平凡な自由」を目指すという選択

ブッダのように、修行によって「究極の自由」を手に入れることは、現代に生きる私たちにとっては不可能です。そこで、海猫沢めろんさんが提案するのは、自由になりたければ、「平凡な自由」を目指すべきだといいます。平凡な自由とは、一体どのようなものなのでしょうか。

“究極のリア充 ”だったブッダが求めたもの

 普通なら「いや、そこはもう逃げなくていいだろう」と思うでしょうけど、「そこまでするか?」みたいなレベルで超自由になりたいということでしょう。
 でも、「僕は満足してたけど、この世界って本当は不自由なんだ」と気付いてしまったんです。
 心が死に囚われてしまった、ということでしょう。
 そこから出家したいブッダは、生まれたばかりの実子にラーフラ(=障害をなすもの)という名前をつけたほどです。

 息子にキラキラネームをつけてまで逃げるなんて、普通からするとあり得ません。
「そこまでして、自由を求めるとか、おかしいんじゃないのか?」と思いませんか。
 けれど、最終的には、そんなブッダは悟ります。 なにを悟ったのか。

 これは簡単に説明できるようなものではありません。教科書的に説明すると、四諦したいと八正道、無我ということになります。この言葉は聞いたことがあるかもしれません。
 なかでも無我というのは仏教独自の考え方で、これはつまりすべての存在には我(主体)がないという思想です。
 「私」などというものもなければ、神様などというものもない、なにひとつない。
 つまりは、すべては自由だったのだ ……いや ……自由という概念すら存在しないほど自由だった ……というか ……その概念すらないほど自由だった ……(以下無限に続く)。
 そんな究極の自由をブッダは悟ったのです。
 思想としてはとても興味深いですが、平凡な現代人がこれを聞いて救われるかはかなり疑問です。

自由になるのに努力は必要ない

 ブッダのそうした行動や心情は理解できます。

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頑張って生きるのが嫌な人のための本

海猫沢めろん

年間3万人前後もの人が自ら死を選ぶ自殺大国・日本。ゆたかな国にも関わらず、根強くはびこっている閉塞感と生きにくさ。海猫沢めろんさんの友人・K君は、そんな閉塞感から自由になるために自殺を選択しました。めろんさんが、K君に、そして彼とおな...もっと読む

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コメント

uminekozawa 自由になるのは大変? 死ななきゃラクになれない? 働かないとダメ? 誰もが抱える悩みにこたえます。 3年以上前 replyretweetfavorite

consaba #life954 #genron 4年弱前 replyretweetfavorite