終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、 敗戦から70年が経過した日本。
双方を重ね合わせることで、 あらためて戦後ニッポンの歩みを 検証・考察した、新感覚現代史!
まったくあたらしいタモリ本! タモリとは「日本の戦後」そのものだった!
タモリと戦後ニッポン(講談社現代新書)
タモリが哲学科を選んだ理由
2014年3月31日、『笑っていいとも!』の最終回に出演したビートたけしが、タモリを前に読み上げた“表彰状”には、「一部のエセインテリの集団から熱狂的な支持を受け……」とデビュー当時のタモリを評した一文があった。
タモリについて「エセインテリから支持された」とたけしが評したのは、これが最初ではない。さかのぼること三十数年前、雑誌『広告批評』で組まれた特集「タモリとはなんぞや」(1981年6月号)でも、たけしはタモリを《エセインテリをくすぐるのがすごくうまい》《ホント、エセインテリだと思う、タモリのことをどうのこうの面白がる人たちって》などと語っていた。興味深いのは同じ記事で、たけしが次のように指摘していることだ。
大体、いまの日本人のかなりの人たちが大学卒でしょ。で、その人たちの大半は自分はバカではないと思ってるわけね。(中略)学校に行ったというただそのことだけで、みんな自分の頭は一般の人とレベルは同じだと思っちゃうんだよね。で、そのへんの奴らが知ってるようなことをタモリさんがちょっと突っつくと、あ、あいつ、おれと同じ感覚だな、とか、センス的にわりといいじゃない、みたいなことになるんだよね。
タモリが一浪して早大に入った1965年には、2歳下のたけしも明治大学に入学している。この年代の人口に対する大学進学者の数は、いまとくらべたらけっして多くはない。これについては、タモリと3歳下にあたる糸井重里の対談でも話題にのぼっていた。対談中、糸井の「当時の大学卒は、全体の15%くらいだったらしい」との発言に、タモリは《学生運動は、15%の中の、また微々たるものですよねぇ》と返している(「タモリ先生の午後2007。」第17回)。時代や世代を、ごく一部の目立つ層だけを見て語るのはいかがなものか、というその考えにはうなずける。
ただ、15%という数字は意外に重要だったりする。というのも、一説には、高等教育は該当年齢人口の進学率が15%までのときがエリート段階で、15%を超えるとマス段階になるといわれているからだ。四年制大学の進学率でいえば、1964年に初めて15%を超え、その後数年は下がったものの1969年にふたたび15%を超えてからは毎年上昇していくことになる。先の説にしたがうなら、この期間に日本の大学教育はエリート育成の段階を終え、本格的な大衆化が始まったといえる(竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』)。
社会のエリートだったかつての大学生にとって、教養を身につけることが欠かせなかった。教養という言葉が、人間として成長するための幅広い知識や精神の修養、またその成果の意味で使われるようになったのは、大正時代あたりからだという。まだ多くの若年層が、義務教育すら満足に受けられないうちに家業を継いだり外へ稼ぎに出なければならなかったこの時代、高等教育を受けながら青春を謳歌できた者はごくわずかであり、教養の追求は彼らの特権であった。自己形成のうえで教養を重んじる「教養主義」は、立身出世とも結びつくこととなる。
だが1960年代、先述のとおり高等教育が大衆化したことで、教養主義は実質的に終わりを迎えたとする見方がある(三浦雅士『青春の終焉』、竹内洋『教養主義の没落』)。そこへ来て、どこか押しつけがましい響きのあった教養の語に変わり、ただ純粋に客観的な知識を意味する「知」という言葉が新たに使われるようになったと、文芸評論家の三浦雅士は説明する。三浦によれば、知は身につけていなければ恥ずかしいという類いのものではないので、それを必要とするか否かは単に「趣味の問題になってしまった」という(『青春の終焉』)。
ちょうど教養が知に取って代わられつつあった時期に大学に入ったタモリは、文学部のなかでも哲学科を選んでいる。教養主義的な志向を感じさせる選択だが、本人にはべつに精神の修養とかそんな目的意識があったわけではないらしい。彼自身は哲学科を選んだ理由を次のように語っている。
高校の倫理社会で、何か偉そうなことをこいとるやつがいるなと。ぼくは能書が大好きだから、これは能書ばっかりこいとる学問があるぞ、これはいいなと。何を言っとるのかわからないが、何だろうこいつはと、ムラムラッとのめりたくなるんですね。
(PLAYBOY日本版編集部編『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』)
まさに趣味的に哲学という学問を選んだわけである。結局、大学は除籍になったとはいえ、哲学をはじめ知的なものをネタに遊んでみせるという彼の姿勢は、いまにいたるまで変わらない。
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