センサー付きの蛇口がある洗面台を使うときに必ず行う癖があると気づかされたのは、私がまだモントリオールにある大学の学生だった頃だ。まず、私は鏡の前で両手を合わせる。そして、腕を前に差し出し、蛇口の真下にセットする。センサーが反応して水が流れるまでのわずかな猶予を使い、ぴたりと閉じた手のひらの、親指がある側を少し開く。すると、両手は財布の口のような形になる。その隙間に水が流れ込んできたら、ゆっくりと手を開き、受け皿を作る。
この習慣がいつから身についていたのか思い出すことはできないが、ここに至った理由はなんとなく想像がつく。おそらく私は、水平に並べた手のひらが水を受け止めたときに生じるしぶきが服を濡らすことを嫌ったのだ。「お前はなぜ顔を洗うとき、仏に祈りを捧げるんだい」と、洗面台で隣り合った目ざとい同級生に指摘されなければ、この奇妙な動作を自覚することさえなかっただろう。それ以来、私はセンサー付き蛇口を使って顔を洗うたびに、仏前で手を合わせる日本人の僧侶のイメージが頭をよぎるようになった。
あれから十四年が経過した。私は今、東京駅構内のトイレにある洗面台の前で顔を洗っている。洗顔の直前に手を合わせる儀式はいまだに継続したままだ。
あらかじめ脇に置いておいたハンカチで顔の隅々まで丁寧に拭き取って目を開けると、鏡には見慣れた「ガイジンさん」が映っている。近寄って、よく確認する。ヒゲのそり残しは見当たらない。身だしなみの軽いチェックも終わり、ハンカチの濡れた面が内側に来るように折りたたみ、ポケットにしまいながらトイレを後にした。
出口付近で部下の下柳亜里沙が私を待っていた。私に気づいた下柳は小さくお辞儀をした。
「お待たせしました。それでは、行きましょうか」
「あ、はい」
彼女は入社一ヶ月目の新人にしては能動的だ。たいていの人間は新しい環境では猫を被るものだが、彼女ははじめから物怖じする様子がなかった。
「営業課長のベンジャミン・トルドーです。よろしく」
最初に挨拶をしたとき、下柳は何やら驚いたような顔をして私を見つめていた。日本に移住し、芳香剤メーカーに勤めるようになって今年で八年になるが、こういった反応には慣れている。青い目の外国人に流暢な日本語で話しかけられるとは思わなかったのだろう。多くの人は、ここで喉まで出かかった「Nice to meet you」を飲み込んで、ぎこちなく「あっ、よろしくお願いします」などと言う。だが、下柳の返答は私の経験に基づく予想を裏切った。
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