くまモンと、ふなっしー、人気の理由
……と、ここまでにお話した考え方だけで、炎上を恐れることをやめられる人は、そうそういないでしょう。実際に炎上をしてみると、精神が乱れ、苦しい思いをして「こんな思いをするくらいなら、自分をさらけ出すのなんてやめよう」という判断に戻ってしまうかもしれません。
そこで、次に伝授したい「回路」は、「本当に新しいことは大衆には理解されない」という事実です。これは「考え方」というより、紛れもない「事実」であることを強調しておきましょう。
さて、「新しい」というのは、なにをもって定義できるのでしょうか。ぼくらはなにをもって「新しさ」を感じ取っているのでしょう。
ぼくの考えるところでは、「新しさ」というのは「理解の難しさ」と関係しています。つまり、「よくわからないけど、なんかビビッとくるもの」を目の前にしたとき、反射的にその「新しさ」を感じ取るのです。
たとえばあなたの目の前に、なんだかよくわからないキモ可愛いキャラクターグッズがあるとします(たとえば、なんだか目が笑っていないように見える「くまモン」とか、その動きからヤバい雰囲気が溢れ出している「ふなっしー」とかですね)。
自分の知っているキャラクターを思い浮かべてみても類似するものがなく、カテゴライズできない。正直なんだかよくわからないけれど、なんだかちょっと気になる。ビビッとくる。しかし、なぜビビッとくるのかは論理的に説明できない。
このとき、あなたは「このキャラはなんか新しいぞ」と感じている自分に気づくはずです。もしも、目の前にあるキャラクターが完全に理解できるもの(たとえばミッキーマウスやハローキティ)であれば、いまのあなたは「新しさ」を感じることはありません。
新しいものは理解されない
さて、ここで大切なのは、本当の意味で「新しい」ものというのは、同時代に生きる大部分の人々には理解されないものだということです。人間という生き物は、記憶や経験にないものを見聞きしたとき、生存本能から、それを生理的に受けつけないようになっているからです。
あなたの存在、あなたの意見が周囲の人から理解されていないとしたら、あなたは彼らにとって「理解できないほど新しい」のです。これは傲慢な響きを持ちますが、歴史が証明している真理です。本当の意味で新しいものは、同時代の人に理解される可能性は、極めて低い。
以前、面白い実験をしてみました。
第一章のなかで「『面白い人ほど会社を辞めていく』3つの理由」という記事を2011年の9月頃に書いて炎上した、という話を紹介しました。実は、これには続きがありまして、ぼくは実験として同じ主旨の記事を2012年10月に、もう一度世に出してみたのです。
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