前編】未婚の母・太田静子と、父・太宰治

私生児と、その母。けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです――多くの名作を残し、いまもなお絶大な人気を誇る作家・太宰治。戦後の没落貴族の姿を描いた『斜陽』は、1947年に大ベストセラーとなり、太宰は一躍、流行作家の仲間入りをはたします。それは当時の愛人・太田静子の日記をベースに書かれたものでした。そして彼女と太宰との間に私生児として生まれたのが、作家・太田治子さんです。特殊な自分の生い立ちや、母と太宰との関係を、どうとらえ、乗りこえてきたのでしょうか。インタビュー前編では、太田さんと『斜陽』をめぐる興味深いエピソードをお話しいただきました。

母から聞いた“太宰ちゃま”のメルヘン

— 太田さんというと、作家としての一面のほかに、やはり“太宰治の娘”という生い立ちに注目されることが多いと思いますが……。

太田 そうですね。一度も会ったことがない父ですし、あまり積極的にお話したいかたではないんです。でも、そこに注目されるのはやはり、いたしかたないことだと思っています。

— すみません。このインタビューでも、まずは太田さんと太宰との関わりについてお話を伺おうと思うんです。『斜陽』という名作を生んだ太田静子さんとは、どんな人だったかについても。

太田 はい。

— 老若男女問わず、今なお太宰ファンだというかたがたがたくさんいるので。

太田 それは、どうしてなんでしょうね。男性に関していうと、思いもよらないかたが「自分は太宰に似ている」なんておっしゃることがあるんですよ。たとえば前東京都知事の猪瀬直樹さんや、元議員の舛添要一さん。一見、太宰的な共通項がない、きわめて現実的にみえるかたでも、自分のことを太宰の分身のように感じていらっしゃる。太宰は人間的な弱さをさらけ出しつつも、武器にしているようなところがあるから、その正直さを身につまされながら、共感するのかもしれませんね。

— お母さまから、太宰についてお話を聞いたことはありますか?

太田 私が子どものころ、母は太宰のことを“太宰ちゃま”と呼んでいました。

— 太宰ちゃま! かわいいですね。

太田 私に「お父さま」と言わせるのは太宰の奥さまに申し訳ないし、私が生まれて間もなく他の女性と入水自殺したというのはとても重苦しい現実ですから、まるでメルヘンの世界のように私に話して聞かせたかったんだと思います。「太宰ちゃまは偉い小説家だったのよ。だけど、女の人と川に落ちて死んでしまったの」「ハボタン(太田治子さんの愛称)も、水の中に落っこちないように気をつけてね」と。

— 幼い頃からそんな深いところまで聞かされていたんですね。

太田 でも、メルヘンのように事実を受け止めたおかげで、子ども心に暗くならずにいることができました。今でも私がどこかのんきな気持ちでいられるのは、母のおかげだと思っています。明るく、いつも夢をみているような母でしたから。


赤ちゃんのころの太田治子さん(左)と、母の太田静子さん

— 太田さんが初めて太宰の作品を読まれたのはいつでしょうか?

太田 きちんと読んだのは、実はごく最近のことなんです。それまでは太宰のことをずっと避けていました。特に、『斜陽』を読むことは、私の生い立ちと真正面から向き合うことになりますから。逃げ出したい、私には関係ないっていう気持ちでいっぱいだったんです。一応、はしょって読んではいたんですけれど、特に冒頭の一節が、なんだかキザで。

— 「朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、」のところですね。

太田 私がある意味身内だからかもしれないですけれど、なんてキザなんだろうと思うんですよ(笑)。それでも、初めてまともに読もうと思ったのは、作家の林芙美子さんの評伝を書いたことがきっかけでした。私にとって林さんは赤の他人だけれど、とことん調べて向き合って、3年間の連載のあと、2008年に『石の花―林芙美子の真実』という本を出版したんです。でも、血のつながりのある太宰にはちゃんと向き合ってこないままでした。「私は自分の宿題をまだ果たしていないな」と思って、つらかったけれど向き合うことにしたんです。

— 読んでみて、どう思われましたか?

太田 あらためて、自分の原点を客観的にとらえることができました。特に『斜陽』は私の母、太田静子が書いた日記 ※1 をもとにした、母と太宰との共同作業の作品といってもいいと思うんです。そして、同時進行という形で私が生まれました。ですが、最後の結末は太宰の創作でした。主人公が語る結末 ※2 は素晴らしいと思いますし、作品をお手伝いできた母も素晴らしいと今では思っています。
※1 『斜陽』は、太田静子が太宰にすすめられるままに、1945年の春から12月までの日々をつづった日記がもとになっている。1947年2月に太宰に手渡され、同年11月に治子さんが誕生。12月に新潮社より『斜陽』が刊行され、太宰の初のベストセラーになる。
※2 主人公のかず子が、「こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。」「私生児と、その母。けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。」と独白する場面がある。

斜陽 (新潮文庫)
斜陽 (新潮文庫)

苦労を重ねて強くなった母

— 『斜陽』の主人公・かず子の最後の独白で出てくる「私生児」とは、太田さんのことでもあり、この独白は太宰からのメッセージでもあります。小説に自分の人生が描かれているのは、複雑な思いがあったのではないでしょうか。

太田 そうですね。かつては“斜陽の子”と呼ばれるのはとてもいやでしたけれど、今では「よかったな」と思えるようになりました。

— どうしてですか?

