アポロの歌(手塚治虫)中編

『アポロの歌』評、中編は、物語の内部を考察していきます。「アポロ」の名の通り神話を下敷きにしながら、医師免許を持つ手塚治虫らしい精神治療というテーマが、同時並行的に物語を駆動させます。物語の一つひとつの場面に、どのような意味が込められているのか。finalventさんが読み解きます。

神話と精神治療の同時性

 『アポロの歌』の物語は序章を含め6章から成り立ち、構成は込み入っている。物語が描く情景は大きく分けて5つの世界で構成されている。アポロ神を含む神話的世界、主人公が精神治療を受ける現実世界、ナチス時代、孤島の物語、人間が合成人間に支配される未来世界である。

 物語は体裁上リアリズムを保っているため、神話的な情景や、歴史的な情景、SF的な未来の情景などは主人公の夢として扱われているが、最終部で主人公の死を越えた夢のなかで再生が示唆されている点からすると、転生を繰り返す、彼のライフワーク的作品『火の鳥』と類似であることがわかる。なお、作品系列としてもこの作品は『火の鳥』との関連がある。彼は1969年3月から7月号に「宇宙編」、同年8月から1970年9月号に「鳳凰編」、10月から1971年9月に『火の鳥』の「復活編」を発表した。『アポロの歌』がこの時期に重なる。テーマ的にも「宇宙編」の猿田の転生、「鳳凰編」の愛の苦しみ、「復活編」のロボットへの恋など、この作品とのテーマ的な重なりが見られる。

 5つの世界の連結は独自である。この接合が読み取りに関連しているので、あらすじを追いながら注目したい。まず冒頭の「序章 神々の結合」では、先に触れた、擬人化された精子の争いから受精・受胎のシーンに続いて、主人公の近石昭吾が登場する。彼は愛しあう動物たちを狙っては殺していた。そのため犯罪者となる可能性の高い精神異常と見なされ、初老の精神科医・榎の元に送られる。そこで昭吾は治療の一環として電気ショックを受け、そのショックが誘発した夢のなかでアポロ神に会い、その神から生命の愛を阻んだ罪として、永遠に結ばれない愛の転生を繰り返す罰が宣告される。

そなたは何度もある女性を愛するであろう。だが……その愛が結ばれる前に女性かそなたかどちらかが死なねばならぬ! そなたは死んでもまた生まれ変わってべつの愛の試練を受けるのだ。そなたは苦しむのだ、永遠に!

 序章では、なぜ昭吾が愛を憎むようになったのかの説明も描かれてはいる。頻繁に男を変える母が自分を愛してくれないと恨んだことや、男との性交を見たことに加え母から体罰を受けたことのショックである。

 この作品には明示的には書かれていないし、現代ではあまり顧みられることはないが、これはフロイト精神分析の中心概念の一つ「原光景」を意味している。原光景とは、目撃や想像による両親の性交光景のことだ。これを父親から母親に加えられた攻撃として子どもが怖れ、心的外傷経験になるとフロイトは説明する。

 フロイトのこの考えは彼の理論構成上には意義深いが、現代においては滑稽な珍説と言ってよい。手塚もフロイトをそのまま踏襲しているわけではない。親の性交の目撃を恐怖よりも性的な目覚めとして受け止めている。また心的外傷は、関連して受けた母親からの虐待や、母への慕情が裏切られたことへの怒りとされている。そしてこれが昭吾の加虐的な嗜好の原因となったとされている。このため作品には、性衝動の模索から母性への再受容が伴う展開も見られる。

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