独立で失うものはなにもない
—— では、これは今後何度も聞かれることになるだろう質問だと思うので、先回りして聞いておきます。講談社を辞めるのって、単純にもったいないと思いませんでした?
佐渡島庸平(以下、佐渡島) もちろん、そこはギリギリまで考えましたよ。世間的な立場としてもそうだろうし、金銭的にもそうだろうし。
—— 講談社から離れることで失うものって、たくさんあると思うんです。
佐渡島 でも、そこでなにを失うのかについては、しっかり吟味すべきだと思います。人が挑戦を躊躇するときって、「ほんとうは失わないもの」まで失ってしまったかのように錯覚するところがあるんじゃないかと思うんですよね。
—— ほんとうは失わないもの?
佐渡島 たとえば「会社にいれば一生安泰だったけど、独立することで安定を失う」と考える。
これだって、実際はどうだかわからないことです。あるいはお金にしても同じですよね。独立して来年の収入が激減したとしても、それはほんとうに「失う」ことなのか? とかね。
実際の話、あのまま会社に残って、僕が社内に「エージェント事業部」みたいなものをつくったとしても、作家の人たちは本気になってくれなかったかもしれません。リスクを承知で独立に踏み切ったからこそ、作家の人たちも本気で賛同してくれて、エージェントという新しい試みが動き出したのかもしれないわけです。
そうやって考えると、なにを失ってなにを得たのかというのは、結果論でしかわからないんじゃないかと思います。
—— でもね、僕は講談社の佐渡島さんを長く見てきたから思うんだけど、佐渡島さんって講談社という大きな組織を最大限に利用して、「講談社だからできること」を追求してきた編集者でもあったと思うんですよ。
佐渡島 はい、そうですね。その意識は持っていました。
—— だから、担当する作家さんたちのためにも、あるいは佐渡島さん自身のためにも、あのまま講談社に残って「講談社だからできること」を拡大していく選択肢だって、十分に考えられたと思うんです。その手段を持ち得ていたわけですから。
佐渡島 そうですね、世間のイメージがどうかはわかりませんが、講談社はものすごく前向きで、出版業界の今後についてもかなり真剣に考えている会社です。たとえば、講談社で僕が新しいことをやろうとしたとき、つまらない理由で反対する人はいないと思います。むしろ、みんながんばれと応援してくれるでしょう。しかも資金的な話をすれば、会社のバックアップがあったほうがやりやすいわけです。
今回の独立にしても、社内ベンチャーでやるという選択肢だってあったし、それを応援してくれる方々もたくさんいました。
—— ああ、そうだったんですね。
佐渡島 でも、これからの時代に必要なのは、なによりもスピード感です。小さなベンチャーだと5分で決まることが、大きな組織だとそれなりのステップを踏まないと意志決定できない。だから、スピードとその他諸々のメリットを天秤にかけたとき、僕はスピードを選ぶべきだと思ったんです。
背中を押してくれた作家たち
—— ここって、いま大きな組織からの独立を考えている人のためにも大事な話だと思うので、もう少し聞かせてください。そうした組織が抱える諸問題について、会社の中から変えていくのはむずかしかったのでしょうか?
佐渡島 強い組織って、給与体系や人事、福利厚生といった総務系の部分によって支えられているんですよ。だから出版社でいうと、編集部が変わるだけでは会社は変わらなくて、総務系の部分が変わってこそ、会社が変わりはじめる。そして僕がそこにまで関与できるようになるには、あと20年くらいかかるだろうし、その立場を選ぶときには「作家と同じ船」から降りることを意味するわけですよね?
だったら独立して、外部のエージェントという立場からさまざまな改革に乗り出すほうが早いはずだし、おもしろいと思ったんです。そして時代的に考えても、いまこのタイミングで動き出すことが大切で、とても20年待つことはできませんでしたからね。
—— うーん。話を聞いてておもしろいのは、佐渡島さんって講談社という会社にネガティブな感情をほとんど持ってないですよね。
佐渡島 それは自分でも嬉しいところですね。独立を決意したときも、僕自身は講談社になんの不満もなかったんです。ただ、独立したほうがスピーディーに、自由でおもしろい仕事ができると思ったから、コルクを起ち上げた。
とはいえ、やっぱり考えましたよ。「心のどこかでは会社への不満を抱えていたんじゃないか?」「いま自分があれこれ並べているエージェントの話も、じつは会社を飛び出すことへの言い訳なんじゃないか?」と。
—— すごく誠実な問いかけだと思います。その疑念は解消されたんですか?
