第1章 「manaveeはネットに無料の東進をつくります」vol.3

取りあえず大学を休んで、授業動画サイトをゼロから作り出すことにした花房孟胤さん。プログラミング経験はゼロなのに、作ろうとしたモノは途方もなく大きかったのでした……。
無料の授業動画サイト「manavee(マナビー)」を立ち上げた花房さんが、その設立、運営、そして現在に至るまでの紆余曲折を赤裸々に語ります。たった一人で教育を変えようと思い立った男の泥臭い奮闘記をお届けします。

■生まれて初めてのプログラミング 

 最初の夜は、お世辞にも生産的とは言えないものだった。

 夕食の後そのまま家に帰った僕は、パソコンを開いた。プログラミングなどできなかったから、とりあえずメモ帳を開いて、有名なウェブサイトのソースコードを書き写そうと思った。最初に思い浮かんだのはカーン・アカデミーだった。ページを開いてソースコードを表示させる。一行目から順番に、書き写し始めた。結論から言うと、それはただ自動生成されたほとんど意味のないコードだった。しかし、その事実とてあまり重要ではなかった。夢中になった僕は、一行ずつ書き写しながら何となくプログラミングという世界のルールを汲み取っていった。

 次の日、本を買った。WEBで調べたところ、どうやら最初はPHPというのがいいらしい。500ページくらいのサンプルコード集を丸五日かけて読んで、何となくできることが分かり始めた。ビデオカメラも買ってみた。当時のバイトの稼ぎで買える範囲の一番いいカメラは3万8千円。さっそく模擬授業をしてアップロードするが、音も映像もひどすぎて見られたものではなかった。その後、設定をさまざまに調整して、なんとか見られる映像ができ上がった。

 仲間も必要だ。僕に才能がないことはすぐに気づいた。録画したいくつかの模擬授業を見ると、僕にはカーン氏のような名授業がこの先も望めないことは明白だった。彼と同じようなワンマンモデルでは勝負できない。よし、仲間を探そう。

 しかしこのとき、日常的に話すことができる知り合いは、ほんの数人だけだった。

 そのうちのひとりが、音楽理論の勉強仲間だった友人の千佳だ。大学入学時に同じクラスで知り合った。入学して最初の情報の授業の日、教室が分からずに迷う僕を、彼女はパーカーの裾をちょこんとつかんで誘導してみせた。「こいつは小悪魔だ。ガードを上げろ」。彼女に対する僕の第一印象は最悪だった。

 2年生の四月になって、僕は音楽理論に興味を持っていた。本格的に勉強するきっかけが欲しいと思い、勉強仲間を募集した。ピアノ経験が長い千佳が返事をくれて、一緒にやることになった。それ以来、「理論と実習」という教科書を片手に週に一回集まって、和音を作っては答え合わせをする仲だった。

 最初に僕がアイデアを披露した時、正確には何をしゃべったのか記憶は定かではないが、恐らくろくな説明はしていない。それでも彼女は、面白がって参加すると言ってくれた。最初の仲間ができた。

 仲間になってくれるなら、別に知り合いでなくとも構わなかった。まずは知り合いに声をかけた僕が次にしたことは、大学で知っている限りの面白そうな人にアポをとって、参加してくれないかとお願いをすることだった。

 猪倉くんはそのときに声をかけたひとりだ。知り合いでもないのに僕が彼を覚えていた理由は、新聞を読み比べるという内容の社会学の授業で、とにかく彼が威圧的で偉そうだったからだ。やたらと礼儀よく手を上げたかと思うと、大きな声で質問して、答えに満足できないと笑った。怖いやつがいる。教室のだれもがそう思っていたに違いない。

 休日の駒場の食堂前で最初に面と向かって話し合った時、一息つくたびに彼は僕の論理を叩き潰してみせた。参加してくれないかと言った時に返ってきた言葉は今でも脳裏に刻まれて忘れない。

 「誰しも泥船には乗りたくないからね」

 けれど不思議なことに、彼は最終的には僕と一緒にやることを選んだ。

 いろんな人に声をかけては論破されたが、、気がつくと仲間は5人に増えていた。何の実績もない僕の、何になるかも分からないプロジェクトに乗った酔狂な人たち。それぞれに担当科目を決めて、撮影をスタートした。

 サイト作りは、簡単にはいかなかった。プログラミングと一言で言っても、実際にはいろいろな知識や技術の組み合わせでWEBサイトは作られているため、それらを順番に覚えていく必要がある。

 また、開発作業というのは、直線的に進んでいくわけでもない。「バグった」「バグがある」という表現はもはや一般に浸透しているが、プログラムを作るということは、バグと戦うということでもある。ちゃんと書いたのにどうも上手く動かないときには、バグを疑おう。'getVideoINfo'と'getVideoInfo'は、いくら似ていても違うものだからエラーコードが出てしまうし、改行の前に全角スペースを入れてしまって気づけないのも、すべてはあなたの書いたソースコードの責任だ。

