シャイニング 
キューブリックの穴

スティーヴン・キング原作、スタンリー・キューブリック監督による『シャイニング』は、凝った映像に主演ジャック・ニコルソンの迫力もあって、名作の呼び声が高い映画です。名監督キューブリックの強烈な個性を軸に、本作について今回は綴ります。過去の「およそ120分の祝祭」では、スティーヴン・キング原作の『キャリー』『スタンド・バイ・ミー』も取り上げましたので、そちらも一緒にお楽しみください。

『2001年宇宙の旅』(’68)の制作に取り組んでいた映画監督、スタンリー・キューブリックがもっとも心配していたのは、映画が完成する前に、人類が宇宙人と接触してしまうことだった。せっかく「地球外生命体との接触」というファンタジーを映画にしようというのに、それより先に現実世界で宇宙人が現れてしまったら、とたんに作品は安っぽくなり、価値を失ってしまうと怖れたのである。キューブリックは真剣であり、まったくふざけてはいなかった。彼は本気でその事態を憂慮していたのだ。幸いなことに、映画公開日まで地球に謎の飛行物体はやってこなかったし、火星へ到着した探索機が未知の生命体を発見することもなかったため、キューブリックは安心して『2001年宇宙の旅』を世に送り出すことができた。

この話を聞いたとき、映画史を代表する監督のひとりに対していくぶん失礼な言い方にはなるが、この男はばかなのではないかと僕は思った。少し落ち着いてはどうですかとソファに座らせ、濃いめのコーヒーでも淹れてあげたくなる。映画製作に没頭していた彼は不安をおさえきれず、「ロイド保険協会に相談して、地球外生命体が発見されたときの保険証書まで作ろうとした」(*1)という(結果的には、保険費用が莫大だったために断念している)。しかし凡人の僕は、そもそもそんな突拍子もない心配がよく思いつくものだとびっくりさせられるのである。保険会社の人だってずいぶん困っただろう。そして同時に、映画が完成する前に宇宙人が地球に現れたらどうしようと本気で心配できる男にしか、『2001年宇宙の旅』のように完璧な映画は撮れないのではないかともおもう。

『シャイニング』(’80)は、キューブリックの「新しいもの好き」と「負けず嫌い」というふたつの資質が発揮された、いかにも彼らしいフィルムのひとつではないだろうか。ステディカムと呼ばれる新型カメラの存在を知ったキューブリックは、この画期的な技術にすっかり夢中になった。ステディカムが登場するまで、カメラを移動させながら撮影をするには、現場にレールを敷き、カメラを台車に載せて動かす必要があった(人間がカメラを持って移動してもいいが、画面に揺れが生じてしまう)。ステディカムは、人間がカメラを持って移動しながら、画面を揺らさずに安定させることができる技術だった。このカメラを使えば、いままでは撮影が不可能だったさまざまなショットが生み出せる。キューブリックは、何の躊躇もなくステディカムを導入し、新しい作品の撮影を始める。

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1980年の時点で、ステディカムは『ロッキー』(’76)等いくつかの映画で既に使用されていたが、全編にステディカムを取り入れて撮影された『シャイニング』は、この新技術をもっとも効果的に使った代表的な作品となった。ホテルの廊下を三輪車で走る子どものショットや、巨大な迷路を走りまわる登場人物たちのくだりからは、刺激的な新しいおもちゃを手に入れたキューブリックの興奮が伝わってくる。どの場面からも「こんな映像見たことないだろう!」「君、どうやってこのシーンを撮ったか知っているかね。これはステディカムと言って……」と満足気に語るキューブリック本人の声が聞こえてきそうだ。心なしかどのシーンも尺が長めであるが、これはおそらく、新しいカメラでの超絶的な撮影テクニックを見せつけたいという負けず嫌いの気持ちと、見たことのないような映像が生みだせる嬉しさとが半々だったのだろうと僕は想像する。さらには、こうしたシーンが単に技術のひけらかしに終わらず、「出口のない精神の隘路」という映画のテーマにぴったりと合致して、怖ろしいほどの効果をもたらしているのがキューブリックのすごいところなのだが。

おもうに、映画に限らず、音楽や小説といったさまざまなジャンルの表現において、後に古典として残っていくのは、新しい技術や、新鮮な表現に対して貪欲で、誰も経験したことのないような手法をあきらめずに追求した作品なのではないだろうか。『シャイニング』を見るたびにそう確信する。ミーハーで新しいものが好きな作者、人を驚かせるためにありとあらゆる手段を試しつづける好奇心の持ち主こそが、結果的にはクラシックとして評価される作品を残すことになるのはおもしろい。

たとえば映画なら、百年以上の歴史がある。撮影の手法、脚本の書き方、演技メソッド、そうしたすべてに、時間をかけて培われたセオリーがあり、「正しい方法」が確固として存在する。しかし作者は、そうしたセオリーを律儀に守っているだけでは、後に古典、定番と評される作品を残すことはできない。ステディカムに大よろこびで飛びつく軽さが必要なのだ。

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およそ120分の祝祭 最新映画レビュー

伊藤聡

誰しもが名前は知っているようなメジャーな映画について、その意外な一面や思わぬ楽しみ方を綴る「およそ120分の祝祭」。ポップコーンへ手をのばしながらスクリーンに目をこらす――そんな幸福な気分で味わってほしい、ブロガーの伊藤聡さんによる連...もっと読む

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yomoyomo "おもうに、映画に限らず、音楽や小説といったさまざまなジャンルの表現において、後に古典として残っていくのは、新しい技術や、新鮮な表現に対して貪欲で、誰も経験したことのないような手法をあきらめずに追求した作品なのではないだろうか。" https://t.co/jEyI189YcU 4年以上前 replyretweetfavorite

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