「感情を読みとる」集団主義文化
前回の連載では、日本は集団主義(collectivism)文化圏に属すると指摘しました。集団主義(collectivism)文化圏に属する国は日本だけではなく、東アジアや東南アジアの国々、南アジア、中東、ロシアなどが含まれます。
一方、その反対の文化圏は個人主義(individualism)であります。この文化圏では個人同士は「倫理」「普遍の原則」「イデオロギー」などの原理原則でつながり、緩やかに繋がった個人同士が社会活動を営みます。肩書きや年齢、性別、地縁、血縁などの違いに対しては緩やかかつオープンであり、むしろ、原理原則が異なる集団に対しては排他的であります。また、個人の自由な発想や活動の「結果」が重視され、他人と自分が同じであることや、ある集団の人々が同じように振る舞うことを期待することは稀であります。
さらに、因習や慣習への尊敬は低く、個人が自分の信念にそって活動することが重要とされます。重要なのは「個人」であり「集団」ではないわけです。この様な文化圏に属するのは、北米、北欧州など実は世界的に見ると小数派でありますが、先進国の多くはこの文化圏に所属していることが特徴です。
集団主義の文化の人々と個人主義の文化の人々とは、コミュニケーションの方法が異なります。集団主義の社会は、人々の関係性が親密であり、その行動は、因習や慣習、所属集団のルールによって縛られているので、発言や行動はある程度予測できるものなのです。従って、お互いが細部まで表現しなくてもメッセージが伝わるというハイコンテクスト文化なわけです。
一方、個人主義の文化は様々な個人が自由に交流する社会であり、個人個人が自分の信念に沿って行動し、発言するローコンテクスト文化です。従って、この文化圏の人々は、自分の主張したいことや気持ちを、「表現しなければ相手は理解しない」という前提の元で詳しく表現しようとします。
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