にも「このまま会社に依存していていいのか」というムードが少しずつ広まっていたんです。
—— ちょうど「新しい働き方」としてフリーランスやノマドワークが注目され始めていた頃ですよね。
高木 僕は当時23歳だったんですが、大手の広告代理店やめてフリーになるということをブログで宣言して、それがちょうどタイミングが良かったのか、すごく読まれたんですよ。
—— 「博報堂を辞めました。」という記事ですね。たしか100万PVをすぐに超えたとか。
高木 はい。ただ会社を辞めてからのプランは何もなかったので、何人か同じ時期に辞めようとしてる同世代の友人たちを集めて、六本木で「トーキョーよるヒルズ」という名前のシェアハウスを始めたんです。
—— どうして「よるヒルズ」なんですか?
高木 「夜な夜な活動するから、深夜だったら誰でも来ていいよ」という昼夜逆転のシェアハウスだったからですね。なにかを消費する場所はあっても、よく考えたら副業やボランティアって結講多くの人がやっていたのに、会社以外には生産する場所がなかった。
それで夜にリビングを開放したら人が集まり始めて、そこでイベントを開催したり、様子をネット中継で配信したりしていったら、次第にどんどん人が増えてコミュニティみたいになっていきました。
—— どのぐらいの人が集まったんですか?
高木 1年間でのべ2000人くらい集まりました。それで余計にいろんな人が注目してくださるようになって、そのうち「若者文化を体現している人!」みたいな感じでメディアなどで少し持ち上げられました(笑)。
—— シェアハウスという暮らし方がブームになっていた時期でもありますね。
高木 そうですね。僕は一人で生きていくのは寂しいから、シェアハウスってすごい良いライフスタイルだなと。だからソーシャルメディアとかを駆使して積極的にパブリックに出していきました。そこでたまたまなんだか「よるヒルズ」ってネーミングとかをおもしろがってくれた経営者の方から「ウチの会社をこれからの社会の中でどう位置づけていくか、それを言語化してくれ」という依頼をもらったんです。
高木 はい。会社を辞めてからは半年間くらいまともな仕事できてなかったので、チャンスを与えられるのが純粋に嬉しかったんです。少しでも関心持ってくれた人たちには、お金とか気にせずコピーを書いたり企画案を出しまくりました。そうすると、そのうち幾つかは本当に仕事としてもらえるようになって、複数の会社ではその経営者とともにコーポレートブランディングを本格的に始めることになりました。
ただ、スローガンやロゴをつくって終わりというのにはしたくなくて、企業を取り巻くすべてのコミュニケーションの源をつくりたいと考えていました。だからとにかく考えて考えて、1つ1つ手を動かしアウトプットにつなげていきました。
—— 丁度その頃に高木さんとお会いしたとき、「肩書きはなんですか?」と聞いたら、「困ってるんですけど、“コンテクストデザイナー”にしようかな」とおっしゃっていましたね。
高木 まず肩書きって思考停止への第一歩だなと思って、なくしたかったんです。でもなくすとそれはそれで話題になったものばかり代名詞的に紹介されてイメージが固定されるから、それも嫌だなと。まぁ、抽象的なものにしようと思ってとりあえず「文脈的に考えることって重要だよな」と思い、「コンテクストデザイナー」って肩書きを名乗ることにしました。
—— 企業ブランディングの仕事が、どういう流れで政治の世界につながっていくんですか?
高木 普段から「なんで日本はネット選挙を解禁しないのか」ということが単純に不思議だったんです。アメリカ大統領選でオバマはバリバリにネットを使っていた。でも、日本では公職選挙法を改正しないとできない。じゃあそれをキャッチーにして、カッコいい感じに広めよう! ということで「One Voice Campaign」という名前をつけて、ネット上で署名を集めたんです。
ソーシャルメディアを使ったり、各界の著名人から応援メッセージもらったり。戦略通りに、その盛り上がりメディアに取りあげてもらって、政治家に関心を持ってもらって……という風にどんどん働きかけていきました。
—— その結果、超党派の議員連盟が誕生して、ネット選挙解禁の実現に至ったわけですね。安部首相が「One Voice Campaignという若者のムーブメントがあって、それに背中を押されて解禁した」と公的に発言していますね。
高木 そのとき、「ああ、政治って本当に変えられるんだ。おもしろいな」と思ったんです。もちろん僕個人の力じゃなくて、それ以前からたくさんの人が動いていた蓄積があって、多くの人に協力してもらってはじめて実現できたことなんですけど、「僕たちの力で社会は変えられる」ということを実感できたのがすごくうれしくて。単純にワクワクしました。
—— なるほど。
高木 そうして企業ブランディングみたいな仕事をたまにしながらも、自分で勝手にいろんな人を集めて、イベントを企画したり、ニコニコ動画とかユーストリームで議論する番組などを配信したりもしてたんです。それをたまたまアメリカ大使館の文化担当の人が見てくれていて、「今度アメリカ大統領選があるけど、日本では関心が高くない。もっと若い人に知ってもらって、日米関係を考えるきっかけを作りたい」という相談を受けたんですよ。
—— そんな依頼が個人に来るんですね!
高木 そうなんです。大統領選の当日、結果が出るまでの16時間くらいぶっ通しの生放送をニコニコ動画でやったんです。津田大介さんに司会をしてもらって、いろいろな立場の識者を呼んで、カリフォルニアやニューヨークの人とつないだりして。
—— やってみてどうでしたか?
高木 政治の世界でも、インターネット的というか広告的というか、自分が培ってきた発想をアウェーに持ってくると意外と機能するものだなぁと感動しました。
(次回は、5/20更新予定)
構成・インタビュー撮影 呉琢磨、ポートレイト撮影 喜多村みか