アポロの歌(手塚治虫)後編

手塚治虫『アポロの歌』評は、物語が佳境を迎える「第4章女王シグマ」と「第5章ふたりだけの丘」を読み解きます。一般的に手塚治虫が「性愛」をテーマにしたと言われる本作ですが、描かれた絵にはさまざまなしかけがなされていました。手塚治虫が「性愛」の奥になにを表現しようとしていたのか。必読の後編です。

爆死する画が象徴しているもの

アポロの歌 (手塚治虫文庫全集 BT 96)
アポロの歌 (手塚治虫文庫全集 BT 96)

 『アポロの歌』でもっとも面白いのは、未来を描いたこの「第4章女王シグマ」の部分である。執筆の量の配分から見てもこの章がもっとも厚く、単独の作品として読んでもよいほどの完結性がある。しかし、女王シグマが3章に登場した渡ひろみの転生であり、真実の愛を求めるというひろみの意識の核を継いでいることから、近石昭吾の夢だけでなく、ひろみの夢でもある。

 昭吾は2030年の日本に転生している。かつては人間がクローン技術を応用して生殖器を持たない合成人間を作り出していたのだが、すでにこの世界は多数の合成人間によって少数の人間が奴隷として支配される世界に変わった。生き残った人間の一部は、山間部の自然に隠れ住み、また抵抗組織を形成している。この世界で昭吾はその組織の一員として合成人間の女王シグマを暗殺する役目を負っている。シグマは渡ひろみと同じ相貌をしている。

 人間の生殖活動に関心を持つ女王シグマは昭吾に遭遇し、愛情のようでもあり性愛のようでもある独自の感情を示す。そしてついに彼女は昭吾と性愛を得ようとして、自分に特注の女性器まで移植して彼に迫る。だが、そのことでシグマは合成人間の女王にふさわしくないとして、合成人間の世界から追放され、昭吾が惹かれないよう醜い顔に移植される。それでも昭吾はシグマを愛することで殺害され、シグマも爆死を選ぶ。壮大な爆発の前に二人は最後の言葉を交わす。

シグマ「昭吾!しっかりして。センターへはこんで分身をつくってあげるから……」
昭吾「分身……いやだ。おれは……人間のままで……死にたいんだ。女王……きみが好きだった…………。」
シグマ「私もあなたがすきだったわ、昭吾!」
昭吾「おれのさいごのねがいを聞いてくれよな……。人間を……追放しないでくれ…………。それだけだよ…………さようなら……(ガクリ)」
シグマ「ええ!!あなたのいったとおりにするわ昭吾……。なぜなら私も……もういなくなるもの。どこかの遠い空の上であなたと私の原子がまじりあってひとつになるのよ」

 爆発はキノコ雲は描かれていないものの原爆が想定される。シグマの最後の言葉でも「原子がまじりあって」とある。この物語は爆死が一つの型になっている。第1章の最後は爆死ではなかったが、「第2章人間番外地」の最後は火山噴火という爆死であり、また終章となる「第5章ふたりだけの丘」も爆死である。

 爆死は『アポロの歌』の画像象徴の文法であり、そこでは性交による精子と卵子の受胎が、原爆を暗示する爆発による融合とされている。あるいは愛の成就が爆死を遂げて愛する二人が融合するとされている。世界から隔絶された二人の男女の性交が、世界に大きな破壊をもたらす原爆のような爆発によって成就するという執拗な強迫観念の世界だと言ってもよい。

 なぜこのような画像象徴の文法が作品に埋め込まれているのか。人間の性というものへの直観がなぜこのような形態を取っているのか。簡単には答えづらい。恐ろしいことであるが、人間の性の本質とはそのようなものだというメッセージをそのまま受け取ってもよい。

種としての人間は死なないが個別の人間は死を避けられない

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