癒しとしてのブログ
そんな、サラリーマン生活で苦痛と迷いを感じていたぼくの心に、ある種の癒しを与えてくれたもの——それが、中学生以来の趣味である「ブログの執筆」という行為でした。
ブログという空間では、それほど空気を読む必要がなく、自分の思うことや興味があることを、自由に世界に公開し、人々から好意的な反応を得ることができます。角が立ちそうなら、ペンネームで発信することも可能です。インターネットは、ぼくに心地よい居場所とつかの間のやすらぎを与えてくれそうでした。
当時、ぼくは会社でウェブマーケティングの担当をしていたため、自分のブログでも「海外の最新マーケティングトレンドと、それについての自分の意見」を紹介していました。たとえば、「企業公式ツイッターアカウントの運用ポイント」や「企業としてフェイスブックに取り組むべき5つの理由」といった記事です。こうした記事は忙しい生活を送る広告・マーケティング業界の人たちには、純粋に役立つものです。
ぼくのブログの評判は上々で、クライアントを含む多くの業界人から「いつもイケダさんのブログを読んで勉強しています」という光栄なフィードバックを数えきれないほどいただきました。
ぼくはここでは、「先生」ポジションを、また獲得していくことができたのです。会社では無理だったけれど、インターネットの世界のなかには、ぼくの先生キャラ戦略を受け入れてくれる、寛容な空気が存在していたのです。
業界のおじさまたちに叩かれる
しかし、そうした評価の一方で、一部の業界の先駆者たち——まぁ、ようするにお年を召したおじさまたち——から、「生意気な若造がえらそうにマーケティングを語るな」という批判をたびたび受けるようになっていきます。
仮に、「イケダさんがお書きになった◯◯という記事の××という部分ですが、△△という点において、いささか疑問点があります。まず1つめの疑問は……」というような、建設的かつ論理的な指摘であれば、こちらとしても参考とするにやぶさかではありません。しかし、彼らの批判の9割は、理論もなければ根拠にも乏しい、それでいて、中身を読みもせずに投げかける、ただただ辛辣な言葉での精神攻撃を目的としたものでした。
「イケダハヤトはマーケティングという単語を使うな」
「何の経験もないのに偉そうに広告を語るな」
といわれたこともありますし、酷いときには業界人が集まる飲み会に引っ張りだされ、一方的に攻撃を受けて帰ったこともあります(しかも飲み会の費用は自腹という無情……)。「何で未来ある若者をよってたかって叩くんだ?」という理不尽な思いでいっぱいでした。
数多くの罵詈雑言
こうした「炎上」は今なら笑ってやり過ごせる話ですが、当時のぼくには、ひどく精神的ダメージを与えるものでした。
特に、2010年3月頃、フォロワーが数千人いる広告業界の有名人が、ぼくを名指しで「バカ」と罵ったときは、有象無象のユーザーが彼に同調し、ぼくに対して数多くの罵倒が送り付けられました。
「勉強しろよwww」
「恥さらしw」
「○○さんの言うとおりwww」
「浅い考えで偉そうに語るからこうなるんだ」
などなどのメッセージが、1時間に10〜20件というペースで送られつづけてくるのです。客観的に見るとくだらなく思えますが、慣れていないとひどくダメージを受けるのです……。
攻撃されている最中は、まともな理性は吹き飛び、感情が暴走している状態に陥ります。
「なんでこんなことをいわれなきゃいけないんだ!」「自分は悪くない……!」という憤怒の想いがうずまき、「いかに自分が悪くないか」を自己防衛的に考えるようになります。
このときにヘタに弁解のツイートをすると、またそれが「こいつは反省しているように見えて、口先だけで謝っている!」とか、「イケハヤ涙目www」と攻撃を受ける原因になります。
「なぜ、こんなことをいわれなきゃいけないんだ?」という思考はそう簡単に止まりません。この思考に支配されているうちは、体温調整がうまくいかなくなり、身体は冷たいのに、汗がタラタラと背中や腋から垂れてきます。
ツイッターを離れてもダメージはそう簡単に軽減せず、数日は食欲も減り、食事の味も感じ取ることができなくなっていきます。布団のなかでは「どうやって弁解、反論しようか……」と考えつづけ、気がつくと明け方になっています。
さまざまな炎上経験者をヒアリングするかぎり、睡眠時間が短くなるというのは、炎上に悩まされている人たちのもっとも一般的な症状のようです。ぼくも何度も眠れぬ夜を明かしました。これ、かなり辛いんです……。
臆病な文体
そうして、匿名アカウントからの粘着質な攻撃がつづいていくと、いつしか身の危険を憶えるようにまでなります。妄想に取り憑かれるようになるのです。そのころには、警察に駆け込むことも本気で検討するようになっていきます。
ぼくは、「過去のツイートから『イケダは毎週木曜日は銀座にいる』ことを割り出し、駅のホームで襲いかかってくるんじゃないか」と考え、駅のホームでは一番前に並ばないように気をつけるような精神状態にまで追い込まれていました。
ネット上の炎上が恐ろしいのは、ひとりひとりの悪意は微量でも、それが集まって、大きな憎悪として対象にぶつけられる点にあります。ネットの誹謗中傷を苦に自殺するというのは、肌感覚としてぼくにはよく理解できるものです。「ネットで死ねといわれたくらいで死ぬなんて、こころが弱すぎる」と語る人には、ぜひとも誹謗中傷の嵐を経験してもらいたいところです。これは、リアルの世界におけるいじめと、なんら変わらない構造を持ったものなんです。
そうした炎上を経験して、ぼくは自分の文章のトゲを落とすようになっていきます。
断定的に何かを語ることはせず、文章の語尾は常に「……なのかもしれませんね。みなさんのご意見をぜひ教えてください」で締める。若輩者であることを予め強調するために「ぼくはこの分野は勉強不足なのですが、素人として意見を書いておくと……」と逐一宣言する。会社に迷惑を掛けないために「これはあくまで個人的な意見なのですが……」とエクスキュースを入れる。「これはどう考えてもおかしいだろ」と思うことがあっても、見なかったことにして黙り込む。
2010年の夏くらいから、そのことを意識しはじめたように記憶しています(その頃の文章は、とても臆病な感じです)。
ぼくが炎上したら会社にも迷惑が掛かってしまうというのが「臆病な文体」を採用した表向きの理由でしたが、当時の心境を振り返ると「炎上をビビっていた」というのが、一番大きな要因でした。
そういう小手先の文体テクニックを身につけることで、ぼくは幾分、「炎上」からは遠ざかることができるようになっていったのです。
嫌われ者になる覚悟
しかし、2011年の暮れあたり、ぼくはそういう態度が「情けない」ことに気づかされます。それは、とあるNPO起業家をインタビューしたことがきっかけになりました。
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