温井川聖美 [15:38−15:41]
念のため徳永のブログにもメッセージを残しておいてから、あたしはケータイを操作して、呆れるほど浅いネットの奥底へと沈んでゆく。
〈とりびあん相談室〉。
ふざけた名前は、本性の隠れ
あたしは、ここの常連だった。
だった、と過去形にするのは、自殺志願者だったあたしが立派に更生したから……じゃない。単に、ここ最近は面倒くさかったり忙しかったりで、ネットに入ってなかっただけの話だ。
それに、もともと本気でこのサイトにのめり込んでいたわけでもない。死にたいなと思うのは手間いらずだけど、死のうとするにはそれなりの根性がいる。もしくは、とっても鋭く尖った疲労感が。
あたしには、どちらもない。逃げ場のない息苦しさでゆっくりと押しつぶされる、そんな感触だけ(その点、あたしの日常というやつは、ちょっと生理痛に似ていなくもない……もっとも、こっちの鈍痛は月にいっぺんだけという救済条項付きだ)。
生理痛に鎮痛剤があるように、あたしにはこのサイトがあった。自殺という選択肢が、まだそこにあると確認すること。それだけで、あたしというグータラ娘は満足できてしまう。世間の真面目な自殺志願者諸氏からすれば、あたしのような輩は
掲示板は、この半年で見慣れてしまった決まり文句ばかりだった。毎日がつらい。楽になりたい。そんなこと言うなよ、いいこともあるさ。どんな悩みなの。よかったら聞かせて。死にたい。でも死にたくない。暗号表で変換された救難信号と浮き袋たち。届いているかどうかは、どちらも定かじゃない。
ところどころで冷笑や悪意が、邪魔くさい流木のように視界を横切る──うざいんだよ、おまえら。死ぬなら勝手に死ね。不幸自慢はたくさんだ。
あたしは新しいスレッドをたてる。まどろっこしいから、隠語への変換はやらない。ここのルールに反するけど、どうせ二度と来るつもりはないんだから、問題なしだ。人間、後腐れがないと大胆になれる。あたしはふと、自爆テロリストの心理を垣間見れたような気になる。傲慢なことに。
33:【連絡】今夜、徳永と心中し
たがってる〈17〉へ【緊急】
1 サトミ 15:40:44
話がしたいんだけど〈17〉。
ここ見てるのはわかってんだよ。
さっさと出てきな。
返事を待つより他に、今のあたしにできることはない。
そして同時に、それほど長く待たずにすみそうだという予感も、あたしの中にはある。
伊隅賢治 [14:55−15:47]
双子の女性(なんとも奇妙な雰囲気の二人だ……もしも徳永のやつがあんなに不安定な状態でなければ、ボクはけっして彼女たちに同行することには同意しなかったろう)が差し出したのは、
「すみません。お手洗いどこですか。あと、自販機とかは」
「お手洗い? ええとな、そこちょいと行ったあたりにあるで」
二人の指差す方角へ進み、途中にあった自販機でジュースを買い、菓子パンの包装を捨て、中身は細かく千切ってトイレに流した。戻ってみると、もう徳永は起きていて、ホームレスの老人が何やら独り言を言っている。一瞬、ボクの心臓が大きく脈をうつ。もしもあと五分余計に離れていて、その間に徳永がどこかへ行ってしまっていたら。さっきみたいなパニックになって走り出していたら。危うく大失態を犯すところだった。駄目だ。今後はけっして、こいつから目を離してはいけない。
「あの……どこかネット見れるとこ、知りませんか?」
急に徳永が言う。予期してしかるべき一言だった。〈17〉とのコンタクトを再開したいのに違いない。といっても、徳永のブログはどうせあの騒ぎのままだ。そもそも、あれを見たせいでパニックをおこしたんであって……いや待てよ。
しまった!
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