 神経質なヤニックを起こさないように気をつけながら、朝日が昇るまでパソコンと格闘する日々が続いた。今なら5分でできることも、一晩かけて作業した。

 目標は一ヶ月以内にサイトを公開すること。仲間にもそう言ってしまったから、今さら後には退けない。当時の生活スタイルは、朝起きて大学で一限が始まる前に自分の数学の授業を撮影して、昼からは仲間になった先生の撮影を行ったり、新しい先生を勧誘しにいったりする。夕方になったらちょっと床で仮眠をして、夜はいよいよサイト開発のための勉強に充てる時間だ。

 コンテンツは揃い始めていた。僕が作った数学の授業が12本、千佳がつくった古文の授業が3本、猪倉くんが作った世界史講義が6本、合計で20個以上の授業が集まり、あとはウェブサイトの公開を待つばかりになっていた。

 そんな折、開発は最も重要な局面にさしかかっていた。それはデータベースを利用した動的なアクセスである。何だか難しそうに聞こえるかもしれないが、同じリンクにアクセスしてもIDによって違う内容が表示される仕組みのことといえば、現在のWEBでは当たり前の技術だと分かるだろう。

 一般的に利用されるほとんどのサイトが動的に生成されているが、そういった仕組みでも自分で実装するとなると話は別だった。誰かが英語で同じような質問をしているのを見つけてそこに書かれたコードをコピーしたり、使い方マニュアルのサンプルコードをコピーしたりして、真っ赤な文字で表示され続ける英文字列を解読する。ようやくのことでエラーが消えた。

http://manavee.com/videos?id=1

 ページが表示された。僕が最初に撮影した授業「指数の決まり」が画面に表示される。次はIDを2に変えてアクセスしてみた。

http://manavee.com/videos?id=2

 ページが返る。「品詞の基本」千佳の授業だ。データベースに登録したとおりに、IDによって違うページが表示されている。成功だ。

 この瞬間の感動を僕は忘れない。たったこれだけのことを作る間に、3回朝日が昇った。本当に非効率な作業だった。けれど、僕は純粋な興奮を感じていた。世間的にはごく当たり前のことでも、自分の作ったシステムがそれを実現しているのを見ると、「本当に動くんだな」と、初めて信頼に足る根拠を得たような気持ちになった。

■manaveeが生まれた日

 気づくと11月7日になっていた。明日で一ヶ月だ。約束通り、サイトを公開しないといけない。WEBサイトを作るための大事な機能は実現できていたのに、小さな不具合がなかなか解決できずに時間を喰って、僕は焦っていた。結局その日も一晩中かかって作業をして、翌8日の未明についにサイトを公開した。

 そのときのウェブサイトは、薄い灰色を背景に水色のリンクが並ぶだけのごく単純な作りで、授業も「数学」「古文」「世界史」にそれぞれ5つくらいのビデオが提供されているだけのものだっだ。

 トップ画面には、大きな字でメッセージを掲げた。

 「manaveeはネットに無料の東進をつくります」

 その文言に悪気があったわけではない。常識がなかっただけだ。書いていいことや悪いことの区別もつかなかったし、ただ単純に、そうなれば便利じゃないかという想いで、僕は全世界に向けてそう宣言することになった。

 ウェブサービスとしての立ち上げは、華々しいものではなかった。周到な準備を重ねてメディア各社にプレス・リリースを送り、爆発的にユーザを集めるスタートアップ・ベンチャーと比較すると、数ある個人ウェブサイトのひとつとして音もなく誕生したというべきだろう。

 初日のサイト閲覧数は正確には覚えていないが、おそらく数十ページビューだったと思う。そのほとんどが僕自身のアクセスだろう。僕は元々会社やNPOが作りたいわけではなかったから、常識で考えれば必要になる広報のことだって何も考えていなかった。

 それに、今振り返ると誰からもアクセスされないことを問題だとも感じていなかったように思う。その時は、一ヶ月かかってようやく形になったサイトをただただ嬉しく思い、集まっていた5人の仲間に誇らしく紹介したのだった。

 僕の次にサイトにアクセスしたのは、一緒に住み始めたルームメイトのヤニックだった。「やあおはよう、起きた? サイトをアップロードしたんだよ。m,a,n,a,v,e,e,.com、早くアクセスして!」。サイトは見た彼は、ドイツなまりの英語で答えた。「ああ、クールだね」。

 一般的な基準に照らしあわせても、決して「クール」なサイトだとは言えなかった。それはスカイプ家庭教師として英語を教えるヤニックの、精一杯の社交的な一言だったのだと思う。

 僕はとにかく興奮していた。一ヶ月でたくさんのことができるようになったじゃないか。念願のウェブサイトだ。ブログでエンジニアが言っていた呪文だって、今はもう理解できる。仲間も口を揃えて「すごい!」と言ってくれた。ただ、人は来なかった。

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予備校なんてぶっ潰そうぜ。

花房孟胤

起業やボランティア活動に興味があったわけはなく、むしろ「まわりは馬鹿な奴ばっかりだ」と見下していたーー そう考えていた一人の東大生が、話題の「教育系NPO代表」になったのはなぜなのか。無料の授業動画サイト「manavee(マナビー)」...もっと読む

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