日本語をより深く理解するための「漢文」
「城春草木深」の書き下しはこれで終わりではない。漢文は、読点と訓読が深く関連している。例えばここで「皆」をひらがなにするなら、「人みな其の非を知る」と読点が不要になる。
「人、みな、其の非を知る」と書く方が、かえってわかりにくいことにもなりかねない。だから、読点を入れることが、必ずしも読みやすくするための絶対条件ではない。主として、漢字同士が並んで、区切りがしにくいときに活用するべきものであろう。とすると「皆」を「みな」とするように漢字をひらがなにすることは、読点を入れることと密接な関係にあるということになる。このことをさらに突っ込んで考えてみよう。
ここから漢文のひらがなの書き下しについて議論される。
とすると、書き下し分において、A〈必ずひらがなで書きにしなくてはならないもの〉と、B〈ひらがな書きにしたほうが読みやすいもの〉という二つのものがあることに気づくであろう。
かくして本書では、漢文の学習はAをまず先行して学ぶというという議論になる。この規則と問題提起は、漢文に限らず、現代日本語にも当てはまる。現代日本語でも、「皆」といった漢文的な表現に由来する語の多くがひらがなになるため、上手に使うと読点を制御できる。現代日本語を書く現代の日本人が、読点やひらがなの書き分けを考えるなら、漢文の書き下しの仕組みまで射程を広めるとよい。むしろ、それこそが大人を含め現代人が漢文を学び直す意味の一つともいえる。
さらに、漢文は現代日本語と繋がりが深い。漢文の読み下しがその骨格になっていると言ってもよい。当然、骨格を知ることで表現が上達する。
このことは現代日本語の成立からも理解できる。現代日本語、特に書き言葉は、欧米語の翻訳文から影響を受けて成立した。それは柳父章『近代日本語の思想−翻訳文体成立事情』(法政大学出版局)なども指摘しているし、丸谷才一『文章読本』(中公文庫)にも示唆がある。近代の翻訳文を可能にしたのが、漢文書き下しの仕組みであったことは多くの議論を要さない。
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