太田 私生児というと、日本ではどこか周囲がヒソヒソ声になるところがあるでしょう? 「あの人は、結婚もしていないのに子どもを生んじゃったの?」と。もちろん結婚して子供を産むことが自然なことなんだけれど、そうでない人がいてもいい。自由に自分の生き方を選択できて、それが受け入れられる世の中のほうがやっぱりいいですよね。その生き方の一つとして、『斜陽』の作品を通じて、母と私の人生があることを示すのは、間違ったことじゃないと思えてきたんです。

— 最近ではフィギュアスケート女子の安藤美姫さんが未婚の母になったというニュースがありましたね。

太田 いいことですよね。安藤さんのような著名なかたがその道を選ばれたことは。ずいぶん前ですけれど、パリで40歳くらいのテレビディレクターのフランス人女性に言われたんです。「私は独身で子どもを生みたいけれど、仕事を続けつつもシングルマザーになるのはすごく覚悟がいる。でも、ダザイの『斜陽』を読んでとても勇気づけられるの」と。とてもうれしかったです。

— フランスといえば婚外子が多い国ですけれど、それでも産む側の女性としてはとても覚悟がいることなんですね。

太田 そうなんです。フランスでは太宰の作品の中でも『斜陽』がよく読まれているようですね。それだけ万国共通のことをテーマにした魅力のある小説なんだと思います。

— 「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」と宣言する主人公のかず子は、凛とした強い女性という印象です。そのモデルになったお母さまは、太田さんからみて、やっぱり強い女性でしたか?

太田 いいえ。残念なことに母は、自覚を持って未婚の母となり、強い女性になったわけではないんです。シモーヌ・ ヴェイユの言う革命に憧れるとともに、革命にはついていけない心の弱さを持っていました。私にも「私は、本当はいつも誰かに頼りたい女なのよ」なんて言っていましたから。

— そうだったんですか。

太田 だけど、自分の心に正直に生きたいという気持ちをいちずにつらぬいたという点においては、結果的にとても強い女性だったと思います。34歳で未婚の母になって、親戚から勘当されて、幼い私を育てるために無我夢中で生きてきましたから。産後に大病にかかり、療養をへて40歳で倉庫会社の食堂の調理の仕事をはじめて、貧乏をしながら他の男の人に頼ることなく、満60歳で定年を迎える日まで働き続けて。

— 大変なご苦労でしたね。

太田 女学校時代の母は、「牛乳で育った花」と言われていたんです。三千坪の医者の家に育った、まるでミルクの匂いがするような世間知らずのお嬢様だったと。でも私の知る母は、苦労を重ねてからは実年齢よりもずっと老けて見えました。女学校時代のお友達が訪ねてきて、その変わりようにとても驚いたそうです。………本当に、偉かったなあとしか言いようがないですね。

— その強さの源は何だったのでしょう?

太田 自分が愛する人の子を産み育てたい、その意思をつらぬきたいという信念でしょうね。母は妻がいる人の子を産んだことをずっと「申し訳ない」と言っていて、それを聞くことは私にとってはとてもつらいことでした。けれど、「私は人道に背いたかもしれないけれど、天道には背かなかった」とも言っていました。太宰のことを悪く言うこともあったけれど、尊敬していたし、同志として共感し合っていた。だから強くなれたのだと思います。

— 戦後間もない時代に、未婚の母として生きるには相当な覚悟が必要だったでしょうね。

太田 そうですね。人それぞれいろいろな事情があると思いますが、私はたとえ貧乏生活でも、母の手一つで育てられて、母がいつもそばにいてくれて、幸せでした。遺産放棄をしたのもよかったと思います。もし仮に『斜陽』の印税だけでもいただいていたとしたら、もっと遠慮がちに生きていただろうし、どこか落ち着かなかったでしょうね。私は太宰の子というよりも、母の子であることを心から誇りに思っているんです。

(次回、2/8公開予定)

構成:武田 純子


太田治子さんが父・太宰治と母・太田静子の関係について貴重な資料をもとに迫ったノンフィクション『明るい方へ』(朝日新聞出版)もぜひご覧ください。

明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子
明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子

この連載について

太宰治『斜陽』のその後—作家・太田治子インタビュー

太田治子

私生児と、その母。けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです――多くの名作を残し、いまもなお絶大な人気を誇る作家・太宰治の出世作『斜陽』。それは当時の愛人・太田静子の日記をベースに書かれたものでした。そし...もっと読む

関連記事

関連キーワード

コメント

awadateki 太宰と斜陽のモデルとの娘、太田治子さんが、お母さんとの話のなかで「太宰ちゃま」って呼んでいた話なんだかかわいすぎる。「太宰ちゃまは女の人と川にはいって死んだから、はるちゃんも池に落ちないようにするのよ」という諭されかた斬新。 https://t.co/sY9Ywgez56 2ヶ月前 replyretweetfavorite

tosibee 太宰治の娘である、作家・太田治子さんのインタビュー記事。 約1年前 replyretweetfavorite

3KZRRHDS27Fd92p https://t.co/3YrZBP8JmP 1年以上前 replyretweetfavorite

fkjk 今日は太宰治の命日、そして誕生日の桜桃忌。実の娘・太田治子さんのインタビュー記事、よろしければごらんください  約4年前 replyretweetfavorite