佐渡島 けっきょく、答えを教えてくれたのも作家の方々だったんです。僕が独立してエージェントをやりたいという話をしたとき、安野さんにしろ小山(宙哉)さんにしろ、あるいは三田(紀房)さんにしろ、みんな契約上の細かい話を聞かないうちから「それは大事なことだから一緒にやろう」と賛同してくれたんですよ。まるで僕の背中を押すように「佐渡島君の挑戦にかけるよ」って。
—— へええー。
佐渡島 そこでようやく自分のやろうとしていることは間違ってないんだな、と気づかされました。これは会社への個人的な不満なんかじゃなくって、もっと時代的な必然による挑戦なんだって。
やっぱりね、一流の作家たちって、言葉も生き方もカッコイイですよ。僕としては、自分なりの決意や勇気を伝えるつもりで挨拶に行ったのに、もっと大きな決意と勇気をその場で返してくれるんですから。
—— 今回の起業にあたって、作家の方々とより絆を深めた感じなんですね。
佐渡島 はい。あらためて惚れ直しました(笑)
巨大ドミノの「最初の1枚」を倒す
—— 近年、ピースオブケイクの加藤さんをはじめ、優秀な編集者たちが独立していく動きがあります。この流れについて、どう思われますか?
佐渡島 たぶん、世の中が5年前と同じ環境だったら、僕は独立していなかったでしょうね。それこそ「講談社だからやれること」を追求していたと思います。
でもこの数年、たとえばピースオブケイクの加藤さんを筆頭に、ネット上でコンテンツを収益化できる環境を整えようとする人たちが増えてきました。もちろん、アップルやアマゾン、グーグルもその動きを先導する企業です。
加藤さんのような人が勇気と戦略を持って踏み出してくれたおかげで、4~5年後にはネット上でも収益を出せる時代がくると思います。ただし、そこには魅力的なコンテンツが必要です。もし加藤さんたちが「場」を整えるのなら、僕はそこに流通させるコンテンツをつくりたい。しかもただのコンテンツではなく、超一流のコンテンツを。
—— では、佐渡島さんのようにクリエイティブにたずさわる編集者たちは、今後ますます独立の道を選んでいくのでしょうか?
佐渡島 そうなっていくでしょう。先ほどもいいましたが、編集者が才能業であるかぎり、会社がすべての編集者に固定給を支払い続けるのは無理がある。
それから会社には、人事異動が避けられませんよね。これは組織を活性化させ、組織を最適化していく上で、どうしてもやらなければならないことです。組織論として考えるなら、ひとりの人間がずっと同じ部署にいるメリットは少ない。むしろ惰性や癒着の原因にもなりかねない。
ただ、クリエイティブな編集業務に関していうと、作品の最終責任者が異動することはとてつもなく大きなデメリットになります。だから会社組織を飛び出して、常に作家と作品により沿うエージェントが必要になるわけです。出版社が存続していくためにも、作家のためにも、独立の動きは避けられないでしょうね。
—— そうやってクリエイティブ能力をもった編集者たちが抜けていったあと、出版社はどうなっていくのでしょうか?
佐渡島 将来的な話をするなら、言葉本来の意味に近い「出版をする会社」になっていくんじゃないでしょうか。
—— 印刷から製本、物流のマネジメントに特化した会社、ということですか?
