善良な人が害悪になる
多くの人が、自分の善悪感覚に則して行動し、ときには空気やルールを無視できる「自由な人間」になれば、もっともっと生きやすい世の中になるとぼくは考えています。
裏を返すと、この社会が生きにくい理由は、多くの人が「善いこと/悪いことを、自分で判断することができず、他の人の顔色を見ないと行動を起こせない状態」、つまり「不自由な状態」にあるからです。
というのも、不自由な状態にある人たちは、得てして自由な人々に対して、攻撃的、排他的になるのです。やりたくもない仕事をしているサラリーマンが、夢を追っているフリーターや、経済活動を厭うニートを嫌い、バカにすることで溜飲を下げるという例がわかりやすいでしょうか。
不自由な人たちは、ルールに則して生き、それを絶対視しています。会社の規則を破ること、法律を破ることなんてとんでもないと考えます。そして、「会社の規則がうるさくてさ……」「この法律はおかしいだろ……」と、居酒屋の隅っこで愚痴を漏らしながら、規則を遵守します。
それだけならいいのですが、彼らはルールを逸脱する人たちに対して、しばしば嫉妬まじりの攻撃を加えます。いわく、「俺たちは我慢してルールを守ってるんだから、お前もルールを守れよ!」「迷惑なんだよ!」と。
哲学者の中島義道氏の『不幸論』(PHP新書)には、以下のような記述があります。
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