第49回】ドイツでは、オペラを観て、美味しいワインを飲み、チーズを食べているに限る

最近、続けて2本オペラを観た。ハンブルクでリヒャルト・シュトラウスの『サロメ』、先週はシュトゥットガルトでワーグナーの『ジークフリート』。ドイツのいいところは、オペラの上演が豊富で、しかもそれが格安で見られること。ドイツ生活には腹の立つことも多々あるが、ここにいる間は、オペラを観て、美味しいワインを飲み、チーズを食べているのが上策かと思い当たるに至り、この頃その通りにしている。


ハンブルク国立歌劇場の年間プログラムより

演出がシンプルなハンブルクのオペラ

最近、続けて2本オペラを観た。先々週はハンブルクでリヒャルト・シュトラウスの『サロメ』、先週はシュトゥットガルトでワーグナーの『ジークフリート』。

ハンブルクはお金がないのか、それとも前衛的な趣味のためか、いつも演出が極めてシンプル。舞台はもちろん、衣装や道具も極端に抽象化してある。

去年ハンブルクでワーグナーの『パルジファル』を見たときも、舞台装置が3幕とも一貫して変わらず、衣装は男も女もただのネグリジェ、と言うか、黒か、茶色か、白の修道僧の袈裟のような感じだった。あれなら、学芸会ぐらいの予算でできそうだ。

そのうえ、ストーリーの要である聖杯や聖槍が、"そこにあると仮定して"の演出だったのにはビックリ。観客は見えない物をあるように想像させられるわけだ。

今回のサロメもやはりシンプルで、舞台は全面が段々畑のような階段だけ。歌手が登ったり降りたりするので、足を踏み外さないか、見ていてひやひやした。衣装はやはり袈裟風。そして、美女サロメはツルっ禿げのカツラを付けていた。ただ、歌や演技は皆、素晴らしく上手だ。

ツルっ禿げに関しては、架空の聖杯や聖槍と同じで、観客としては想像力に羽が生えたようになる。黒髪なのか、金髪なのか? ふわふわと腰まで流れる髪なのか、あるいはふんわりと編んであるのか等々・・・。これは演出家の勝利だろう。


〔PHOTO〕gettyimages

官能的な筋立てのオスカー・ワイルド版『サロメ』

サロメの物語の原型は新約聖書。『マルコによる福音書』にも『マタイによる福音書』にも記述があるらしい。古代パレスチナの領主ヘロデの話で、ヘロデの誕生祝の酒宴で、妻ヘロディアの連れ子であるサロメが舞を踊り、客を喜ばせた。

そこで王はサロメに、「欲しい物は何でもあげよう」と誓った。サロメが母親に尋ねると、母は「ヨハネの首を」と答えたので、サロメはそれを所望し、王は引くに引けなくなって、ヨハネの首を刎ねたというものだ。ヨハネはキリストの洗礼をした人間だ。聖書には、サロメという名前は出てこなくて、"ヘロディアの娘"となっている。

この物語の背景を少し説明すると、母親ヘロディアは最初、ヘロデ王の弟の妻であったが、離婚して王と結婚した。当時、前夫が生きているのに、その兄弟と結婚することは、近親相姦の一種と見なされ、禁止されていたらしい。

洗礼者ヨハネは、そのことで王とヘロディアを非難したため、王は怒ってヨハネを牢に繋いでいた。もちろん、ヘロディアもヨハネを憎んでいたので、娘に、褒美にはお盆に乗せたヨハネの首を所望するようにと入れ知恵したのであった。

つまり、新約聖書に出てくるサロメは、たいした悪女ではない。どちらかというと、踊りだけはうまいが、あまり頭のよくない娘だ。お盆に乗せた首を貰っても、ぼーっと突っ立っていたのではないか。悪人はどう見ても、母親のヘロディアのほうであろう。

しかし、銀のお盆の上に首という異常さに魅せられ、中世以来、多くの画家がこのモチーフを題材に絵を描いた。そのサロメの話が猟奇だけでなく、妖艶で官能的な物語に変わったのは、19世紀に入ってからのことだ。

1893年には、オスカー・ワイルドは戯曲『サロメ』で、サロメにヨハネの生首の唇にキスをさせている。ワイルドの戯曲では、ヘロデ王は弟を殺して妃を奪ったことになっており、また、妻の連れ子であるサロメをものすごくいやらしい目つきで眺めまわす淫乱なヤツだ。さらにサロメも不気味な女に仕立てられていて、ヨハネの首を望むのも母親の入れ知恵ではなく、サロメ自身の意志。母親はそれを喝采するという筋立てだ。


オーブリー・ビアズリーの挿絵が添えられた
オスカー・ワイルド版『サロメ』の表紙
〔PHOTO〕gettyimages

そして、このワイルド・ヴァージョンを、リヒャルト・シュトラウスが踏襲してオペラを作った。初演はドレスデンで1905年。以来、今でもよく上演され、オペラでは演出家はほとんど際限ない自由を与えられているので、サロメの踊りのシーンがヘロデ王との濡れ場になっているような演出もある。

私が先々週ハンブルクで見た演出も、あからさまではなかったが、若干それに近く、色っぽいサロメは、よだれをたらさんばかりのヘロデ王を、ぎりぎりのところまで誘惑していた。

ただ、一番意外だったのは、あれだけ抽象化させた演出のわりには、お盆に乗って出てきたヨハネの首がやけに生々しかったことだ。もっと前衛芸術のような首が出てくるのかと思った。

しかし、実際には、その本物のような生首を抱きかかえるようにして、ツルっ禿げのサロメはその唇にキスをするのである。リアルすぎて気味が悪い。つまり、ツルっ禿げは、気味悪さを演出するのにも役立っているようだ。

死への憧れが最高潮に達した”世紀末”の芸術

ワイルドとシュトラウスの描くサロメは、考えてみれば不幸な女の子だ。本当の父親は殺され、義理の父親は、あわよくば自分を手籠めにしたいと狙っている。そして、たった一人の肉親である母親は娘を愛していない。愛していたら、娘が首を所望したとき、小躍りして喜ぶはずがない。結局サロメは、美貌に恵まれ、物質的には何不自由ない生活ながら、愛情だけはどこを見てもないまま育った孤独な子供なのだ。

だからこそ、身に付けたもの以外に何も持たない男ヨハネが、限りなく魅力的に見えたのだろう。しかも囚われの身というのが、サロメのちょっとサド的な好奇心をそそる。「なんと美しい肌なの? あなたの肌は岩に生える百合のように白く・・・」とサロメは言う。

しかし、憧れ、褒め称えた挙句、嫌がるヨハネを無視して、ようやくその白い肌に触ってみると、称賛はたちまち軽蔑に変わる。汚らしいだけで、何の魅力も感じなくなるのだ。そのあと、ヨハネの髪も、目も、すべて同じ運命をたどる。

どれにも失望したあと、最後に唇となるのだが、ヨハネの拒否で、どうしてもキスだけは叶わない。そこで、最終的に殺してキスをという考えに至る。そのために妖艶な踊りでヘロデ王を懐柔し、ヨハネの首を貰うのだ。

しかし、実際に殺してキスをしたら、ヨハネの目が自分を見ないことに気付いて、また失望する。結局サロメは、望む物は何も、そして、永久に手に入らない。何となく、現代の心理劇のようで興味深い。

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シュトゥットガルト通信

川口マーン惠美

シュトゥットガルト在住の筆者が、ドイツ、EUから見た日本、世界をテーマにお送りします。

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