佐渡島 はい。出版社本来の価値って、本を流通させることにあるんですよ。そしてこれまでは、無料オプションとして編集者がついてきていました。
これがエージェントの時代になると、作家は有料オプションとして自分の希望する編集者を選ぶことができるようになります。もちろん、そんなオプションは必要ないというのであれば、無料オプションのままでもかまいません。
野球のフリーエージェント制と同じで、選択肢が増えるということですね。
—— そのオプション料金を支払うのは、あくまでも作家なんですね。
佐渡島 短期的にはそうならざるをえないでしょうね。日本の出版業界にはさまざまな商習慣があります。いきなりそこを無視するのはむずかしいし、作家のためにもならないでしょう。
ただし、僕らがエージェントとして結果を残していくなかで、少しずつ時代に見合った商習慣に変えていく必要はあると思っています。最終的には、印税率にも幅が出るべきだろうし、エージェントありきの制度設計も必要でしょう。長く続いてきた商習慣を変えるのは容易なことではありませんが、僕らの世代がやらねばならないことです。
—— エージェントが本格的に浸透するために、商習慣の変革は避けて通れない問題ですよね。
佐渡島 たぶんドミノ倒しみたいなもので、最初の1枚さえ倒してしまえば、一気に物事が進んでいくんじゃないかと思っています。商習慣がいい方向に変わって、才能ある作家たちがもっと正当な評価を受ける環境を整えたいんです。
—— 最初の1枚、かなり重そうです。
佐渡島 いや、そこは覚悟していますよ。特にこれが5年10年前だったら、最初の1枚を倒すのには相当な資本が必要だったと思います。でも、インターネットの普及によって、資本よりもアイデアがものをいう時代になってきました。とんでもなく優れたアイデアさえあれば、人もお金も集まってくる環境が整いつつありますよね。
—— アイデアのほかに必要なものは?
佐渡島 「独りよがりじゃない熱意」でしょう。やっぱりね、今回の独立でも感じたことなんだけど、熱意は人を動かしますよ。
たとえば今年、庵野秀明監督が『館長庵野秀明・特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』という特撮に関する展覧会をおこないました。僕自身、特撮にはまったくと言っていいほど興味がなかったのですが、会場に足を運んでその熱気に圧倒されたんですね。
おそらく、世の中的にも特撮へのニーズが高かったわけではないし、市場があったわけでもない。でも、庵野秀明監督というたったひとりによる熱意が、あれだけの人を動かし、世間を動かした。これはとても勇気づけられる経験でした。僕らも前例のないチャレンジに足を踏み出しているわけですが、最終的には熱意が人を動かすことを信じています。
—— いいな。佐渡島さん、すごく楽しそうです。
佐渡島 おっ、そう見えているのは嬉しいですね。この段階で暗い顔をしていたら、かなり危険でしょうから(笑)
—— では最後に、コルクの将来像について教えてください。
佐渡島 まず、コルクの名前が世界中に知られることですね。日本にはすばらしい作家がたくさんいて、彼らのコンテンツは「コルク」というエージェントから発信されている。そんな認識が世界に広がっていけば、僕らの思い描く未来が近づいてくるのだと思います。
—— そしてコルクのようなエージェントが、どんどん誕生していく。
佐渡島 もちろんです。僕らの会社だけでは、才能あるすべての作家をサポートすることなんてできませんからね。僕らは編集者でもあり、エージェントでもあるという、世界的にも珍しい業態です。コルクの成功によって、このシステムが日本のスタンダードになり、世界標準になっていけば、そんなに嬉しいことはないですね。
—— いやー、おもしろかったです。ようやく佐渡島さんの考えるエージェント業が理解できましたよ。今日はどうもありがとうございました!
佐渡島 こちらこそ、どうもありがとうございました。

佐渡島庸平(さどしま・ようへい)
1979年生まれ。南アフリカで中学時代を過ごし、灘高校、東京大学を卒業。2002年に講談社に入社し、週刊モーニング編集部に所属。『バガボンド』(井上雄彦)、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)など、数々のヒット作の編集を担当する。2012年に講談社を退社し、作家のエージェント会社、コルクを設立。
コルク:http://corkagency.com/
Twitterアカウント:@sadycork

フリーランスライター。1973年生まれ。一般誌やビジネス誌で活動後、現在は書籍のライティング(聞き書きスタイルの執筆)を専門とし、実用書、ビジネス書、タレント本などで数多くのベストセラーを手掛ける。臨場感とリズム感あふれるインタビュー原稿にも定評があり、インタビュー集『16歳の教科書』シリーズ(講談社)は累計70万部を突破。2012年、初の単著となる『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)を刊行した。cakesでは『文章ってそういうことだったのか講義』を連載中。
ブログ:FUMI:2
Twitterアカウント:@fumiken
キベ ジュンイチロウ
1982年生まれ。福岡県出身。大学新聞部での取材をきっかけに写真を始める。在学中から、フリーランスとして仕事をはじめ、大学卒業後はベンチャー企業に5年間勤務。2011年、独立してフリーランスに。得意な被写体は「人」。
オフィシャルサイト:http://www.kibenjer.net/