第2章 2011年1月~
年が明けて2011年1月。世間では「ソーシャル・ネットワーク」という映画が話題になっていた。僕も利用者の一人だったFacebookというSNSが日本に本格上陸するタイミングで、「実名制SNS」を標榜するウェブサービスが日本に受け入れられるかどうかの議論とも相まって、映画は人気を呼んだ。今をときめくFacebookにどのような創業時代があったのか興味があって、僕も渋谷でチケットを一枚買った。
映画の主人公は天才そのものだった。僕は見なければよかったと激しく後悔した。彼は創業当時、大学1年生の18歳で、僕は浪人しているし2年生だからもう20歳だ。スタートでいきなり2年も遅れている。サービスを一日でつくって、その日に22,000ページビューを稼ぎ出すなんてありえない。投資家と面会するシーンでは主人公の横にふたりの仲間が座っていた。僕にはそんな仲間がいるのか。そもそも投資家なんて会ったこともない。映画の内容を思い出し、いちいち自分とくらべながら、くよくよと悩んでいた。
うまくいかないならその段階でやめればよかったが、やめなかった。元々わかりやすい理由があったわけではないけれど、ただ、もう後には引き返せないという思いで突き進んでいた。今まで同じ道を歩んでいたはずの大学の友人たちが、普段どおり授業に出席しているのを見ると、胃液がせり上がってくるような気分にもなった。けれど、それ以上にもとの袋小路に戻りたくない気持ちのほうが強かった。
僕も、しょうもないウェブサイトを抱えたまま、ただ突っ立っていたわけではなかった。やれることはなんでもやってみよう。そこで、まずはmanaveeを宣伝するためのTwitterを始めた。@hana_manaveeというアカウントネームで、発信した最初のつぶやきは次のようなものだった。「manavee代表の花房です。まだまだソーシャルメディアに頼る段階ではないと思っていましたが、せっかくツイートしていただいているようなので、お礼まで。どこにでもある課金制のeラーニングのサイトにするつもりは毛頭ありません」
教育界に知り合いなどいないので、片っ端から@をつけて話しかけた。
「授業のオープン化という視点でいろいろ調べておられるということですが、先行するウェブサービスでなにか面白いものがあれば、教えてください」
「新米数学教師です。いろいろ勉強させてもらいます!」
「最近教育関係でサービスをしようと思いいろいろ調べています。一口に塾といってもいろいろあるんですね。勉強させていただきます。よろしくお願いします」
返事が帰ってくることは稀で、僕のTwitterはたちまちスパムアカウントのようになった。それなりに工夫してフレンドリーに交流しようと努めたつもりだったが、今見返しても同情するくらいみじめなタイムラインだった。そんな中で、ひとりの大学生が僕のアカウントに返事をしてくれた。どうやら慶応SFCの学生で、学業の傍ら起業して、すでにフォロワーもたくさん付いているようだ。彼は持論をふっかけてきた。僕は慌てて返信する。
「受験用の高品質な授業だって、ネットで見られて当たり前という風潮をつくっていきたいのです。その結果授業なんて意味ないじゃんと夢から覚める人、それでも残る需要、いろいろあると思います。そこで重要なのは、コンテンツの解放です」
「僕は現在のところ、1から10まで面倒をみる塾そのものになろうとはしてません。現状、閉鎖的に利用されている良質なコンテンツを解放し、各現場で有用に柔軟に使っていけるようなプラットフォームを作りたいのです」
余裕がないのを悟られないように、冷や冷やしながらひとつずつ答えた。この人は初めて話をするのにどうしてこんなに挑発的なんだ。もとより得意だとは思っていなかったTwitterだが、これがきっかけではっきりと僕には向いていないと思うようになった。
迷走する僕の話し相手になってくれたのは、千佳だった。僕が突然放棄した音楽理論の勉強会のことでひょっとしたら怒っていたのかもしれないけど、大学の試験や自動車教習所通いの傍ら、僕たちはたびたび会って作戦会議を開いた。
当時のメールのやりとりに残っていた議事録には、どうすれば収益化できるかについての提案が並んでいた。始めて四か月くらいであったが、当時から一番問題視されていたのはマネタイズについてだった。あの手この手でお金に結びつかないか知恵を絞った軌跡がうかがえる。ただ、素人の授業が100個集まった程度のウェブサイトでは、何もできないことは分かっていた。
■授業撮影は、こんな感じ
冬休みも終わって通常授業が再会されるのに合わせて、僕はまた先生たちのスケジュールを聞き出して日々の撮影を再開していた。年が明けてもやることは変わらない。空き教室に行って機材をスタンバイして、先生の授業を撮影する。
一般的に授業というと、一時間くらいの講義を想像するけれど、インターネットで授業を配信するということを考えると、ひとつの授業は長くても15分くらいに収まるのが望ましい。だから、僕たちは一回の撮影で、2、3個の授業を用意する。
先生たちが板書の準備をしている間、撮影がかりの僕は暇を持て余すので、ムーンウォークの練習をしたり、タップダンスをしたり、校長先生になったつもりで手を後ろに組んでおもむろに歩いたりして時間を過ごす。その日は猪倉くんとの撮影だった。
彼は、その威圧的な態度も相まって、実に魅力的な世界史の授業をする。カメラ越しにも迫力が伝わってきて、ビデオを撮影している僕も、思わず無意識に頷いてしまう。彼は劇団にも所属していたので、人に伝えるという点では、きっと高いスキルを持っていたのだろう。
こんなに上手な授業をする先生が一緒にやってくれているんだと、僕は恐縮する思いだった。彼がもともと強圧的なコミュニケーションをすることもあったが、まるで、大物俳優に仕える新人マネジャーのように、僕は彼に気を遣うようになった。
ただ、ビデオカメラの前でする授業というのは、ちょっと特殊だ。いかに語りがうまくても、講師経験があっても、ビデオ授業には特有のノウハウというのも存在する。例えば、猪倉くんは話をするとき椅子に座るが、そうすると首から上だけが画面に写って、妙な構図になってしまう。僕はそれを言おうかどうか迷ったが、最終的にはビデオの品質が大事なので、僕は伝えることにした。
最初、彼は「そうか」と言ったが、自然に身についた習慣なので、また同じように座ってしまう。繰り返し僕が注意すると、何度目かに、彼は少し苛立ったようだった。
「ボランティアでやってるのに、なんでそこまで指図してくるのか」
それもその通りだった。日曜日の午前にわざわざ出てきて、授業撮影に協力してくれている人に対して、僕の態度は間違っていたのかもしれない。
授業が終わると、彼は乱暴に言った。
「俺の先輩でベンチャー企業をやってる人に、お前の事業のことを言ったら、今すぐに辞めてこっちに来たほうがいいと言われたよ。そんなものは、なんの将来性もないって」
僕が、なんの返答もできずにいると、彼はそれが冗談だとでも言うように、大きな声で笑った。彼の笑い方は、劇中にでてくる悪の親玉のように、堂々として偽悪的だ。
僕はなにか一言返してこの会話を終わらせようとしたが、どんな言葉も適切な解答にはなりえないように思えた。紅潮した顔をなるべく悟られないように、僕はうつむきがちにムーンウォークの練習を始めた。
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