第3章 中学時代、サイトに月間50万アクセス集めた話 Vol.3 「頑張る」ことの限界

空気なんて読まなくていい。人に嫌われてもいい。友だちなんていらない。そんな「覚悟」が人生を変えてくれる――容姿や能力に自信が持てず、他人の目ばかりを気にしていたぼくが、なぜ「今」勇気を持てているのか? 何者でもないのに、何者をも恐れなくなったプロブロガーの仕事術を公開する本『なぜ僕は「炎上」を恐れないのか』が2月18日発売決定! 臆病だったぼくにもできた。だから、あなたに「今」その勇気がないのは、絶対にあなたのせいじゃないんだ ――。全原稿を月・木の週2回で連載。

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吹奏楽部での挫折

 圧倒的な時間を掛ければ無敵になれる。
 これはたしかな成功法則だとわかりました。毎日10時間やる人は、週1時間しかやらない人には、負けることがない。
 しかし、多くの場合、「圧倒的な時間を掛けること」が、そもそも容易ではありません。なぜなら、圧倒的な時間を掛けるためには、「情熱」を持つ必要があるからです。
 こうした「情熱」の重要性に気づくきっかけとなるできごとが、高校時代に訪れました。
 ぼくは中学から大学まで、吹奏楽部で打楽器を演奏していました。吹奏楽を始めた理由は、「音楽ができるとモテそうだから」「姉が吹奏楽をやっていて、なんか楽しそうだったから」という程度のものでした。
 中学時代、楽器を始めたときはまったくの初心者でしたが、部活全体のレベルが低かったため、相対的に「上手いほうの部員」に自分を位置づけることができました。当時は偉そうにドラムを叩き、「オレ、このままプロになれちゃうかも?」という根拠のない自信を持っていました。
 そうした自信は、高校に入って数日で打ち砕かれます。
 ぼくが入学した横浜市立戸塚高校は、関東大会常連の強豪校。休みは年間数日しかなく、毎朝6時から部室にこもって練習を始める部員も少なくありません。音大志望の部員も多く、最高峰の東京芸術大学に進学していく先輩もちらほらといます。そもそもの問題として、中学時代と比べて練習量が違いすぎるという愕(がく)然(ぜん)たる事実がありました。
 体験入部をするやいなや、自分の実力のなさを痛感させられます。中学時代はドラムばかりやってきたので、鍵盤楽器やシンバル、大太鼓はまったく叩けず。先輩から「え、楽譜読めないとか、ホントに打楽器3年間やってきたの……?」と呆れられてしまう始末。
 音楽をやめることも考えましたが、かといってほかにやりたいこともないので、絶望しつつも吹奏楽部に入部することにしました。
 同級生には、芸大に進学し、後にプロとして活躍するK君も在籍していました。彼は、音楽一家に育ったそうで、新入生だというのに圧倒的な上手さを誇っています。
 K君と自分の実力の差は圧倒的で、彼は入部してそうそう、選抜メンバーとしてコンクールに出場することになりました。彼がメンバーとして合奏をしているあいだ、ぼくはひたすら練習室にこもって基礎練習。
 朝8時に学校に行き、夕方5時まで、メトロノームを相手に基礎、基礎、基礎……。最初の夏休みは、基礎練習だけで終わりました。正直、面白くもなんともありません。苦行です。
 が、K君の華々しい活躍を横目で見つつ、ぼくは彼に追いつくべく、先輩や顧問に言われるがままに、基礎練習に時間を費やしていました。

時間を割いても勝てない!

 さて、この状態からどう挽回するか……、真夏の練習室で小太鼓を叩きながら、悶々と考えこみました。
 ぼくはここでも、ゲームと個人のニュースサイトの無敵体験で得た「ひたすら時間を割く」という戦略を取ろうと試みます。
 しかし、本気でプロミュージシャンを目指すK君に対しては、その戦略では到底勝てないことは明らかでした。というのも、K君はぼくよりも「すでに」多くの時間を割いており、「いまも」多くの時間を割いており、「このさきも」多くの時間を割くように思えたのです。
 K君にあってぼくにないもの。そのひとつは「環境」でした。彼は音楽をするための家庭環境に恵まれており、自宅にも打楽器を練習できる環境がありました(打楽器は場所を取り、音も大きいので、自宅で練習環境を整えるのは一般に困難です)。自宅でも練習できる彼と、学校に行かなければ練習できないぼくでは、その時間の量に差が出るのは当然です。
 そしてなにより、環境よりも大きな要因として、そもそもK君には、楽器演奏への並々ならぬ「情熱」があったのです。
 彼は本気で音楽家を目指し、現在、実際にプロとして活躍しています。ぼくも音楽が好きでしたが、どちらかというと鑑賞のほうが好きで、自分がプロになって活躍するというイメージはどうしても持てませんでした。
 そうです、情熱──。これこそが、成果を挙げるために必要な、2つ目の法則だったのです。
 K君は演奏することが大好きで、ぼくとは段違いの情熱を持っていたように見えます。情熱があれば、自然とその行為に時間を割いてしまうものですし、試行錯誤も重ねるものです。
 ぼくには、演奏行為に対する情熱がそもそも欠けている。しかも環境にも差がある。これでは当然、勝てない。

「頑張る」ことの限界

 ここで学んだことは、「頑張る」という態度には、そもそも限界があるということです。   
 K君は、外から見たらたしかに「頑張った」結果、夢を叶えたように見えます。が、きっと、彼は今から過去を振り返るとしたら、「好きなことを情熱に任せてやっていたら、いつの間にか夢が叶った」という回想をすると思うのです。
 「頑張る」というのは、「よし、今日からオレは本気出す!」と自分を奮い立たせて、一念発起し、何かに取り組むことです。
 それはその時点で、どうしたって限界があります。「頑張る」必要がある時点で、もう自然体ではない。「頑張る」というのは、「今よりも無理をする」ことに相違ありません。これでは全然ダメなんです。

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なぜ僕は「炎上」を恐れないのか—年500万円稼ぐプロ・ブロガーの仕事術

イケダハヤト

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abm 情熱があると努力が苦にならなくなるよね> 4年以上前 replyretweetfavorite