アートはオリンピックに関われますか?
Q. 今後また街に出て行って活動をしたいという欲求はないのですか?
和多利:それはありますよ。「水の波紋」の時のように、いつか改めて街に出て行かないといけないなと。私がこの地域に対してどう思っているのかというところは、現役のうちにもう一度見せる必要があると感じているし、それはそんなに遠くない未来のことなのではないかと思っています。
Q.そう遠くないと感じられる理由には、東日本大震災や原発の問題なども絡んでいるのですか?
和多利:それもありますし、ちょっと思っているのは東京オリンピックですかね。これに向けてザハ・ハディドが設計する大きな競技場もできるわけですが、自分たちはまた違うものを何か示さないといけないと感じています。オリンピックといっても実質は3週間程度の話で、私たちはその後何十年もこの街と付き合っていかなくてはいけないわけですし、時機が来たら仲間を集めて何かしらのことを提示したいと思っています。
Q. 以前の東京オリンピックがそうであったように、2020年の東京オリンピックに関わる決定が今後の何十年に影響していくことになるわけですよね。その辺への危機感があるんでしょうか?
和多利:もちろんあります。前回のオリンピックというのは、20世紀にものづくりを支えた人たちの登竜門になっていたんですよね。丹下健三、亀倉雄策、田中一光、市川崑など、各分野の先端を走る30代のクリエイターたちがみんなオリンピックに関わっていたんですが、果たして次のオリンピックもそうなるのだろうかと。もちろんそうなれば問題ないんですが、もしそうならなかった時に、私たちは違う提案を見せないといけない。それがどういうものになるかは予算や時勢の問題など色々な要素に拠ってくると思うのですが、アートというのは何かの気づきを与えられるくらいの存在になれるものですし、役に立つ武器として機能させられたらいいなと。