第1回 春

もしも、初音ミクが高校教師だったら……。
音浜高校合唱部で友情に、恋に、合唱に、充実した青春を過ごした未来(ミク)。そして今、音楽教師として音浜高校に戻ってきた――。

ボーカロイド楽曲の卒業ソング『桜ノ雨』をモチーフにした小説シリーズの完結編『桜ノ雨 僕らはここで逢おう』の発売を記念して、一部を公開します。

前作『桜ノ雨 僕らが巡り逢えた奇跡』のあらすじ

 音浜高校には、ハルという男子生徒が作った『桜ノ雨』という合唱曲があった。
その曲に惹かれるように、合唱部には様々な生徒が集まってくる。
ハルたちが卒業を迎えた音浜合唱部では、
三年生となる未来(ミク)が部長となり新たな活動が始まった。
お馴染みのメンバー、鈴(リン)と蓮(レン)らに加え、祢留(ネル)と羽玖(ハク)
そして勇馬(ロロ)たち新入生を交えて成長していく音浜合唱部。
一方、ドイツへ留学したハルになかなか思いを告げられずにいた未来は、
一時帰国したハルに告白され結ばれることになった。
その後、進路を「音楽教師」に決めた未来は、新たなる一歩を踏み出す—。

♪『桜ノ雨』動画はこちらから♪


『桜ノ雨』 作詞作曲:halyosy


  春

 わたしは弾む気分で音浜高校の正門をくぐった。
 数年前、初めて校内に足を踏み入れたあの日と同じ、軽やかな気持ちでだ。  
 時刻は朝の七時三十分。  
 正門から続く並木道にはまだ誰もいない。そして、この時期であればまだ咲いているはずの桜の花も、今年は見事なまでになかった。  
 その理由は、列島を横断していった春の嵐により、一晩にしてその殆どが散りきってしまったからだ。  
 始業式のこの日に、ひらひらと舞う薄ピンクの花びらを見られないのは、やっぱり寂しいものがある。
 けれど、嵐の後の空はどこか清々せいせいとしており、空気はいつもより澄んでいるように感じられた。  
 これはこれで始まりの朝にはぴったりかもしれない。  
 そう思うとまた心が弾んだ。  
 わたしははやる気持ちをおさえ、職員室が入っている新校舎へと向かう。そのときふと、正面のガラス戸に映る自分の姿に目がいった。  
 そこにいたわたしは音浜高校の制服ではなく、上下のスーツを着ていた。髪は学生時代と同じ二つ結びではあるけど、当時よりやや下の位置にまとめてある。  
 そんな自分の姿に、わたしは改めて今日の日を実感した。

 —わたし、今日から本当に音浜高校の先生なんだ。

 楽しみでありつつ、どこか怖い。わくわくしているのに、不安が隣り合わせに張りついている。  
 なんとも言えない気持ちが、頭の中をぐるぐるしていた。  
 わたしはそんな自分を引き締めるように、スーツの襟をぴしっと正す。  
 今は余計なことを考えてる場合じゃないよね。  
 新任なんだし、早く行って荷物の整理をしなきゃ……!  
 見え隠れする不安を頭の片隅に無理やり押しのけ、わたしはそのまま職員室のある校舎へと入っていった。

 職員室には一番乗りだった。  
 窓際の一角に自分の机がしっかりと用意されている。そのことにわたしは打ち震えるような感動を覚えていた。  
 決して新しい机ではない。でもなんだかピカピカしているように見える。  
 人知れず心の中で舞い上がりながら、机周りの整理をしていると、背後から懐かしい声がわたしを呼んだ。
「おかえり、未来部長—じゃなかった。もう先生だよね」  
 ハッと振り返ると、こちらを見ている青いネクタイの先生がいた。  
 声の主は、わたしが本校の生徒時代に所属していた合唱部で顧問をされていた海斗先生だった。以前と変わらない優しげな眼差しに、わたしは手を止め、思わず走り寄る。
「海斗先生! おはようございます!」
「やあ、おはよう」
「ご無沙汰しておりました!」
「前に会ったのは教育実習のときだっけ?」
「はい、ちょうど一年前です」  
 去年の春、わたしは二週間ほど音浜高校に教育実習生としてきており、海斗先生の指導の下、教育の現場を学ばせてもらっていた。
「あのときはいろいろお世話になりました!」  
 海斗先生は「いやいや」と首を振る。
「僕はいつも通りに動いていただけで、大したことはやってないから。いやあ…………それにしても」  
 海斗先生は言葉を途中で止め、しみじみとうなずき始めた。なんだろう?
「えっと……?」  
 先生……?
「うん。いろいろびっくりっていうか、すごいことだなーと思ってね」
「……?」
「かつて音浜ここの生徒だったきみが“先生”になって同じ場所に帰ってくるなんてさ」
「……!」
 “先生”と言われ心臓が小さく跳ねた。
「ここにくるまではさ、やっぱり大変だったと思うんだ。まずは音大に合格だろ。そこから教員免許を取って。あとピアノの練習もさ」
—……」  
 それは—確かに大変ではあった。  
 高校卒業後は音大に合格するため、約一年間、毎日受験勉強に打ち込んだ。  
 教員免許に関しては学友たちと励まし合い、ただひたすら勉強をするしかなかった。  
 でもピアノは…………。  
 こればかりは本当に孤独な戦いだった。  
 わたしは音大受験を決めるまで『猫ふんじゃった』くらいしか弾ける曲がなかったのだ。  
 そんな自分が教師を目指せるレベルの曲を弾けるようになるには、とてつもない努力……というより、もはや根性のようなものが必要な話だった。  
 今思い返せば、無謀ともいえるチャレンジをよくしたなあ……と思う。  
 そのことを話すと海斗先生は「ホントそうだよねえ」とくすくすと笑い始めた。
「高三の冬になって、音大を受験するって言い出したときには、僕も周りの先生方もひっくり返ったからね」
「す、すみません……。あのときは本当にご迷惑をおかけしまして……」
「いや、結果としてちゃんとここにいるからね。大したもんだよ」
「……!」
「本当によく頑張ったね。未来ぶちょ—」  
 再び“未来部長”と言いかけた口を、海斗先生はふごっとおさえた。
「あ~~ごめん。どうもその二つ結びを見てると、そう呼んじゃいたくなっちゃうんだよね」  
 そこは自分でもわかる。  
 良くもわるくも、自分は高校生の頃からあまり外見が変わっていないらしい。なので、そう言われても仕方ない。
「あはは。未来部長でも全然大丈夫です。海斗先生の呼びやすいように呼んでください」
「え!? そうはいかないよ。もうきみは音浜高校の“先生”なんだから」
「……まだ“先生”っていう実感は全然ないですけど」
「あはは。そりゃそうさ、初日なんだし。でもぐに、自然と“先生”だと思える日がくると思うんだ」

