「急性エグザイル中毒」を起こさないために
年末年始くらいかなぁテレビで音楽番組をダラダラ観るのなんて、という人は、急性エグザイル中毒を起こしやすい。慣れない体に一定期間に集中してあの光景を与えると、耐性のない体の血中エグザイル濃度が突如上がり判断機能が麻痺してしまう。ここで、麻痺を必死に振り払って、「あんなホストみたいな連中が今のJ-POP界のトップだなんて……」と雑に片付けてしまうケースが多いのだが、それはさすがに無礼だと思うんである。流行りのヤンキー文化論や地方都市考察の代名詞としてEXILEが登場するのはテッパンだが、あの軍団の野心はそもそもディスカッションをするテーブルには座らずに、エアロバイクを漕いで漕いで筋肉をつけまくることを一義に根を張っているわけで、考えれば考えるほど考えた側の一方通行となり、筋力に乏しいこちらはたちまち疲れ果ててしまう。EXILEを外野から見つめることは思いのほか難しい。だからといって「体が受け付けない」とする反応を、一丁前の理由として走らせるだけではいけない。
「暴力団」から「暴力」を引くと「団」になる
震災以降の「絆産業」というか「立ち上がろう産業」というか、スローガン重視のプロジェクトのいくつかには彼らの名前があった。昨年リリースされた彼らの代表曲の1つ「EXILE PRIDE」のサブタイトルは「こんな世界を愛するため」だ。こんな世界ってどんな世界なの、という子どもじみた設問をディスカッションのテーブルに持ち込んではいけない。繰り返すが、彼らは議論の場には登場せずにエアロバイクに乗っている。この文章、ファンの方はさぞかしお怒りになるだろう。しかし、怒りを煽るためにこう書いているのではない。EXILEが構築する「集団・族・TRIBE」の肝は「外からは何も言わせねぇよ感」にあって、それが限られた縦社会の身体性のみで育まれていく以上、突っ込む手段を持てないのである。強面のお兄さんたちなのだが、暴力の匂いがしない。「暴力団」から「暴力」を引くと「団」になる。その「団」にこれまでにない史上最大の厚みを持たせるのが、彼らが口を揃えて言う「最高のエンタテインメントの追求」ということになろう。昨今の長渕剛が放つ自衛隊臭には下手すりゃ往復ビンタされる緊張感があるが、EXILEが放つヤンキー臭からは他団体と抗争するピリピリムードが漂わない。暴力が介在しない。