映画と小説の違いは何ですか?
Q. デビュー作ではご自身でカメラを回していましたが、最近の作品では他の人に任せていますよね。先ほども他者の介在についての話がありましたが、今後その部分はより大きな要素になっていく感じなんですか?
山戸:凄く単純な話、私の身長は155cmで、この目線からしか世界を切り開いていけないんです。自分でカメラを回している限り、その映画はいつまでも一人の身体によってまなざしが固定されてしまいますよね。でも、さっきの「踊る大捜査線」への道じゃないですが、その視点やまなざし、ひいては表現はどんどん拡張していきたいと思っています。そのために具体的に何を選ぶべきかは、まだうまく確定しきれていませんが、方向としてはそっちに向かっていくことになるのだろうと思っています。映画には、私の言葉や身体を超えてほしいです。
Q. 台詞のことについても伺いたいんですが、作品の中で「天変地異みたい」というフレーズが反復されるシーンがありますよね。これを見ていて「いま確実に台詞のシュート打ったな」と感じたんです(笑)。この台詞を言わせるためにシーンを作ったのかなと。哲学というのは言葉が先にあり、その言葉だけでは見つからない世界を探すために監督は映画に入ったわけですが、では台詞とシーンはどちらが先にあるんでしょう? 言葉を言わせるためにシーンを作るのか、それともシーンを作るために言葉があるのか。
山戸:きっと、肉体に言葉を通過させたいという欲望がずっと変わらずにあるんです。だから川田さんのご質問の答えるとしたら、言葉を言わせるためにシーンがあるということになりますね。年頃の女の子の持つ強烈なゆらぎの磁場で、その時の一過性、一回性の肉体が「それ一択である」台詞を言うということだけで物語が発生すると思っていて、肉体と言葉がほんの一瞬同じ夢を見ているような、その感覚が本当に愛おしいです。
Q. 映画以外の表現手段というのはあまり考えていないんですか?
「映画バンもん!~あなたの瞬きはパヒパヒの彼方へ~」(2012) 監督:山戸結希
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