一故人

まど・みちお—「ぞうさん」の噓と真実

数多くの詩や童謡で世に知られ、晩年に至るまで創作活動を続けた詩人まど・みちお。多くの人にとって、子どもの頃に見聞きした、馴染み深い存在ではないかと思います。今回の「一故人」は、代表作「ぞうさん」をめぐるエピソードを軸にして、彼の戦前・戦後の歩みを綴ります。


「ぞうさん」の着想はどこから?

落語家の古今亭志ん生のドキュメンタリー(NHK特集『びんぼう一代・五代目古今亭志ん生』、1981年放送)を見ていたら、同じく落語家の林家彦六(八代目林家正蔵)が志ん生との思い出としてこんな話をしていた。それは昔、二人が一緒に上野動物園に行ったときのこと、志ん生はカバを見つめたまま、「カバは幸せだなあ。ジャガイモを腹いっぱい食っている」とつぶやいたという。志ん生も彦六もまだ売れず、食べることも満足にかなわなかった頃のエピソードだ。

動物園で時間をつぶすというのは、ある時代の貧しい人たちにとって数少ない娯楽の一つであったのだろうか。詩人のまど・みちお(2014年2月28日没、104歳)の有名な童謡「ぞうさん」について、その創作秘話として伝えられるエピソードを読んだとき、この志ん生の話と重ね合わせずにはいられなかった。

それは戦後まもない1948年の春のことだったらしい。その2年前に出征先のシンガポールから復員したまどは、しばらく国内を転々としたのち、やがて川崎市で味の素工場の守衛の職を得たが、生活は楽ではなかった。7歳になる長男から誕生日に汽車のおもちゃをせがまれたものの、その値段の高さにあきらめ、二人で上野動物園に行ったという。動物園に客は入っていなかった。それも当然で、人気のあった猛獣やゾウは戦時中、空襲時に逃げ出すと危険だからという理由で殺されてしまい、終戦後も補充されないままだったからだ。しかし空襲で焼かれて黒焦げとなっていたゾウ舎を、まどは息子と一緒にしばらく見つめていた。このときの体験がのちに「ぞうさん」を生んだのだと、1968年にとある新聞に載った記事は伝えている。

その記事から強い印象を受けた小説家で詩人の阪田寛夫は、1978年に雑誌に寄稿したエッセイで、いないはずのゾウをそこに見て、そればかりかゾウと心を通い合わせたことが、「ぞうさん」の詩のすごいところだと賞賛した。阪田はまた、息子に欲しいものを買ってやれない父、買ってもらえなかった息子と、悲しみを持った心だけに見えたもの、それが「ぞうさん」だ、とも書いている。

さて、誤解されないうちにタネ明かしをしておくと、じつは「ぞうさん」の着想を得たときのことを、当のまどはまったく覚えていなかった。長男を連れて行った動物園で……という話も、記者がつくったまったくのフィクションだと、のちに阪田から聞かれて断言している(記者から「こういうふうに書いた」と知らされたまどは「おまかせします」と答えたのだという)。さらに阪田を驚かせたのは、以下のようなまどの発言だった。

まどはこのとき、「童謡はどんな受け取り方をされてもいいのだが、その歌が受け取ってもらいたがっているように受け取ってほしい」と前置きしたうえで、自らの考えとして、「『ぞうさん』の『おはなが ながいのね』という文句は、ゾウの立場からすれば悪口と受け取るのが当然」と言ったというのだ(阪田寛夫『まどさん』)。

なお、まどが「ぞうさん」を書いたのは1951年のこと。この年5月に音感教育家の酒田冨治より幼児向けの童謡を依頼され、翌月にハガキにしたためて送った6編の童謡のうちの一つだったとされる。ちなみに上野動物園にはすでにその2年前、インドから「インディラ」という牝のゾウが贈られていた。このころにはまどは守衛の仕事をやめており、出版社に在職中だった(のち、1959年に退社し、創作に専念するようになる)。

「ぞうさん」は当初酒田によって曲がつけられたが、楽譜集に掲載されたその詩が、まどの先輩の童謡作家・佐藤義美(代表作に「グッドバイ」「いぬのおまわりさん」)の目に留まる。佐藤は、まどの知らないうちに詩の一カ所に手を入れたうえでNHKに持ちこみ、結果として團伊玖磨の手になる、いま私たちが知るあのメロディが誕生した(初放送は1952年12月)。

佐藤が直したのは「おはなが ながいのね」の部分で、この箇所はもともと「おはなが ながいね」となっていた。これについてまどは、佐藤の詩の言葉には独特のリズムがあったことから、きっと「ながいね」というリズムが彼の趣味に合わず「の」を付け足したのだろうと、のちに推測している。

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一故人

近藤正高

ライターの近藤正高さんが、鬼籍に入られた方を取り上げ、その業績、人柄、そして知られざるエピソードなどを綴る連載です。故人の足跡を知る一助として、じっくりお読みいただければ幸いです。

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コメント

nobu_nakata まどさん2月に死んでたんだ。知らなかった! 4年以上前 replyretweetfavorite

donkou 連載30回目は、2月末に104歳で亡くなったこの人をとりあげました。本日より1週間は無料でお読みいただけます。よろしくお願いします。 4年以上前 replyretweetfavorite