 —自然に“先生”だと思える日……。

 見た目も、たぶん意識も、殆ど生徒と変わらないような自分に、海斗先生の言うような日がくるのだろうか?  
 今のわたしにはまだ、不安と、ほんの少しの希望のようなものが混じった気持ちしかない。高二のとき、合唱部の部長に任命されたときと同じ感じだ。  
 わたし、本当に“先生”になれるのかな……。  
 そんなことを考えていると、海斗先生が「あ!」とホワイトボードの上を指さした。  
 掛け時計を見ると八時を回っている。
「そろそろ他の先生方が見える時間だね」
「……あっ! わたし、荷物の整理をしておかないと!」
「生徒たちも登校してくるからね、しっかりだよ」
「は、はいっ」  
 わたしは大慌てで机の上の書類や指導書を整えた。まだそれほど量はないので、先生方がいらっしゃる前には終わりそうだ。そして作業をしながら、わたしはあることが気になっていた。  
 毎朝、どの先生よりも早くきて、その日の学校行事や、カリキュラムなどをきっちりチェックしている“あの先生”の姿が見えないのだ。  
 それは合唱部の顧問をしていた芽依子先生のことだ。  
 ショートカットが似合う美人で、歌が上手くて、あらゆることにスパルタで。  
 そして校内なのに、何故かヒールで歩くことが許可されている—いわば“歩く伝説”のような先生だ。  
 わたしは海斗先生にたずねてみる。
「あの、芽依子先生はまだいらっしゃってないんでしょうか? いつも七時前には職員室に入ってるって聞いてたんですけど」  
 すると海斗先生は「うーん、それがね」と言いながら後頭部を掻いた。
「芽依子さん、前職の関係で急きょ海外に呼び出されちゃって……」  
 海外!?
「三日程前かな? いきなりひゅーんと飛んでっちゃったんだよね。どうしても行かなきゃいけない急務なんだって」
 驚いた。  
 数日前にメールのやり取りをしたときには「四月からまたよろしく頼むわ」と書いてあったのに。  
 音楽教師になりたいとの話を、いちばん初めに相談したのは芽依子先生だった。  
放課後の音楽室で、無謀ともいえるこの決意を、芽依子先生は“応援”というかたちで受け止めてくれ、音大に通っている期間中も声援を送り続けてくれていた。  
 それゆえ“先生初日”の今日、わたしは芽依子先生に直接、あの日音楽室で相談に乗ってくれたことなど、今までの御礼を言いたいと思っていたのだ。
「……そうだったんですね」
「……まあ、芽依子さんのことだし、いきなりヒョコっと帰ってくるかもしれないよ。遅くとも二学期前には戻ってくると思うからさ」  
 残念だなあと思いつつも「元気だして」と言ってくれる海斗先生の気遣いに、わたしは明るい声で「はい」と答えた。


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ミクの卒業… ノベル第2弾『桜ノ雨 僕らが巡り逢えた奇跡』

ミクの恋心… ノベル第1弾『桜の雨』

この連載について

桜ノ雨 僕らはここで会おう

雨宮ひとみ /halyosy

もしも初音ミクが音楽教師だったら…。 卒業ソングの定番ボーカロイド楽曲として、250万回以上の再生回数を誇る『桜ノ雨』。この名曲のノベライズ第3弾にあたる『桜ノ雨 僕らはここで逢おう』の発売を記念して、その一部を公開します。

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