自分たちの生活空間をそのまま映画に持っていきたい
—— 沖田監督の映画は「観るとほっこりする」と評されていることがよくありますが、それについてはどうですか?
沖田修一(以下、沖田) よく言われますねー。でも、こういう場でちゃんと言っておかなければと思うんですけど、たまに僕の映画は「何も起こらない」って言われるんです。でも、それはすごく心外というか……。そんなつもりは全くないんです! 「ほっこりする」と言われても僕にはその言葉の意味もわかりません。
—— 大事件は起こらないけど、普通のやりとりこそがおもしろいという印象があります。
沖田 僕自身、その方が好きなので。妙に作りこむのではなくて、自分たちの生活空間や世界を映画の世界にそのまま持っていきたいというか。映画に出てくる俳優さんたちはみんな普通の生活では会えないような美男美女ばかりですけれども、「精神的に美男美女じゃない人たち」が撮りたいんです。
—— といいますと?
沖田 “普通の人”が撮りたいんですよ。たとえば、テレビをつけてニュースをみると、世の中にはひどい事件がたくさん起こっている。なんだか世の中悪い人ばかりみたいに見えるだけど、でも、よくよく考えてみると普段の自分の周りでそんなに悪い人っていないじゃないですか? 悪い人や悲しい目に遭っている人ばかりじゃなくて、そういう普通の人たちにスポットライトが浴びるような映画が作りたいという想いはずっとあります。
—— あえて、血みどろのバイオレンスに挑戦してみたいとか思われることはありませんか?
沖田 あはは。どうなんでしょうね。でも、人が殴ったり蹴られたりするのはあまり近寄れない。少し遠くから見たいから、そういうシーンもカメラ引いちゃうだろうから、あまり迫力あるシーンは撮れないかもしれないな(笑)。
視点を変えると、笑えるものも泣けてくる
—— 全体を見ながら一歩引いた視点は、監督の作品のなかには常にありますね。
沖田 そうですね。客観というか、その方が好きなんです。作り手が「こう見てください」って演出を示唆した作品づくりをするのが、あまりピンとこないというか。俳優さんが演じてくれたままで話が進んでいくのを、じっとこっちで見る。その方が気持ちいいというのが、感覚としてあるんです。でも、こんなことを言うと「じゃあ、演出は何もしてないんじゃないか」って言われそうですけど。
(c) 2013『横道世之介』製作委員会
—— でもやっぱり日常でありながら映画という物語なんだと気づかせられるところがありますよね。たとえば、『横道世之介』でも、途中でとあるニュースが入るシーンがありますが、それが実際の事件とリンクしているところとか、思わず観ていてハッとしました。
沖田 それはすごくうれしいです。1つの物事が、視点を変えるだけでグッと見え方が変わってくるというのは、以前からずっとやりたいと思っていました。世之介がヘラヘラ笑って普通に生活しているのに、ひとつ彼の運命を暗示する要素が入るだけで、全然違って見えてくる。この効果は狙ってましたね。泣かせにいくのではなくて、笑わせにいったところがなぜだか泣けてくるというか。それは、「普通の人間関係」だからこそ、色濃く描けるものなんじゃないかと。
—— いろんな時間の層が立ち上がっていたのも印象的でしたね。たとえば、世之介が友達と戯れているシーンを観て、自分の学生時代の友だちとの関係性を急に思い出したてしんみりしたりとか。
沖田 僕も自分で撮りながら「あんなに大学時代は仲良かったけど、なんであいつと卒業した途端にずっと連絡とってないんだろう?」とか思いましたね。そういえば、実際に僕の高校の友人の木村くんというのを思い出していたら、この映画で宣伝をしている時に喫茶店にその木村くんがいたんですよ。
—— え! すごい偶然ですね。
沖田 いやぁ、びっくりしました。
—— 話しかけました?
沖田 いや、彼のほうは気づいていなかったので、結局「まあいいや」って、話しかけなかったんですよね。ただ、喫茶店にいる彼の姿を、ちらちらと見て、一人でしみじみしているだけでした。
—— あ、やっぱり「客観」の姿勢なんですね。
沖田 そうなんですよね。そこは、崩せませんでしたね(笑)。
さらなるインタビューが、dmenuの『IMAZINE』でつづいています。
「監督になったきっかけは、高校時代の「遊び」だった」沖田修一
ぜひこちらからお楽しみください。
執筆:小林英治、撮影:加藤麻希
Blu-ray・DVD『横道世之介』(販売元:バンダイビジュアル)
監督:沖田修一、脚本:前田司郎 沖田修一、
出演: 高良健吾、吉高由里子、池松壮亮、伊藤歩、綾野剛