小柄な女子中学生だ。車内の中程にいる孝太郎からだいたい三メートルほど離れたドア付近に立ち、手すりを掴んでいる。文庫本を読んでいるらしく、ここからだとその横顔しか見ることができないが、そのセーラー服と端正な顔立ちに確かな見覚えがあった。
間違いない、以前俺が自身を晒した子だ。今は落ち着き払ってページをめくっているその顔が恐怖に歪んだ瞬間を、目の前で見ていた。忘れるはずがない。こんなに利発そうな子の記憶に自分を留めることができたら素敵だろうなと思ってやったのだ。彼女は期待通りの反応を示してくれ、とても満足していた。だから彼にとって印象も強かった。一致を確信した瞬間、痛いほど心臓が高鳴った。運命的な再会のときめきではなく、現実的な危機感のためだ。
もし、万が一気がつかれたら取り返しのつかないことになるかもしれない。幸い、少女は今読書に夢中で孝太郎に気づく様子はなさそうだが、不意にこっちを向かないとは限らない。なにしろ一度顔を見られているのだ。あのときの露出狂だと悟られる可能性は十分ある。むしろ、バレないほうがおかしいだろう。もう気づかれている場合だって考えられる。なんという失策だ、と、孝太郎は考えの浅さを呪った。近場で露出行為をしていれば夜道以外でまた遭遇する恐れがあることくらい、簡単に想定できたじゃないか。読みが足りなかった。
いつか、誰だったか、スポーツ選手が言っていた。記録よりも記憶に残る選手になりたいと。露出狂にも同じ事が言える。孝太郎は常々そう思っていた。俺はただ、彼女らの記憶に残りたいだけだ。だが、警察の記録に残るのは御免被りたい。正気でない振る舞いを続けるのに必要なのは理性だけなのだ。理性的に行動しなくては。
もうすぐ武蔵小金井に停車する。そこで降りてしまおう。
勤める会社はもう一駅先の国分寺にあったが、あと一駅分もの間、平気な顔をして立っていられる自信がなかった。車両を移動する手も考えたが、すでにバレていた場合、不自然に映る。学校の位置から考えて、あの子は国分寺で降りるはずだ。それなら俺は今さっさと降りて、後発の電車に乗り直してしまえばいい。簡単なことだ。額にじっとりと滲んだ嫌な汗をハンカチで拭った。まるで越境するスパイになった気分だ。
ドアが開くと同時に孝太郎は列車から掛け降りた。あの少女の様子を確認する余裕はない。心拍数が限界まで上がっている。なるべく足早に、電車に背を向けて歩き出す。