小学生の頃の担任の教師。ほとんど毎日顔を合わせていたはずなのに、今は名前どころか顔も浮かんでこない。あだ名だけは覚えている。「中東ゴリラ」だ。
中学時代のクラスメイト。たしか隣の席に、微かな好意さえ抱いていた女子がいたはずだが、今は解像度の低い笑顔がぼんやりと浮かぶだけだ。なぜか上の歯が欠けていた。
高校時代のクラスメイト。もう誰の名前も憶えていない。
大学時代……誰かの顔や名前を覚えようとしたことがあっただろうか。
立川行きの快速列車に揺られながら、佐々木孝太郎は今までに何を忘れてきたかを思い出していた。下り列車とはいえ朝の中央線はそれなりに混みあう。今日はいつもより早い路線に乗ったのだが、座れそうな席は見当たらない。孝太郎は吊り革をつかみ、窓の外の景色を眺めていた。屋根や電信柱が右から左へ流れ消えていく。そうやって、俺も無数の人々に忘れられてきたのだろうな。
孝太郎はあまり目立たない男だった。廊下に貼り出される遠足の記念写真には三枚写っていれば良い方だったし、印刷会社に勤める現在は、同じ取引先に何度もはじめましてと言われる。「マスター、いつもの」が言える機会はたぶん一生来ない。俺が中東ゴリラや太眉のクラスメイトや高校・大学の同級生たちを忘れたように、彼らも当然、俺のことを忘れているに違いない。
孝太郎の半身が車窓の向こう側の景色に重なって映っている。紺のスーツで、茶色い鞄を携え、角ばった眼鏡をかけている三十路過ぎの男。まるで「サラリーマン」という一般名詞のようだ。俺はこの車両にいる誰の記憶にも残らない。
孝太郎には特別親しいと言える友人はいない。恋人もいない。孤立しているわけではないが、人を惹きつける引力の働きが弱く、気がつけば一人になっている。そんな人間だった。彼に関わる人々は、彼の前を通過しているにすぎなかった。
そして、彼は露出狂だった。
金曜日の夜になると、学校帰りの中高生の前に現れ、おもむろにズボンを下ろすのが彼の習慣だ。少女の驚きと恐怖と嫌悪の表情や叫び声が、孝太郎自身の無上の喜びであるとともに、生きがいなのだ。
同僚の女性が酒の席でふと漏らした愚痴がきっかけだった。中学時代、部活の帰り道で遭遇した露出狂の不気味な笑顔が酷いトラウマになっていて、今でもたまに夢に出てくるのだという。「あいつは死ね、苦しんで死ね」と身震いしながら怒りをあらわにする彼女に相槌を打つ孝太郎だったが、内心では凄まじい衝撃を受けていた。こんなに簡単に、人の記憶に残る方法があったなんて!
はじめて露出行為に及んだときのことはよく憶えている。思い立って、すれちがいざまに、半ば衝動的に、少女に声をかけた。そして、ズボンを下ろしてみた。異変に気づいた少女の視線が一箇所に集まり、表情がみるみるこわばっていく。こんなにはっきりとした恐怖の表情を間近で見たのは初めてだった。しかも恐怖の対象は自分なのだ。顔を背けて滑るように逃げ去る少女を目で追いながら、孝太郎は今まで感じたこともない快感にうち震えた。それは誰かの記憶に刻み込まれるという快感だった。きっと、あの子は俺のことをずっと忘れないだろう。この道を通るたびに俺の姿が頭をよぎるはずだ。ここまで強烈に、誰かに自分の姿を印象づけた経験はかつてなかった。それ以来、彼は露出行為の虜になった。
警察にマークされないよう、孝太郎は細心の注意を払って行為に臨んでいた。舞台に選ぶのは主に通学路だったが、同じ場所に何度も足を運ぶことは避け、服装にも気を遣う。騒がれそうになったらすみやかに逃げる。この素晴らしい趣味を妨害されるようなことがあっては困るのだ。そのためにはあまり目立つのは良くない。
アナウンスが流れ、走る列車がその速度を緩めた。孝太郎は次の停車駅を確認するついでに、車内をぐるりと見回す。朝の列車にはいろんな人間がいる。早くも疲れたサラリーマン、熱心に化粧するOL、うつむいている老人、中吊り広告を懸命に読む学生……互いに他人であることをアピールしているかのようだ。心中でそっと呟く。皆さんは知らないでしょうけれど、私は露出魔なのですよ。孝太郎は露出癖を手にしてから、奇妙な誇らしささえ感じていた。
ふと、一人の少女の姿が目に止まった。
露出狂と少女。電車での出会いが意味する所とは……
第1回 「露出狂」 (2/2)へ続く。来週火曜日(2月18日)更新予定です。